青空MLの皆様
お久しぶりです。漂泊の乞食坊主、横山です。
水が日本語を読めるという話から始まって、自動車の話まで大変興味深く拝読させて頂
きました。決して小さいとは言えない労力や勇気を出して発言して頂いた方々に心から
感謝致します。
私も何とか混乱のアルゼンチンから帰国いたしまして、報告書や溜まった原稿の山と格
闘(実はまだまだ継続中・・・)やっと少し自分の時間が出来ましたので存念を少しだ
け述べさせていただきます。溜まってましたので、長文になりました。その割に例によ
って大したこと書いていないので忙しい方はスキップしてください。
あと私からの原稿が遅れて困っている方がこの中に居られましたら、予め謝ります。
水の話
本屋さんで話題に上った本を見つけて読みました。20分くらいで読める分量でした。
水にも感謝の言葉が判ると言うのは驚きでした。これからは水を飲むときは「有り難う
」と言って飲むことにしようと思います。アルゼンチンでは洪水に遭ったりしましたが
、水が有るのは有り難いことです。北京には既に100キロ余りのところに砂漠が迫っ
ています。この冬は北海道まで大量の黄砂が降りました。北京では呼吸が困難に成る程
だったとか。悠久と表現された黄河の流れが途切れてしまいました。FAOでは、中国の
食料生産の70%は灌漑農業であり、今後更に20%以上の農業用水が必用になると予
測しています。中国食料受給には非常に危機感を持っているので、日本への影響を危惧
せざるを得ません。あの国が溢れる悪夢に今もうなされることがあります。
日本は取りあえず水が豊富で本当に良かったと思います。感謝しても余りあります。
自動車の話
巌さんの分析面白く拝読しました。確か同じ様な内容を中澤さんもH技研の「次世代の
移動体技術」に関する懇談会の中で述べていましたね。私も全く同感でした。以下は、
私が情報通信技術に関して「農業情報利用誌」に載せた一文の抜粋です。ご参考まで。
***ここから****
元来技術は人間の身体機能を補い、更に拡張することを使命としてきた。しかし、実際
起きたことは、仮想の身体機能の拡張と引き替えに実体の身体機能を萎縮させた。車と
言う移動技術を例に取れば容易に理解できるだろう。車のお陰で一日に数百キロの移動
機能を手にしたが、その見返りが肥満と高血圧に萎えた足だ。情報通信技術が拡張する
のが我々の情報収集力や直感的判断の元になる感性であるなら、見返りが萎えた感性な
どまっぴら御免だ。その意味からも、今回銘打った「分散頭脳」では感性を萎えさせな
い、むしろ鍛える情報技術を目指そうと思う。
***ここまで****
最近はこれ以上に、車という道具の特殊性(或いは魔力)を良く考えることがあります
。
端的に言うなら
・車にはもの凄いパワーがある。
・人間の思いのままに動かすことが出来る(少なくとも運転者はそう信じている)
「大きな力を思い通りにする」人間の根元的な願望ではないでしょうか。銃器などの武
器と相通じる面があると思います。両者とも使用者の人格を変えますよね。日本では年
間1万人に人間がこの技術のお陰で死にます。加害者の人生も大変な被害を被る訳です
から、単純に見て倍の人間を不幸にします。両方の家族を含めると少なく見ても年間1
0万人の方が毎年不幸に成っている計算になりますね。成人病への貢献は大でしょう。
どうしてそんなに好きになれるのか解りませんね、私には。
でも、人間の根元的願望がドライブする技術をコントロールは非常に難しいと思います
。
そこで、希望者には正当な対価を払って使って頂いた方が良いと考えます。
例えば、燃料代ですね。今のガソリン代は安すぎると思います。
今は燃料の種類で値段が決まっていますが、車の種類、使用方法などによって単価を変
えるのは如何でしょうか?自動車保険、最近は生命保険にもそう言うの有りますよね。
違反や事故の頻度によってどんどん値段が上がる。ハイパワーで燃費が悪いのに一人し
か乗らない無駄な使用例には、馬力当たりの積載加重が少なさに比例して多く頂くなん
てね。違法改造や排ガス対策の遅れた車にも割増料金でお願いします。と言う具合。
物流用で、環境対策を施した車には安くする。色々アイディアは出るのでは。そうやっ
て集めた資金は環境対策や社会福祉に充当する。
知性の話
他者の知性を云々するのは全く不遜の限りですね。知能は測れても、知性は測れないと
言う言葉を読んだことがあります。そう言うことを何の臆面も無く口にする人こそ「無
知の知」と言う言葉を学ぶべきですね。自分が何であるかも知る機会を無くした可哀相
な人なのです。許して上げましょう。私は自分が考えたことも無いことを聞くたびにワ
クワクします。でもいきなり信じたりしません。どんなに自分の直感に合わないことも
「もしかして本当かも知れない」、逆にどんな偉い人の言葉も「本当だろうか」と考え
てしまいます。これは私の性癖ですね。こう言う性癖の人はもしかしたら不幸かもしれ
ないなと自分で思うことがあります。
ただ、小さい頃から「耳で聞いたことの奥を訊き、目で見えるものの奥を観よ」と教え
られて育ったもので今更変わらないですね。
環境を考えるということ
私は環境とは私たち一人一人を取り巻く無数の縁(えにし)の総体だと考えています。
ですからここでこうやって議論している人々とも縁があるのだと信じています。環境と
言うことを意識する以上一人として、他の生き物一つとして無関係なものなど無いのだ
と思います。そう思うからこそ、決して少なくない労力と勇気を出してMLに参加して
いるのでは有りませんか?
水にさえ感謝の言葉が理解できると言う素晴らしい感性をお持ちの方々が、他者に暴言
を吐いて良い訳がありあませんね。だってその本人も、相手も70%は水だと聞きまし
たよ。これからも是非私の中の水が喜ぶような場になることを祈りたいと思います。
では
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