[BlueSky: 5225] Re 。 5224 。 5222  「蜘蛛の糸」を読んで


[From] "gengorou" [Date] Tue, 15 Jul 2003 21:57:46 +0900


葛貫さん、いろいろなお話を、ありがとうございます。
とても、参考になりました。

−−−−−−−

葛貫さん曰く:
> 芥川の年譜を眺めながら、青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/
> で、「蜘蛛の糸」等、いくつかの芥川の作品を読んでみました。
>
> 芥川の作品を読んでいると、ものごとの成り行きをえがいている自
> 分を、何故そう感じ、そう見るのか、外側から見ているもう一人の
> 自分がいて、また、その外側にそれを観ている自分がいて・・・とい
> う何重もの目があるように感じられます。
>
> 「僕は芸術的良心を始め、どう云ふ良心も持つてゐない。僕の持つ
> てゐるのは神経だけである。」と、自分を追い詰め、「少くとも僕
> の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼん
> やりした不安である」という遺書を残して芥川は自殺してしまった。
>
> 鮮やかな、そして子供にでも通じる言葉で何編かの寓話を書いた
> とても怜悧な人、そんなふうに言葉を操ることができる人が、自分
> の中にある「ぼんやりとした不安」との戦いに、倦み疲れてしまっ
> たのでしょうか。


憶測だらけの考えの羅列↓ですが・・・。

「僕はどういう良心も持たない。」とは、はたして、、
どういうことなのでしょうか。気になります。

「良心」を辞書で引くと、「物事の善悪を区別し、悪を
避け善をなそうとする心」とあります。芥川龍之介は、
そういう善悪の基準とか、基準を作る価値観とか、ある
いはそれらから生まれる固定観念が、人の社会をおかし
くしているなどと思って危惧していたのでしょうか。。
そして、何か、自分を被験者にしてでも、「人間は固定
観念をはずすと、どうなるか?」などという実験を、小
説の中だけでなく、実生活でもしていたのでしょうか。。

と、こんなことを考えると、人は価値観なしには生きら
れないという結果が、彼の自殺によって、出てしまった
ことになってしまうのでしょうか・・・。

> 「自分の一番自信があるのは、人間としての自分である。特殊の人
> 間、専門的人間とせず、ただあたりまえの人間として、つまり幸福
> な楽天家としての自分に自信がある。」といい、「杜子春」が最後
> に望んだ理想郷のような「新しき村」で創り出そうと、実際に動い
> た武者小路実篤とは対象的ですね。

武者小路の言う「あたりまえの人間としての自分」とは、
これまた、むずかしい言葉です。人間の定義次第によっ
て、いろいろと捉えられる言葉です。
武者小路実篤が自らを楽天的であるということから勝手
に連想すると、武者小路実篤の人間観とは、「さまざま
な考えを持っているのが人間」で、彼の言う「人間とし
ての人間」とは「人それぞれ」であり、彼の言う自分と
は、「自分なりの自分」ということになるのでしょうか。。。

もし、そうであるなら、実篤は皆が違った個性がある
人間を人間として、そのままにしているのに対して、
その上に、芥川竜之介は、その人間達を普遍的にして
しまったら、一体どうなるのだろうかと、その先まで
実験してしまったような気がしてきます。

(これら↑も、私なりの想像の繰り返しなので、変だろうな。。。)


さて、ここからが重要だ・・・・

葛貫さん曰く:
> 久し振りに「蜘蛛の糸」を読んで、一番印象に残ったのは最後の一
> 節でした。
>
> 『しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。
> その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼
> を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好
> い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽ももう午に近くな
> ったのでございましょう。』
>
> 芥川が「蜘蛛の糸」で書きたかったのは、強盗をすることくらいしか
> 今日をしのぐ術を思い付けないカンダタに、かつて助けた縁がある
> 蜘蛛の糸を垂らしてみようというお釈迦さまの思い付き(?)にも、
> 他の人に降りろと喚いた瞬間、糸が切れてしまったという出来事に
> も頓着せず咲いている極楽の蓮池の蓮だったのかもしれないと、
> ふと思いました。

なるほどぉぉ〜。です。この最後の部分にも、
「何かがあるよな」とは思っていましたが、
こういう解釈は、まったく持てませんでした。。
葛貫さんに言われた後に考えてみると、ほんと、
まさに、そうだな〜と思わずにはいられません。
蓮というとんでもなく別世界の流れが、お釈迦様
の世界とも違って、「在る」という感じを感じます。
それって、なんなのでしょうか。。。

# 葛貫さんが、カンダタを表して
      「強盗をすることくらいしか今日をしのぐ術を
       思い付けない」と言ったことに敬服。。

> 地にうごめくいきものが朽ちてできた泥に根をおろし養分を吸い取り、
> 通り過ぎていった出来事に頓着せず、極楽の光の中で花を咲かせ、
> 千年後でも自分に都合のよい条件が整えば硬い殻を破って芽を出す
> 実を水底に残す蓮。柔かであっても冷か、ですね。

お釈迦様やカンダタの世界は、人間社会のことだという
ことなのでしょうか。。

> 「蜘蛛の糸」事件が起きた場で、一番、したたかだったのは、この
> 蓮かも(^^;。

(蓮は、宇宙の象徴なのかな。。。)

> 自分を切り刻むようにして書かれた芥川の作品も、この蓮が放つ
> 香のようなものなのかもしれませんね。
> お釈迦さまは、この香を嘉してくれたでしょうか。

もしかすると、「僕の持つてゐるのは神経だけである」と
言った芥川が、蓮だったということ?ですか。
     (そうだったのかぁ〜。。。)

> とりとめのない話になってしまいました(^^;。
> ではでは。

「蜘蛛の糸」は、長く私の心の底を流れてきたお話なので、
今回、ブルースカイに投稿したことで、このお返事を
いただけて、とても私は喜んでいます。
ありがとうございました。。

                ゲンゴロウ。。。

彼の見た「ぼんやりとした不安」とは、世界大戦をも
予感していたのだろうか。。。








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