[BlueSky: 4550] 複雑系。人間の対処の限界。私たちの住む世界。


[From] "gengorou" [Date] Wed, 11 Sep 2002 23:53:27 +0900



こんばんは、ゲンゴロウです。
「複雑系」ってなんだろう?と思って調べている
先から、考えてしまいました。


************************************************
複雑系。人間の対処の限界。私たちの住む世界。
************************************************


【複雑な世界】

 人間が、ある一つの物に対して、あることをしようとしても、ある
物はけっして思い通りにはならない。

 甘い水が欲しくて水に砂糖を入れた場合に、水は思い通りに甘くな
る。これは今までの科学の考え方である。しかし水と砂糖という因子
以外の事柄を考えると、たとえば、もしも甘い水を好む動物が現れて、
その水を飲んでしまったなら、甘い水はなくなってしまう。これは、
「複雑系(※)」的な考え方である。

 「複雑系自体を考える」ことは大変に難しいが、「複雑系とは何か?」
は、さほど難しいことではない。たとえば、ある物にある事を為した時、
別な物事が誘発されてしまい、その誘発された物事によって、ある物は
さらに変化してしまう。これが複雑系の姿である。あるいは、ある物に
あることを為すと、それとは別に、副産物的な現象が生まれ、その副産
物的な現象が巡り巡って、ある物をさらに思わぬ物に変化させてしまう
というような、思わぬ事が起きる事までを想定することが、複雑系的な
ものの考え方である。(※複雑系については最下段を参照)

 「春風が吹けば桶屋が儲かる」という小咄も、ある意味「複雑系」
的な考え方であるように思える。


【生きている系】

 ある世界(←領域、集合、社会、環境などという意味)を考えた
場合、その世界の内部の物事同士には複雑な相互影響がある。この
時その世界全体が一定の安定した営みを為している場合のそれを
「変化の少ない安定した複雑系」と言うなら、その最たる例は生物
(生命体)であると言えるような気がする。

 また、地球という星、それ全体を考えた場合、その中にいる生物
が生物として存在していることを考えると、地球という星も「変化
の少ない安定した複雑系」と考えることができる。

 「変化の少ない安定した複雑系」を想定する場合、その系の内部
に変化があることが前提である。全体として「変化の少ない系」で
も、その内部自体にも変化がないのであれば、当然、全体としては
安定している。しかし、その場合、それを複雑系とは考えない。そ
れは複雑系とは区別して「変化が停止した静的な系」と呼ぶことで、
「複雑系」とは区別して考えたい。(思考実験の為に・・・)

 前者の系を「生きた系(世界)」と呼び、後者を「死んだ系(世
界)」と呼んで区別してみたい。そう呼ぶことで、分かってくるこ
とがある。。。。
 地球は「生きた系」であり、月などは「死んだ系」と考えること
ができるようになる。さらに「生きた系」とは、自立し安定した変
化が、その内部の複雑系によって支えられている系であり、「死ん
だ系」とは、内部の複雑な変化が、その総体である全体を「生きた
系」に導くことが出来なかった系であると考えることが出来るよう
にもなる。
 さらに、私たちが「安定した系」を求めるときに、その内部を死
に至らしめて全体の安定を図るというような、たとえば暴力とか強
制・支配といった様な「安直で愚かな行為・方法」も避けることが
できる。「生きた複雑系」とは、内部の物事が活き活きと活動して
いなければならないことが分かる。

   余談:月と地球を一つの世界(領域)と扱えば、月の引力が
      地球の万物に及ぼす影響が考えられ、その影響によっ
      て地球に生命体が誕生したというこということも加味
      されるので、月と地球の世界は「生きている系」と考
      えられる。

【脳の限界】

 脳・・・・人間の脳が、外界の、「生きた系」の内部の相互影響、
相互作用を知っているならば、たとえば、地球とか自然とか人体と
か生物という系の内部の複雑な相互作用現象を知っている場合には、
その脳には、その系がある程度、作られ、さらにその複雑な相互作
用を言語化できる言語方法がなくても、脳自体は、その複雑系(自
然、生命体)などの現象を理解できている可能性がある。
 この時、人間は、自らの脳に素直に従うことによって、複雑系に
対処できるかもしれない。

 しかし、残念なことに、実は、人間は複雑な脳の仕組みを具体的
に意識として知ることは出来ないのではないだろうか。

 その原因の一つは、脳自体が脳を知るという不可解なことのせい
だからである。簡単に言ってしまうと、構造から生まれる現象は、
自らの構造を越えることは出来ないということだろうか・・・。

 もう一つの理由は、脳という複雑系が誕生するときに模範とした
外部環境を、コピーである脳は越えることができないということが
考えられる。脳は多くの生命体が織りなす自然とか、あるいは多く
の人間が織りなす社会という複雑系に対応するために、それらを模
範することによって作られてきた。「外部の複雑系によって作られ
た」脳では、模範とした外部の複雑系と同じ程度の複雑な物事を理
解できる段階まではなんとかなるかもしれないが、故意に「外部の
複雑系」の内部の諸反応の一つ一つまでを理解して、さらに、それ
らを明解に語ることはできないように思える。

 特に、社会、経済、自然環境という複雑系において、人間の脳は、
その要素になっているので、脳がその複雑系を理解し、何事かを始
めた場合、複雑系はさらに変化を遂げてしまう。

−−−

 人間は、このような状況の中では論理的には対処出来ないので、
脳の出した答えを素直に聞くしかないのかもしれないが、しかしな
がら、このようなことも理想でしかないような気がする。

 脳が、外部の複雑系の内部の相互作用の全てを知っていなかった
場合においては、その脳自体が複雑系としては「正常」な「生きた
系」とはなっていないので、「死んだ系」の方向に向かってしまう
可能性が大きい。その場合、その脳の出す答えに従うことは、人を
「死んだ系」に向かわせてしまうことになるだろう。さらに、人と
いう存在が、「自然」に対して大きな影響をもっていることを考え
ると、「死に向かう方向性」を、今、生きている系に持たせてしま
うかもしれない。


【人間の営み(外界対応)】

 こう考えてくると、脳が、外部の複雑系によって作られていると
するなら、外部以上には複雑になることはできないという、絶体的
な宿命(条件)が脳にはあることになり、人間は自らの出す答えに、
安易に、うなずいてはならないのかもしれない。

 もっと極端な言い方をしてしまうと、論理、あるいは思考は、
漠然とした「気づき」や「感性」に勝ることができない可能性があ
る。さらに言い換えると、感性、いや、ただの感性ではなく、多量
の情報に裏付けされた優れた感性こそが、脳がなんとか到達できる
外界対応の限界かもしれない。

 これらのことは、私たちを取り巻く複雑系というものに対して、
もしも「人間の理解が到達した」あるいは、「到達できる」と考え
たなら、それこそが間違いであるということを示唆・予言・暗示し
ているような気がする。ただし、なんとか不確実な複雑系に対処し
ようとする人間の営み(外界対応)自体は、複雑系への聖なる挑戦
(聖戦)と考えてよいのかもしれない。

【人類の挑戦】

 さらに考えを進めてしまうと、私たちに「聖戦」とか「正義」な
るものがあるとするなら、それは、私たちを取り巻く複雑系への挑
戦かもしれない。そして、挑戦の過程で生まれた答えが、もしも、
「複雑系に添う」という答えであった場合には、私たちはそれを実
行しなければならない。期せずして、この場合の答えは、私たちの
脳の持つ方向性とまったく同じである。私たちは私たちの「思考す
る脳」を正常に作り上げることが、私たちの聖戦なのかもしれない。

 別なことを言ってしまうと、人間社会にある物事(文明、科学、
学問など)は、脳が作り出した複雑な「複雑系の要素」とも考えら
れる。私たちは、脳の好奇心に逆らって、物事を「あまり見ようと
しない」ということも大切なことかもしれない。・・・と、私には
耳が痛い話しになる。

                       gengorou


−−※ 参考(インフォシーク現代用語2001より)−−−−−

複雑系(complexity system)とは・・・

 複雑系は、経済学の領域で使われはじめた考え方で、最初
は現代の複雑な経済現象を解明するために用いられたもので
あったが、現在ではあらゆる分野で有効な理論として使われ
つつある。
 基本的には、原因・結果の関係についての従来の考え方が、
ひとつの原因に対応するひとつの結果という単純な関係の設
定であったことに対する批判である。「複雑系」では、ある
場所に起こった小さな出来事が、その周辺にある多様な要因
に働きかけ、それが複合されて、しだいに大きな影響力をも
つようになり、遠く離れたところで事件の原因になると考え
られる。
 これが複雑系の基本的な考え方である。したがってこの考
え方の前提になるのは、まず第一に相互作用・相互浸透とい
う働きである。

 ひとつの存在は、常に他の存在に働きかけ、その能動的作
用が相手の反応を引き起こし、それがまた自分にも帰ってく
るという、能動・受動の運動の反復が複雑系の基本にある。
また、第二の前提として、そのような相互作用・相互浸透を
可能にする、一種の開かれたシステムが必要である。現代世
界は、さまざまで複雑な要素が多様に絡み合って成立してい
る。
 複雑系という考え方は、このような現実世界に対応して必
然的に生まれたものである。

−−−−−参考引用は以上−−−−−−−−−−−−−−−−



□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
GENGOROU
ホームページ http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/
メールアドレス gengorou@m08.alpha-net.ne.jp
   人間物語・・・存在・時間・意識
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/book/ningen.htm
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。