[BlueSky: 4261] Re:4245  ちょっとまって


[From] "荻野 行雄" [Date] Mon, 27 May 2002 15:36:46 +0900

[4245 sukaさん]
>環境のことについて、意見をやりとりするなかには、すくなくともつぎの
>ふたつのことがふくまれていると僕は思います。

>1)「考えていること」について冷静に意見をかわして合意形成をはかること 
>    (常識的でつまらぬことが多い)
>
>2)「感じていること」について話し合って驚いたり楽しんだりすること
>    (個性的で興奮をさそうことが多い)

これはちょっと違う、というか、まずいとおもいます。

[4241]
> 「感じる」ときのほうが内と外の世界にじかにむきあって
>いることになりますね。そのときには、外の世界をそのまま生のかたち
>でとらえているのではなくて、自分の内と外があっている状態をとらえて
>いることになります。これはひとりひとり別の体験だけれども、だれも
>が確かにもっている。

 ここに問題があると思います。

 そもそも、「感じる」ことと「考える」ことは、一連の行いで一体不可分なもの
であると考えます。そして「理解する」ということになる。

 上記で述べられている「感じる」では、外からの情報を受け取るときに
既にそこに自分(内)がいて、そこで相互作用を起こしてしまっています。
 そこに、勝手な判断、解釈が行われてしまう。

 厳密に人体の生理的反応としてはそうなのでしょうけれども
重要なのは、可能な限り生のかたちで捉えること、生データを
そのまま内に写し込むことでしょう。
 人間そんなに違わないはずですし。

 つまり、もし何かを考え、理解したければ
 できるだけ自分という個性を沈黙させて、あたかも通訳者のように
その情報の生の内容だけに集中すること。
 間違っても、勝手に解釈しないこと。

 それが客観であり、科学であり、
第三者にとっても意味のあり得る情報を獲得するということでしょう。

 Yoshimuraさんが言われているのは、
「勝手に解釈するのはやめて、生情報をきちんと押さえましょう。」
ということだと思います。


 自分という個性が勝手に解釈すると、しかし悲しいかな、
それは既存のパターンの模倣になってしまい。逆に個性を失い
面白くもなければ、意味もなさなくなってしまうのではないでしょうか。
 いわく、「情」だ「理」だ、
 「やさしい」だ「トンデモ話」だ。
 人間の脳味噌が解釈したことは、脳味噌の限界を超えられない
ので、往々にして、先が知れてしまい、つまらない話になる。

 本当に面白い「考え」というのは、生情報だけを元に世界の本質に
迫ることで、自分という限界に妨げられていないため、世界の
不思議をそのまま映し出して底が知れずに飽きることがない。
のだとおもいます。


 教育現場で、まず、子供たちに教えるべきことは、この
生情報をそのまま受け取る態度だと思います。
 教える項目など大した問題ではない。
自分がゼロであれば、そこを原点として世界の全てが
理解可能でしょう。(まあ、そこまでいったら歴史に名が残る?)
 個性など屁の突っ張りにもならないでしょう。

 
>1)「考えていること」について冷静に意見をかわして合意形成をはかること 
>    (常識的でつまらぬことが多い)

 常識的なパターンで解釈している話は必然的につまらないですが、
これは少しも「考えた」ものではないでしょう。

>
>2)「感じていること」について話し合って驚いたり楽しんだりすること
>    (個性的で興奮をさそうことが多い)

 これもたんに、精神世界系等の解釈のパターンで目新しいだけである
危険が多分にあると思います。


 解釈などせず生情報自体にものを言わせましょう。
 分からないなら、分からないということを確認しましょう。

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