[BlueSky: 5229] Re:5227 ちょっと引っかかっちゃった


[From] "gengorou" [Date] Sun, 20 Jul 2003 23:06:28 +0900


ゲンゴロウです。

荻野(おぎの)さん:
> ゲンゴロウさん、ちょっと本筋と関係ないかも分かりませんが、

ご意見、ありがとうございます。通訳の登場は、面白いです。
固定観念や価値観などの話は、主義などの話でもあるので、
環境問題には、深く関係がある気もしますので、いいのでは
ないでしょうか。。。(と、勝手に屁理屈を言ってる。。)

ゲンゴロウ:
> >「人間は固定観念をはずすと、どうなるか?」

荻野さん:
>  私の念頭にあるのは「通訳者」です。(前にも似たようなことを書きましたが)
> 自分の固定観念で通訳していたら、話はどんどんおかしくなるでしょうから、
> 一流であればあるほど、固定観念からは自由である理屈です。
>  ところで「通訳者」に自殺が多いというような話も聞かないし、
> 価値観もないというような感じもしない。
> 「芥川」さんの言っていることは、そういうことでは無いのじゃないかしらん。
>
> >> 「僕は芸術的良心を始め、どう云ふ良心も持つてゐない。僕の持つ
> >> てゐるのは神経だけである。」
>
> 私には、「僕は単なる物理的肉体、ただの個体である。」
> といっているように思われます。実も蓋もなくそれだけだということなら、
> これはやっぱり不安だろうな。

私の考えに、ご意見をありがとうございます。
芥川の言う「神経」は、どういうことを意味しているの
だろうか?と考えたとき、「神経」で、まずピンと来るのが、
「感じる」ということなので、芥川は「僕はただ感じるだけ」
と言っているのではないかな?と私は思いました。。
で、感じるだけというのなら、おそらく昆虫の様な生き物に
近くなるような気がしました。ですが、昆虫は感じるだけで
なく、その「感じ」に対して「行動」を取るので、「感じる
だけ」とは、もっと極端に植物の様な気がします。
といっても、葛貫さんと話したから分かった事なのですが。。。

しかし、それって、荻野さんが言うように、個体みたいに
なってしまうように思います。植物って生き物らしいので
すが、動かないので、多くの人の意識の中では個体と同じ
存在?になっているような気がします。・・・だから、、
簡単に伐採されてしまう。。

>  おそらく狂気というのは、純粋な(つまり常識の取れちゃった)個性
> だけの状態でしょうから、ただの個体であるというのは、なるほど、
> 狂気とほとんど同じかも。
>  良心というのは、人間の常識=共通性・普遍性から来るものでしょうし、
> 「おいら常識なんか知らないよ」と。

ほんと、そんな感じがします。
よく、「固定観念で物事を見てはいけない」と言いますが、
それはそうだと思いますが、だからといって、その言葉は
「人間、固定観念を持ってはいけない」ということでは、
ないのかもしれません。まず、何かしらの固定観念を持っ
て、それを基準(たより)に、他の人の固定観念や価値観
を測って物事を認識しているのが、狂わない人間の在り方
のような気がします。

>  ところで、「通訳」というのは、当然、人間には共通性がある、
> 共通了解は可能であるという前提に立っているはずで、
> すると固定観念から自由であっても、
> 共通の常識(考え方)はあるはずだということになる??

「通訳」の人は、固定観念から自由なのではなくて、
他者の固定観念に縛られて、立派な通訳と言えなくない
でしょうか。
たとえば、見本市などに会社の営業などと同行した場合、
その営業マンの観念に添わないと、ビジネス的な通訳は
できないし、国際環境会議などに、普段、ビジネスの通訳
をしている人が同行したら、言葉を知っていても、深い
概念などは、伝えることはできない気がします。
つまり、通訳は固定観念を持たない人たちではなく、
いくつもの固定観念に染まることができる人たちかも
しれません。
・・・が、それって、やはり固定観念を持ってないと
同じ事になるのかもしれません・・・・。見方で物事
は、ほんとに変わりますので、むずかしいです。


>  「人間だったら普通こうでしょう」という常識は、
> しかし、なんら絶対の根拠があるわけではない。
> そこを分かっていて、それでも常識を信じるというのは、
> だから、楽天的な態度となります。 

このお話↑面白いですね。
日本人は、独自の固定観念(個性的な考え)を持つことが
ない民族であると言われているようですが、横並びの固定
観念は、みごとに持っているようです。
だから、楽天的になれる?のかもしれません。
学校教育では、昨今、個性を重んじているらしいですが、
それって、元々人間にあるものなので、個性を重んじろ
は、生徒にではなく、先生に言っているのかもしれませ
ん。個性を重んじれば、少々、学校で自己主張の強い子
がいて、度々、他の子どもと衝突しても、「仲良くしな
さい」などとは言われないでしょう。。

> >> 「自分の一番自信があるのは、人間としての自分である。特殊の人
> >> 間、専門的人間とせず、ただあたりまえの人間として、つまり幸福
> >> な楽天家としての自分に自信がある。」
>
>  「武者小路」さんは、常識人としての自分に自信があった
> ということなのではないかしらん。

なるほど。。
私としては、武者小路実篤の本を読んだことはないので、
なんとも言えませんが、可能性で言えば、「個性を持って
いいのだ」という自信があったのかもしれません。

>   「芥川」さんのほうが個性で、「武者小路」さんのほうが普遍性
> なんじゃないの?

(^^)それは、そうかもしれませんね。
つまり、何が個性で、なにが普遍的なんて、みんな違う
のが人間なのですから、一概には言えないということで
はないかと思います。
しかし、みんな、自分が「常識」的だとか、「個性」的
だとか、自分で決めている。。
人は、自分がなんの固定観念もないと思っていても、
きっと何かしら決めているのだということのようです。

>  最近私は、ウルトラスーパー超一流通訳者、「米原万里」さんに
> ちょっと注目していますが、それを知っている母が
> 「この前、米原さんがラジオで 養老孟司・バカの壁・680円 ぜひ読んで
> と言ってたよ」と・・・
>  で、その「バカの壁」結構売れてるようですが、その内容は、
> 今回の議論とかなりダブっていて、それがなんだか面白い。

これ、読んでみたい本です。


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