[BlueSky: 4876] 補足


[From] Nobuya Tsuchida [Date] Wed, 19 Feb 2003 16:55:44 +0900

土田です。
少し乱暴にはしょってしまったかと反省しているのですが、以下にすこし補足し
ます。
1.環境は人間だけが持つ概念であること
 今突然全ての人間がいなくなったとして、動植物はその原因について解明しよ
うとはしません。
 これまで通り生きて行く訳です。
 逆にある種が突然いなくなったとしたら、人間はその原因を探る事でしょう。
つまり、環境という概念は人間だけが持つという事です。
 そしてそこに働きかける訳です。勿論ビーバーはダムを作りますが、それは単
純な生存という目的の為です。
 従って人間がいるから環境という概念も出てくるという事です。だから人間は
偉いなどといったら大違いだという事は言うまでもありません。
2.生態系について
 基本的に自分以外の外界は全て環境たりえます。同じ人間同士でも実は人の心
の中は分かりませんし、自分が生きて行く中で見聞きする事全ては環境足りうる
と考えても良いでしょう。
 しかし、このままでは只の言葉遊びになってしまいます。そこで様々に定義を
しようとする訳ですが、同じ事を表と裏から言い合っているという事も多々あり
ます。
 例えば「保全」と「保護」についてですが、自分達の考え方に沿った環境の姿
をイメージするという点においては余り差がありません。
 特に見ていて理解に苦しむのは「鯨」の保護です。昔から「鯨」の天敵は恐ら
く人間でしょう。最近シャチが子鯨を襲うというシーンをTVで見ましたが、これ
を可哀想という観点で見る事も出来ますが、鯨やイルカなどの狩猟は中々に凄惨
なものです。
 これを「保全」「保護」の立場で解説するとどうなるのでしょう。
 環境には人間社会の中での環境と自然環境の二つが存在する事は知られている
と思いますが、動植物にとってはどちらかと言うと自然環境の方が意味が大きい
でしょう。しかし、犬の様に人間との関わり方の深い動物等の場合、本来存在す
る筈が無いと思われる社会的な環境がひょっとしたらあるのではないかと思えます。
 私はムツゴロウに関して例示しましたが、これはムツゴロウの事はムツゴロウ
が決めると言う意味合いです。人間が作ってしまった環境によってその生存を危
うくされている多くの動植物に関しては、その環境が修復可能であるかどうか、
違う方法があるかどうかに付いては検討されてしかるべきです。
 しかし、不幸にして絶滅を免れないであろう種に対して、必要以上の干渉を行
う事が果たして正しいのかどうかという検討もされてしかるべきだという事です。
 私は環境と言う言葉よりも生態系という言葉を好みます。それがきちんとサイ
クルとして成り立っているかどうか、そして我々がその中でどれくらいの糧を得
る事を許されるか、その検討が必要なのではないかと思えます。
 生態系のサイクルの中で、得られるものを有効に利用するという考え方に立っ
た時、バイオマスなどに注目する必要が出てくることでしょう。
3.海洋深層水の事
 海洋深層水について例示したのはこの件について誰も発言を行っていないとい
う事と、この問題を問題として捉えていない人が多いだろうと言う考えからです。
 この水が海洋の中でどのような位置付けをされているか。この水の採取によっ
て生態系に影響はあるのか。これを良く確かめもしないで採取する事が、果たし
て許されるでしょうか。
 相手が人間であった場合、アクションに対してリアクションが無いという状態
はあり得ます。
 しかし、生態系に関しては起こしたアクションに対するリアクションは必ずあ
ると考えるべきです。それも厄介な事にこのリアクションが何時どれくらいどん
な形で返ってくるのか、予想できる人は殆どいないでしょう。
 もし、それが出来ていたなら我々は様々な奇形の子供を(人間だけとはかぎり
ません)見る事はなかった筈です。
 深層潮流についてはNHKでも取り上げていましたが、海に関して軽軽しい干渉
は極めて危険かもしれないのです。
 人間にとって利用価値があるかないかという目先の話は、遠くのリアクション
を何も考えないから起こるのだという事について今の世代の人は責任を持つべき
なのです。

 但し、私は何でもかんでもいけないという類の環境保護団体の様な偏屈とは違
うつもりです。
所詮、人間が生きて行くに際しては、多かれ少なかれ何かを犠牲にするのです。
だからこそ、その犠牲を小さく、そして私達が頂く多くの動植物に感謝はしない
といけないなと思うのです。




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