[BlueSky: 4480] Re:4479 持続可能な開発


[From] "Y.kuzunuki" [Date] Mon, 15 Jul 2002 12:22:18 +0900

こんにちは、葛貫です。

阿部さんwrote:
>  『要らないモノを貰ったのに、アリガトウなんて言えない』

↑というようなことを、阿部さんに、書いたのは私です(^^;。
今回の投稿のさわりのところを私信で拝読して、
昨年、読んだ糸井重里さんの「吐く」というコラム
http://1101.com/darling_column/3_0716.html に、
こんな http://1101.com/readers/2001-08-05.html 
感想を書いたな、と思い出したので、反論というより、
こんなことも関係あるのではと思って書きました。

わかりやすく、丁寧に整理されている「開発と環境問題」に関する
阿部さんのお考え、拝読致しました。

阿部さんが考えていらしていらしていること、全体をうかがわない
うちに反論にとれるものをキーワード即応型で送ってしまいました。
ごめんなさい。
Yoshimuraさんが、その場に立ち会われていたら、「人の話はよく
聴けといってるだけです」と言われちゃうだろうな(^^;。


「持続可能な開発」で思い出したのですが、今日の午後2時、議会から
不信任決議を受けた長野県の田中知事が対応を発表するんですね。

>  要するに、人件費と技術が高い日本人は産業における独創性の部
> 分を担当すべきで、独創性を担当できない人々は独創性を担当し得
> る人々にぶら下がる、ないしはそれらの人々の世話をする、という
> 形になるのでしょう。

↑を拝読して、この騒動は、工事を受注するかもしれない関係者が
本気で代替法を開発しようとせず、「治水はダムで」という、ある
程度完成され、それ程、独創性を必要としない工法にこだわりつづ
けたことも、一因であるように思われます。

これは、【4470】の横山さんの
> 彼らも「同じ利益を出すにも、
> やはりみんなに喜ばれることをしたい」そうですよ。
とも、関係すると思うのですが、そこで生活している人が、本当に
ほしがっている「質」は何なのかとらえ、かたちにする努力を怠って
いる、いや、むしろ、これをあげるよ、と、受けとる相手によく考える
暇を与えず、自分があげたいものを相手に押し付けているようにも
感じられます。

>  と言う訳で、私なら、要らないモノは受け取った後で、捨てるか、
> 誰かに上げてしまうか、売るか、します。嫌いな人からだったら、
> 初めから貰いません。自分に有用であれば自分で使いますが、誰に
> とっても無価値であれば捨てるしか無いし、自分の周りの誰かに有
> 用であるなら、その誰かに渡すべきでしょう。

技術なら、必要としているとこで使ってちょうだい、と言えても、
移動させられない物は、捨てたり、あげたりできないですね。

マーケティングが下手なところ、というか、受け手とコミュニケー
ションをとり、自身も変化して行かないところは、いずれ、消えて
行くことになるんだろうな、と思います。

今回の不信任決議に関わる報道の中で、一番、心に残ったのは
「<長野知事不信任>「民意は一貫」 田中知事インタビュー」の
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020711-00000163-mai-pol
*******
・・・・前略
 ◆一昨年秋の長野県知事選は、「官と民」の対決と言われた。
でも、「官」側の1人ひとりも、住宅ローンを抱え、家族を愛する市民。
会社、組合、政党、派閥。さまざまな鋳型に組み込まれ、親分から分け
前をもらうために身過ぎ世過ぎの努力を重ねる。だが、それで幸せなのか。
3階の旧知事室へ「長野詣で」を繰り返していた県内の市町村長や議員も、
そうした犠牲者だった。私は、県民一人ひとりが自律的に判断し、行動
する長野県を目指してきた。そこが今までの官対民、権力対反権力の
二元論的な考えとは違う点です。

 ――その「理念」自体が、県議側にはまるで理解されず、
秩序の破壊者と映るのではないか。

 ◆壊すんじゃない。民主主義を組み立て直す、と言ってきたのです。
今、長野県内で進行中の現象は、組織を超えた個人の地殻変動です。
近代ニッポンでは初めての。だが、「教養」を修めた人々の方が、
その意識改革についていけない。
・・・後略
*********
という一節でした。


昨日(7/1)の朝日新聞に「ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めて
ゆくんだ」 加藤典洋/[著] 出版社:クレイン;平原社という本の
*****
一人で立ち止まり考え続けること。それはとてもいいことだ。と、
誰もが口にするが難しい。・・・中略・・・交差することのない二元論。
善と悪の二元論を前に徒労感に襲われる。橋を架けることは出来る
だろうか。初めに大義、がありすぎる。大義に身を寄せると気持ち
がいい。深く考えなくてもいいから。そうであってはならない。
日々の淡々とした暮らしへの眼差しが大切なのだ。自分の生活の楽
しみを見つけ、その場所から遠く飢えて死んでいく人を思いやる。
少しずつでしか埋らないものがある。
・・・後略
******
という、中川六平さんの書評が載っていました。

須賀さん【4522】の
> そして一般論として、ものごとをあまり
> やすやすと信じるよりはクールな判断の目を一方でもつ
> ことも大事だと思っています。けれども、環境問題について
> は、単に「懐疑的」であるだけでは十分でないとも感じて
> います。
というコメントを思い出し、長野県の方々は、どのような選択を
なさるのだろうと、自分だったらどうするかな・・・等々と思いながら、
先程まで、小田和正さんのアルバム「個人主義」の“the flag”
を聴いていました。
相も変わらず、眺め、考えています(笑)。

ではでは。


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