[BlueSky: 4974] Re:4973  戦争でなくとも人は死ぬ


[From] "荻野 行雄" [Date] Wed, 19 Mar 2003 18:46:52 +0900

 鈴木さん

>荻野さん自身の、イラク問題での立場はどのようなものなのでしょう。
>分かりかねます。

 私の立場は、「戦争でなくとも人は死ぬ」というものです。
要するに、戦争は派手なだけではないのか。
 何れにせよ、現代社会が今後長続きする訳はないので
未来には全地球的に地獄が横たわっている可能性が高い。
 それを回避する方法があり得るのか、とにかくやってみる方が
優先順位が上だろうという考えです。

 したがって、駅前で一人でプラカードを持ったりはしません。
一人で山の中で作業をしています。足を滑らしたり、
木がこっちに倒れてきたりしたら死ぬかも、と思いながら。


 今回のように、世界的に大規模なデモが行われると、
そのデモ隊に阻まれて迂回した車両に轢かれるとか、
あるいは、迂回して病院に向かったため手遅れになったとか、
デモに無理して参加して体調を悪化させたとかで
すでに亡くなった方もきっといるだろうと思うのです。
 そういうことに思いを馳せることが出来る人間でありたい。

 いや、デモを行うべきではないと言っている訳ではありません。
デモを行うこと自体にも、犠牲を伴う可能性があり、
その覚悟をした上で、それだけの意味のあるデモを
行うのなら行ってもらいたいのです。

 今回もし反米だけでなく、反イラクデモ「も」行われていたら、
ひょっとしてイラク上層部の中にもフセインでは駄目だと考える人がでて
クーデターを起こしたかも知れない?
 あるいは、イラク国民自身の中に、圧制下であっても
現体制を支持するのは恥ずかしいと考える人が増えて、
政権を転換する力になったかも知れない??

 とりあえず、イラクに「人間の盾」で行っている人が
「反フセイン運動」「も」行っていれば、
そのような勇気ある民間人を、巻き込む危険の大きい攻撃は
行うべきではないという考えが、
もっと力を持ったのではないか。

 その方が戦争を止められる可能性が
少しでも増えていたのではないか。
と思ったのですが・・・

 現状では、むしろフセイン政権に、世界中が反米で
自分達を支持しているというようなことを言わせてしまっているようです。
国際社会の足並みも乱れてしまったし。
「デモの犠牲」に報いるだけの意味があったのかと・・


 もとより私には、ここ12年間何もしていないのに
最後になって口を挟むような、何の権利も、覚悟もありませんが。

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