[BlueSky: 4295] 京都議定書を批准しても対策は幻


[From] Sato [Date] Wed, 29 May 2002 23:47:18 -0400

佐藤@ミシガンです。
最近このメーリングリストは盛り上がりを見せているようですが、個人の物事の捉え方に話が偏っていてイマイチ興味がわかないので、コメントを避けていました。教育にしろ、環境にしろ、個々人の物事の捉え方、理解の仕方が総論を決めていくのかもしれませんが、他人に理解させるより、事実や証拠を基に自分の理解を深める方向に興味があるので、ほとんど読んでいませんでした。ま、何でもありのMLですので、気楽にやりましょう。

話は変わりますが、団藤保晴氏の「インターネットで読み解く!」で、とても分かりやすい京都議定書の解説が載っていました。
http://www.dandoweb.com/backno/20020530.htm
これなどを読むと、如何に日本政府が深謀遠慮なしに政策を決めているのか分かる気がします。自分で自分の国の首を絞めるような事をしてるんだなぁと理解してきました。国民の個人個人の受け取り方や、意識を問題にするのではなく、国としてどうすればよいか問う姿勢はさすがジャーナリストだなぁと思いました。

最近ちまたで話題になっている本に、The Skeptical Environmentalist (Bjorn Lonborg)というのがあります。著者は新進気鋭の統計を専門とするデンマークの助教授なのですが、その本では様々な論文や統計データを検討し直して、「環境は悪化していない、それどころか人間に適した方向に向かっている」と結論しているのです。もちろん、サイエンティフィックアメリカなどの雑誌で批判されたり、討論会で議論されたりしているのですが(http://www.sciam.com/2002/0102issue/0102skeptical.html
http://www.sciam.com/explorations/2002/041502lomborg/rennie.html
こういう”皆が当然だと思っている事”に疑問符を突きつけ、検討し直すことが出来るのは、非常に健全な事だと思います(もちろん根拠を提示して)。

「科学は演繹と検証だ」というような発言があったかと思いますが、「仮説」を立て、「演繹」により実験可能な現象を「検証」するのは、科学の半分にしかすぎず、分野によってはただの実験屋の仕事にしか見られかねません。ニュートンやアインシュタインが偉大なのは演繹により各々の説を実証したからでなく、観察から多くの現象を説明出来る仮説を立て、その後の批判に耐える事が出来たからです。生命や地学分野の多くは「観察」から「帰納」して、仮説を立てる方が主です。仮説を検証する実験は不可能な場合が多いのです(例えば進化の検証)。環境科学も観察から帰納するしかなく、予測という演繹的なことに対してはまだ不十分な科学という感じです。


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