荻野 行雄さん みなさん
須賀です。
ご意見ありがとうございます。
荻野さんと僕とではことばのつかいかたがちがうようですね。
僕は(わるい意味で?)「常識的」なことばをつかって説明する
ようこころがけているつもりです。ですからそれがうまくいっている
かぎり、荻野さんのように複雑でとらえがたいものを説明されよう
とされている方にとっては不満ののこる表現になると思います。
須賀:
> >環境のことについて、意見をやりとりするなかには、すくなくともつぎの
> >ふたつのことがふくまれていると僕は思います。
>
> >1)「考えていること」について冷静に意見をかわして合意形成をはかること
> > (常識的でつまらぬことが多い)
> >
> >2)「感じていること」について話し合って驚いたり楽しんだりすること
> > (個性的で興奮をさそうことが多い)
この分類はあくまで便宜的なものです。このようにいったん整理
しておけばこれを手がかりに、誤解のすくない対話がしやすく
なるのではないかという程度のものです。
このふたつことばの意味を、僕は仮にこのように定義しました。
須賀:
> 「考える」というのはあたまのなかでイメージや概念をつかって
> いろいろシミュレーションしてみること、「感じる」というのは
> 出来事へのからだの反応に意識をむけることとしてみます。
ですから、僕のいう「感じる」のなかには、視覚で映像を感じる、
味覚であじを感じる、聴覚で音を感じる、といったものもふくまれて
います。
ただ、「考える」ことと「感じる」ことが一般に無関係だとももちろん
僕は思っていません。
僕がいいたかったのは、このようにふたつの側面を強調してみる
ことで、誤解をへらせる面もある、ということです。
これ以外の点についてのご意見には、ちょっと僕にはよく意味が
わからない感じがしました。また勉強して何か思うところがでて
きたらご返事したいと思います。
ありがとうございました。
須賀
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