[BlueSky: 4361] Re:4348 なぜ自動車を手放せないのか


[From] "gengorou" [Date] Thu, 6 Jun 2002 01:15:04 +0900


こんばんは、ゲンゴロウです。


巖@桃山さんの「拡張された身体」を読んで、「そうだ
った。。」と思い出しました。私の本「人間物語」にも、
似たような内容があります。参考になればと思い引用し
ます。宣伝にもなってしまいますが、環境問題は、その
主体が、やはり人間なので、人間のことを避けては通れ
ないと思いますので、自分の本の引用をお許しください。

−−−引用(人間物語 第12章より)−−−−−−−−−−

(意識と道具)
 私は、ここでも人間が人間の脳の中に誕生した「体のない
存在である意識存在」として話を進める。前にも話したよう
に、私たちは脳の中に、意識として誕生して以来、自らの肉
体を最初の道具として使い始めた。そして私たちは、すでに
長い間、無意識に肉体を利用してきたため、今、その事を全
く意識していない。人間の脳は同じ行為を何度も繰り返すこ
とで、その行為を無意識に行うことが出来るため、私たちは
それを認識しにくくなっており、私たちは自らの肉体を道具
であると認識することが出来なくなっている。しかし、肉体
こそ意識存在(人間)にとって、最初の道具だったのである。
 この意識存在(私たち)は、物だけではなく生物も道具と
して使う。植物はもちろんだが、動物をも家畜として労働力
に使用したり、乳製品を摂取するために飼育したりしている。
さらにその延長上で、人間は人間をも道具として使用してい
る。現在、「意識存在」による人間利用は法律によって規制
されているので、人間を家畜や奴隷のようには扱っていない
ようであるが、もしも規制がなければ、人間は人間を道具と
して扱う。さらに私たち「意識存在」は、人間個人だけでな
く人間集団をも道具として利用していると言える。第一部で
人間が道具を利用できるようになった過程を考えた時に、
「意識存在(人間)は道具の外にあるのではなく、自らが道
具の一部になることで道具を利用している」と、私は言った
が、そのことを思い浮かべると、私たち「意識存在」が人間
集団を道具として利用する状況では、実は、使う側の意識存
在(人間)自らが、使っているはずの道具である集団に取り
込まれるという現象が起きてしまう。

(大型機械の操縦) 
 私たち「意識存在」は、反応するものの存在に気がつき、
それをコントロールする。人間が自分以外をもコントロール
出来る例として、大型機械の操縦について考えたい。
 建設現場で動く建設機械を思い浮かべてもらいたい。たと
えば、大きな穴を掘る時に使うパワーシャベルだが、運転手
(オペレーター)は、自分の手足のように大きな機械を扱っ
ている。前に、私は、サルと環境の関係について、人間と道
具との出会いは、私たちの祖先が「環境に取り込まれる」こ
とから始まったと話した。私たちが道具を使えるようになっ
たのは、まず、私たちが外界と同化し、自分の肉体と外界と
の隔たりがなくなったことで、私たちは物と一体になったた
めである。実は、今でも、私たちは物を道具として使ってい
るとき、物を使っているのではなく、私たちが物と同化して
いるのである。その状況を視覚的に他の者が見ると、まるで
人間が機械を巧みに使っているように見える。
 パワーシャベルを使っているとき、人間は自分の肉体とパ
ワーシャベルとの隔たりをなくすことで、大きな機械をも扱
えるようになる。決して、自分と物とを分離させて、意識的
に操作をしているわけではない。パワーシャベルを自分の体
のように感じ、無意識に操作している。車を運転する人なら
ばこの感覚が理解できるであろう。物を使うのが上手でない
人は、物や他に同化しにくい人だとも言える。

(意識の拡張)
 私たちの意識が、無意識に自分の体の枠を出て外界に及ん
でいるというこの意識の現象は、言い換えると、意識存在で
ある人間の意識は、自分自身の内には留まっていないという
ことを意味している。その意識が及ぶ範囲の基準は、思うこ
とで動かせる物まで範囲のようである。たとえば、もしも、
私たちが、四十メートル離れた立ち木の枝を、私たちが見つ
めるだけで自由に動かせたら、私たちの意識は、その立ち木
にまで及んでいると思ってしまう可能性がある。また、実際
には動かせなくても、動かせると思い込むだけで、私たちの
意識は、その動かせるという部分にまで及んでしまう可能性
がある。しかしながら、私たち人間は見つめるだけで物を動
かせないので、自由になる体までを自分自身だと思い、自分
の意識は自分の範囲を超えていないと思っている。つまり、
私たちは有意識においては、自分自身はこの肉体としながら
も、一方では無意識に自分をはみ出し始め、意識が及ぶ範囲
にまではみ出しているのである。
 私たち意識存在は、自分が影響を与えられる環境を無意識
に自己の存在の一部だと認識してしまう性質が備わっており、
無意識に肉体外の環境(道具や集団)に意識が及んでいる場
合、「意識存在」は、その範囲までの大きさを持っている可
能性がある。

−−−引用おわり−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ゲンゴロウ
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   人間物語・・・存在・時間・意識
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