ゲンゴロウさん、ちょっと本筋と関係ないかも分かりませんが、
>「人間は固定観念をはずすと、どうなるか?」
実際に、意識的に固定観念をはずすことと日々取り組んでいる人たちというのが
いると思うのですが・・・で、そういう人たちがどういう状況になるかというのは、
とても興味深いことで、参考になると思いますが・・・
私の念頭にあるのは「通訳者」です。(前にも似たようなことを書きましたが)
自分の固定観念で通訳していたら、話はどんどんおかしくなるでしょうから、
一流であればあるほど、固定観念からは自由である理屈です。
ところで「通訳者」に自殺が多いというような話も聞かないし、
価値観もないというような感じもしない。
「芥川」さんの言っていることは、そういうことでは無いのじゃないかしらん。
>> 「僕は芸術的良心を始め、どう云ふ良心も持つてゐない。僕の持つ
>> てゐるのは神経だけである。」
私には、「僕は単なる物理的肉体、ただの個体である。」
といっているように思われます。実も蓋もなくそれだけだということなら、
これはやっぱり不安だろうな。
おそらく狂気というのは、純粋な(つまり常識の取れちゃった)個性
だけの状態でしょうから、ただの個体であるというのは、なるほど、
狂気とほとんど同じかも。
良心というのは、人間の常識=共通性・普遍性から来るものでしょうし、
「おいら常識なんか知らないよ」と。
ところで、「通訳」というのは、当然、人間には共通性がある、
共通了解は可能であるという前提に立っているはずで、
すると固定観念から自由であっても、
共通の常識(考え方)はあるはずだということになる??
「人間だったら普通こうでしょう」という常識は、
しかし、なんら絶対の根拠があるわけではない。
そこを分かっていて、それでも常識を信じるというのは、
だから、楽天的な態度となります。
>> 「自分の一番自信があるのは、人間としての自分である。特殊の人
>> 間、専門的人間とせず、ただあたりまえの人間として、つまり幸福
>> な楽天家としての自分に自信がある。」
「武者小路」さんは、常識人としての自分に自信があった
ということなのではないかしらん。
「芥川」さんのほうが個性で、「武者小路」さんのほうが普遍性
なんじゃないの?
最近私は、ウルトラスーパー超一流通訳者、「米原万里」さんに
ちょっと注目していますが、それを知っている母が
「この前、米原さんがラジオで 養老孟司・バカの壁・680円 ぜひ読んで
と言ってたよ」と・・・
で、その「バカの壁」結構売れてるようですが、その内容は、
今回の議論とかなりダブっていて、それがなんだか面白い。
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| 荻野 行雄 ogino.yukio@nifty.com
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