[BlueSky: 4322] Re:4321 「環境問題」と「時間と空間」と「人間」と・・・・・


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Sat, 1 Jun 2002 10:47:10 +0900

おはようございます、葛貫です。

今日から6月、水無月ですね。
紫陽花、紫露草、花菖蒲、ホタルブクロ等々が咲き始め、
田んぼにも水が入りました。
昨日、千葉で蛍が舞い始めたというニュースを聞きました。

3月には頼りなげだった新芽も、若葉の時期を過ぎ、もう、
当たり前の葉っぱになってしまった(笑)。

小宮さんwrote:
> だから表向きには自分の今の生活のため、とか人類が
> 存続していくため、とかいう理由の方が意見の合意は
> とりやすいのかもしれません。
>
> (もちろん人類の存続という理由も、今ではかなり重要な
> 問題になってるんでしょうけど。)

庭の地面に茶色く積み重なっている常緑樹の落葉を見、
小宮さんの↑を読んで、河井酔茗の「ゆずりは」という詩
を思い出しました。
# 小学校の国語の教科書に載っていませんでしたか?

  『ゆずりは』  河井 酔茗

  こどもたちよ、
  これはゆずりはの木です。
  このゆずりはは
  新しい芽ができると
  入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。

  こんなに厚い葉
  こんなに大きい葉でも
  新しい芽ができると無造作に落ちる、
  新しい葉にいのちを譲って――。

  こどもたちよ、
  おまえたちは何をほしがらないでも
  すべてのものがおまえたちに譲られるのです。
  太陽のまわるかぎり
  譲られるものは絶えません。

  輝ける大都会も
  そっくりおまえたちが譲り受けるものです。
  読みきれないほどの書物も。

  みんなおまえたちの手に受け取るのです。
  幸福なることもたちよ、
  おまえたちの手はまだ小さいけれど――。

  世のおとうさんおかあさんたちは
  何一つ持っていかない。
  みんなおまえたちに譲っていくために、
  いのちあるものよいもの美しいものを
  一生懸命に造っています。

  今おまえたちは気がつかないけれど
  ひとりでに命は伸びる。
  鳥のように歌い、花のように笑っている間に
  気がついてきます。

  そしたらこどもたちよ、
  もう一度ゆずりはの木の下に立って
  ゆずりはを見る時がくるでしょう。

              「花鎮抄」より

河井酔茗が生きたのは1874〜1965年
1945(昭和20)広島・長崎に原爆/ポツダム宣言受諾/
       日本無条件降伏
1946(昭和21)天皇の人間宣言/日本国憲法制定公布
酔茗の詩集「花鎮抄」が出たのは1946年(昭和21年)

戦後の復興の黎明期、一生懸命に造り、育てるるべき
「いのちあるもの、よいもの、美しいもの」を具体的に
イメージしやすい時代だったのでしょうね。

飢えが満たされ、物的にも必要が満たされ「ほしい物が
ほしい」という贅沢な時代を経た今、次に造り、育てる
「よいもの、美しいもの」のイメージが具体的に浮かん
でこないように思われます。

二酸化炭素の排出削減とか、環境の保全に関わる問題は
ひとの生活水準が衰退するというイメージの中で語られる
ことが多いように感じられます。
酔茗の時代の希望の象徴であった「輝ける大都会」にかわる
ライフ・スタイルが提示され、それを手に入れるために、
という話にできたらいいのに、と思います。

「4つの社会・経済シナリオについて−「温室効果ガス排出
量削減シナリオ策定調査報告書」−」
http://www.env.go.jp/press/press.php3?serial=2696

「A1:世界市場主義シナリオ」「A2:地域・伝統重視シナリオ」
「B1:環境技術牽引シナリオ」「B2:新地域自立シナリオ」

というのは、一ノ瀬さんが仰しゃるように、かなり都合のいい
仮定を置いていて、あまり当てにはならないし、即効性は期待
できない。でも、どういう未来を望むかというイメージをふくら
ませる叩き台にはなる。望む未来のイメージが定まって来たら
具体案をたて、それに伴う「痛み」を引き受けやすくなるの
ではないかと思いました。
どのようなシナリオを選ぶにしろ、「いのちの木」が生存して
行ける環境は保全しようという合意は得られるのではないかな、
と思われます。
でも、その判断の基礎となるところで「懐疑的な環境保護論者」
論争が起きているのか(^^;;。
な〜んかなぁ、という感じです。




▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。