こんばんは、ゲンゴロウです。
****************************
丁寧なメール(4265)をありがとうございました。
私は、あまり強い意見の持ち主ではありません。
しかし、時々「強い意見」と思われることが確かにあります。
いつも私には、どこで、だれの、何に触れるか分からない
という状況がありますが、それでも、つい、自分の考えた
ことを言いたくなります。それに、すこし調味料を強くして
言ってしまう。。。。(この調味料が問題なのか。。)
あと、
「私の考え方、意見の言い方は、おかしいのかな?」と
思うときもあります。
そうやって、自己反省もしているので、お許しください。
−−−−
羽花さん
> 生きと死生ける者は、全て平等であると思います。
これ難しい事柄ですね〜。
私、普通の考え方が出来なくなってしまったのか、
これを聞いて、考えると、
「クジラを食べるなら、人間もミンチにしてクジラに食べさ
せなさいと平等ではない」のかなぁ〜とか、それとも、
「人間のエサとして全ての生物は平等である」ということに
なるのか?などと、頭がこんがらがってきます。
どちらにしても、私には、難しい問題になってしまいます。
> さらに『料理人』として言うならば、日本人は縄文のころから鯨を食物とし
> て獲物のとしてきました。
> それは日本における『食文化』です。
> 『食文化』を他の『文化』を持つものに否定される筋合いは有りません。
> 『料理人』として、『食文化』を否定されることは、『芸術』や其の他の
> 『文化』を否定されることと同義です。
文化は、おそらく進化(つまり変化)してきたし、
これからもすると思います。
それは、否定されてきたとも考えられるかもしれませんが、
過ぎてしまえば、残念なのですが、ただ単に変化があった
ということになってしまうかもしれません。
誰の考え方も、その変化にとっては、
いつでも、その変化の要素になると思います。
私の意見なども、その要素の一つにしか過ぎません。。
それから、芸術ですが、芸術も、さまざまな様式に
変わってきたらしいです。
あと、すこし老婆心ながら思うのは、
昔と、今とでは、クジラの生態に変化はなかった
と思いますが、クジラに対する知識も私たちにはあるし、
人間の考え方、行い、それを統括するもの、
すなわち「私たちの心」なども、変わってきたと思います。
それも、文化を変える要因になるかもしれません。
私は、その変化から何が起きるのかを想像してみただけ、
だと、自分では思っています。。。。
> 個人的意見は兎も角として、日本の食文化である『鯨料理』がなくなること
> は、大変残念なことです。
> ですので、IWCにおける捕鯨推進国の提唱する『管理捕鯨』での『商業捕
> 鯨』の再開を、切に願っております。
一つの意見として、「なるほど残念なのだろうな〜」と、
拝聴させていただきました。
実は、私は、お刺身が大好きです。
魚をまとめて買ってきて、よく自分で魚をさばきます。
でも、頭を切り取る時は、未だに恐くて苦手です。。
刺身にしてしまえば、パクパクと食べるのにと、
それはそれは大きな矛盾も感じながら。。。
私の意見など、そんな、中途半端な中にあります。
それでも、発言しないと、勝手に悦に入ることもできるので、
中途半端なことにも気が付かない・・・。
> 羽花 u-ka-3791-ayame@k9.dion.ne.jp
ゲンゴロウ。
(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。