[BlueSky: 4275] Re:4258 心的生物を食糧にしても差し支えないか?  Re 。IWC


[From] "gengorou" [Date] Tue, 28 May 2002 23:11:36 +0900


はじめまして、小澤さん。ゲンゴロウです、
お返事をありがとうございます。よろしくおねがいします。
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ゲンゴロウ
> >クジラやイルカの食糧化は、一部の人間の問題としてで
> >はなく、私たち「心的な生物」の問題として全ての国民
> >に問うべき問題かもしれません。

> >私の個人的な意見としてですが、クジラとかイルカの捕獲
> >には反対したいです。クジラやイルカは人間並の情、いや、
> >「情」だけを考えると、人間のそれ以上の「情」を持って
> >いる生き物であると聞いたこともあります。

小澤さん
> ゲンゴロウさんの「おもう」気持ちは理解できますが、
> この種の考え方はとても危険だとおもいます。
> 山川草木にもすべて命があると考えれば、
> 「情がある」「高等である」という類の線引きは危険です。
> ナチスにもつながりかねません。
> 所詮、生きていたものを食べている私達は
> 食べ物に優劣をつける権利はなく
> すべてに感謝するしかないのではと思います。

私の考えていることが、正しいとは思いません。
また、「危険でない」とも言えないと思います。
その上で、私なりの考えをもう少し話させてもらいますね。
とっても分かりにくいと思いますが、話します。

こういう話↓をしてもキリがないのですが・・・。
私にすると、ナチスの「高等下等という線引き」は、
「表向きのプロパガンダ(政治上の宣伝)の文句」だと
思います。政治目的に使用されたたんなる大義名分だと
考えてます。
つまり、大義名分が道具に使われ、その単なる道具に過ぎない
大義名分に大衆が惑わされてしまうということが、
そもそもの問題なのではないかと考えてます。
つまり、「下等民族・高等民族という線引きが問題だ」と
考えてしまうと、また人類は、新たな大義名分に惑わされ、
新たなヒトラーを生み出すような気がします。

私たちがヒトラーやナチスから学ばなければいけない事柄は、
「私たちの心の中には、ナチスやヒトラーに惑わされるのと
 同じ脳があると認識し、それに常に警戒すること」だと、
私は思っています。

もしかすると、
「私たちが食い物とするものに下等高等などない」と
いうこの言葉の前提の、「食い物」の部分に、もう
すでに、無意識の線引きがあるのではないでしょうか?
私が「クジラは私たちに近い心的生物」と言ったときに、
「クジラも食い物」と聞くと、私には、
「ユダヤ人も私たちと同じ人間」と言ったときに、
「ユダヤ人は下等民族」というのと同じ感じを受けます。

まあ、この問題は、かなり横道にそれそうなので、
私の手にも負えなくなりそうなので、
申し訳ありませんが、もう、横に置かせてもらいます。

−−−
で、次に、私たちのエサである「生命体」の
話しになりますが、、、、実は、私は生命体の話を
していないのです。
ここからは、ホントに、私なりの持論になるので、
無視してくださってけっこうです。。

生命体の定義は、私にはまだ分からないのですが、
それは生物学の方々の定義にお任せするとして、
私の話は、「心的存在」の話です。
生命も物質で出来ていますが、生命体は単なる物質では
ないのは、当然のことです。つまり、そういった意味では
生命体は物質の範囲に含まれていると言えますよね。
それと同じように、心的存在も生命体に含まれていますが、
実は、まったく異質の存在と、私は考えて、その考え方で、
「心的存在をエサにするのはまずいのでは」と言ったのです。

それから、「情」を持った「心的存在」が、下等であるか
高等であるかとは、私は考えてません。(言ってないと思います。)
「心的存在」の特徴から、エサとしての善し悪しを考えました。
私たち「心的存在」の特徴の「悲しみを感じる」「悲しみが
伝搬してしまう」ということを考えて、心的な生物をエサにして
しまうと、おなじ心的な存在である人間に、悪影響が生まれる
のではないか?と危惧したことをお話しました。

昔、クジラを捕っていたときには、クジラが心的な存在だとは
考えられていなかったので、さほど問題はなかったと思いますが、
クジラやチンパンジーがかなり心的な存在であると知った現在、
それらを私たちがエサとするのは、たとえ、食べた後に
感謝をしても、癒えない傷を、食べた人にだけではなく、
クジラが心的な存在であると知ってしまった人たちの心に
傷(悲しみ)を負わせるのではないかと考えました。
そういった考え方をすると、私たちの一部の人々は、
明確に気が付いていなくても、クジラの食糧としての
捕鯨には、嫌悪感を無意識に持ち始めていて、
すでに、捕鯨問題は、伝統文化、食糧問題、資源などとは
違った土俵、心的存在の観点で見た、新生物問題で
語られているのかもしれません。
           ・・・と言いたかったのです。

−−−−
話は違いますが、関係するように思うので、ちょっと。
「感情」というものが、「理論」と比較されてしまい、
時に、邪魔なもの、劣ったものと考えられがちですが、
先の例で言う、アウシュビッツの悲惨な状況を
私たちが深く理解するにはこの「感情(こころ)」という
センサーがもっとも必要になります。
また、どんなに科学が進んでも、理想的な社会になればなるほど、
心というものが、磨かれてゆくように感じますので、
「感情」は、カヤの外に置いてはいけないと思います。

うまく言えませんが、この21世紀は、まさに、
多くの者が望んでいるためなのか、、
「心的な存在」という概念が、様々な学問を考える上で、
また、人間社会を考える上で、大きな観点になると、
私は、思っています。

このあとについては、上記の理由で、
バカみたいにずっと先のことばかり考えている私としては、
考えても無駄になるような気がしてしまうので、触れません。

************
ゲンゴロウ。


> 捕鯨については、条件付賛成です。
> 細かいことはわかりませんが、近海のみならということです。
> 遠洋漁業にはすべからく反対したい。
> マグロが食べれなくなったっていいじゃないかと思います。
>
> 話しが飛びますが、えひめ丸の遭難事故だって
> なぜ、あんなところで演習しなければならないのか、
> という疑問は聞いたことがありません。
> 本質はそこにあると思っています。
>
> 要因はもっと複雑かもしれませんが、
> 日本における山から海までの水循環がおかしくなっているから
> 近海漁業がふるわない、のではと考えています。
>
> 話しが戻りますが、IWCの総会の議事進行は
> 見ていて情けなくなりました。
> きっと、アメリカなどの連中も本当のことは分かっていた上で
> 金がからんでやっていることでしょうから、
> あの司会者も内心は情けないのかもしれませんが。
>
> 昔、読んだ話しだけど、アメリカ駐在の日本企業は
> グリーンピースにたかられているのかな?
>
> 小澤 量





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