[BlueSky: 4289] Re:4286 特殊な意見かも


[From] "gengorou" [Date] Thu, 30 May 2002 00:23:12 +0900


こんばんは、ゲンゴロウです。
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【稲垣さん】
>  [4267]の行きがかり上、その後の「捕鯨」に関する皆さんの
> ご意見をPCで仲間内で見せておりました。
>  MLの参加者で無い人間の意見を送るのもどうかと思ったので
> すが、取り敢えず。

参加してしまえば、参加者ですし、
多くの方の意見を聞くのがこのMLの趣旨ですので、
とてもいいことだと、私は思います。

また、稲垣さんの御大将は、その意見を読みながら、
人間的に厚みのある方のように感じました。
その道の方の意見をお聞きできたことうれしくもあります。
ただ、それに甘えながら、私も、私なりのレベルで
自分の考えを言わせていただきます。
失礼を許して、お読みいただけると、助かります。

−−−−−−−−
【御大将】
> 『前略
> 大正生まれの老骨が、今更若い方のお話の場に口を挟む
> べきでは無いかも知れませんが、一つだけ、意見を言わ
> せてください。

経験を多く積んだ人の意見は、貴重だと思います。

>  ゲンゴロウさんの
>>「クジラを食べるなら、人間もミンチにしてクジラに
>> 食べさせなさいと平等ではない」のかなぁ〜とか、
>> それとも、「人間のエサとして全ての生物は平等で
>> ある」ということになるのか?などと、頭がこんが
>> らがってきます。どちらにしても、私には、難しい
>> 問題になってしまいます。
>
> について、たしかに難しい問題です。
> 稲垣君がどんな回答を寄せるか、今のところ判りかねます。
> これから書くことは私の個人的な、しかもかなり極論なので
> 無視されても構いませんし、反論も多いでしょうが、「人間
> の餌として全ての生物は平等である」と考えます。
>  職業柄、私は多くの食物を扱いますが、その中でより美味
> しい物を求めるのは、当然であると思っています。

はい。よくわかります。
食べたものがなくなったら、死んでしまうのですし、
栄養学的にも、たぶん体が欲しがっているものを食べることは
体の為にもいいのではないかと、私は考えています。
私など、胃が悪く、医者に酒を止められてしまって、
大好きなものばかりが、食べられないでいますので、
最近では、「生きることは食べることかもしれない」
などと、深く思っております。

>  世界中に様々な食材調理法が存在するのはそのためです。

違っているかもしれませんが、確認の為に・・・
料理とは、調理の過程で、有害な物質を除去したりして、
そのままでは食べられない材を食材に変化させる術かと。
その延長上に、まずい食べ物でも美味しくたべるための術
も生まれたのではないでしょうか。
世界中に様々な調理法があるのも、限られた食べ物を、
飽きてしまって、まずいと感じてしまうのを避けて、
あの手この手で食材を変化させて食べようとしたからでは
ないでしょうか。
その術が、人に、さらに美味しいものを求めさせるように
なったのかも。

>  ですから、それが可食であるならば「人間の餌として平等」
> に扱うべきだと考えます。

料理人としての御大将のお考えは、「それであるのですね」と、
理解させていただきます。
しかしながら、私の観点は、私が料理人でない為に、その観点
とは、また別な観点のお話をしているのかもしれません。

今、人間性という概念が「心的」な観点から塗り替えられ
ようとされているならば、私たちのエサとしての生き物に
たいする考え方にも影響は現れるのではないでしょうか。
あらたな発見や、概念の誕生において、人間の思考が影響を
受けないはずもなく、「食」という観点から見た生物に
たいする考え方にも、影響は与えないとは思えないのですが。。
人間が「心的な概念」の獲得をすると、生物にも「心的な面」を
当てはめるのは、必然のような・・・

 ※言葉の定義の話で申し訳ないのですが、
  心的と、知的とは、私にすると、微妙に違います。
  人間のほとんどは知的ですが、心的な面では、
  我が家で飼っているボタンインコのほうが、
  私よりもまし。。。私は、心的な面に最近気づいた
  者で、「こころ」というものが、まだ、なんであるのか?
  が、分かっていません。が、私が推測している以上に、
  なんやら崇高なもののような気がしてます。
  心的能力とは、他の心の中に自分を入れて考えられる能力。

>  尤も、居なくなってしまうのは困るので、多く取り過ぎる
> のも問題でしょうが・・・

この二行のお考えは、資源という観点でのお考えとして
大切なことだと想います。
このような観点があるのと同じように、別の観点である、
人間の心的な想いという観点も存在することも、分かって
いただきたいです。その観点から見た考え方が理解できなくても、
別な観点があるという事だけでも理解することは、料理人の
相手であるお客様(食べる人)を知ることにおいて、とても
重要なことだと思います。
その道を極めた方への生意気な発言をお許し下さい。

>> 文化は、おそらく進化(つまり変化)してきたし、
>> これからもすると思います。
>> それは、否定されてきたとも考えられるかもしれませんが、
>> 過ぎてしまえば、残念なのですが、ただ単に変化があった
>> ということになってしまうかもしれません。
>
>  その考えは判りますし、同感だと思うところもあります。
>  唯、鯨料理に関して云えば、捕鯨が全面的に禁止されて
> しまえば、それは変化ではなく消滅してしまうのではないか
> と考えます。

消滅して行く地方の伝統芸能や、伝統工芸と同じですね。
ならば、伝統芸能を残すために、伝統芸能を後生に残すだけの
ための捕鯨を考えてみて、世界に問いを投げかけてみるのは
いかがかと、思います。それなら説得力はあるかと思います。

>  今まで多くの文化が消えて行ったのだから仕方ないことと
> 言われても、仕方が無いのかもしれませんし日本の「食文化」
> 全体で見れば多少の変化かもしれませんが・・・
>  唯、『食文化』に限らず、一度失われたものを後で復活さ
> せることは、大変難しいことだと考えます。

そうですね。二度と復活できなくなるかもしれませんね。

>> 実は、私は、お刺身が大好きです。
>> 魚をまとめて買ってきて、よく自分で魚をさばきます。
>> でも、頭を切り取る時は、未だに恐くて苦手です。。
>> 刺身にしてしまえば、パクパクと食べるのにと、
>> それはそれは大きな矛盾も感じながら。。。
>
>  その気持ちは、判ります。
>  それは間違いなく「命を絶つ感覚」でしょう。
>  結局私は、(或いは私に限らず人間は)自分の手を汚すのが
> 嫌なのでしょう。

私も、魚をさばきながら、それを考えてしまいます。
私は、釣りをしたとき、釣った魚をさばいたことがありますが、
吐きたくなり、おいしく食べられませんでした。。
ブタや牛の肉の産業も、ここまで拡大したのは、分業があるから
ではないでしょうか。牛を育てる者、牛の眉間に銃を撃ち込む者、
解体する者、売る者、料理する者が、別なので、どんどん
食肉産業が発展したとも言えるような。。

ただし、多くの人は心的でないなら私は殺せるような
気がします。しかし、アニミズム(物に霊魂や精神が
存在すると信じる心的状態)が、そうであるように、
自分の想いを、想いのない生物に投影してしまって、
心的な存在と考えると、どうも、命と心とを混同して
しまって、殺生をしにくくなっているような気がします。

>  部外者が議論の場に割り込む無礼をお許しください。どう
> しても一言申し上げたくて、稲垣君に意見を託しました』

なんか、甘えながら、いろいろと言ってしまいましたが、
ご不快になられないことを祈ります。

>  はい、託されました。
> 大将(と、仲間内では呼んでおります)のお店は、手に入れば、鯨も品書きに
> 並びます。
>  その為、以前くんだんの「環境保護団体」と、揉めた事もあるそうで。そん
> な訳も有りまして、店名と名前はご勘弁を。

立場立場で、様々な考え方があるのが事実なので、
それを考えれば、
この世の中、正しいとか、真実などあるわけもなく、
それぞれの方が、その想いを発言すること、
そして、それに耳を傾けることは、
多様性の中で共に生きる私たちには、とても大切な
ことだと想います。

>  まぁ、私たちの類と言う物は、日常的に自分の手で生き物を殺すことをして
> いますので、この手の話題には、多分に感情的になってしまうのですが。(勿
> 論、料理人にも『反捕鯨派』も居ますよ)
>  そのあたりをご考慮のうえで、ご参考にしてください。

食べる為に生き物を殺すことは、私たち人間には、
とっても「崇高な事に触れてしまう行為」になっているようです。
それこそが、私たちが「心的な存在」になりつつある
証ではないかと思います。

私、上の様な事柄で、
けっこう料理人の方には、スゴイという感情を持っています。

> 羽花 u-ka-3791-ayame@k9.dion.ne.jp

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人の発言があるから考えられる@ゲンゴロウ。





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