[BlueSky: 4222] Re:4209 ものごとの理解の仕方とコトバの役割


[From] "gengorou" [Date] Thu, 23 May 2002 00:07:26 +0900



こんばんは、ゲンゴロウです。
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【中澤さん】
> もし共通理解に到達するために議論をしているのなら,
> 「意識的に」「丁寧な言葉遣い」で「丁寧に説明」しませんか,
> という呼びかけです。

このこと↑は、基本的なことですが、実に大切なことだ
と思います。そして、なかなか難しいことであるな、と
思います。
ところで、便乗するようで申し訳ないのですが、これに
加えて頂きたいことがあります。
       ↓
 ある人がいて、その人は大変な量の知識とか知恵を持ち
合わせているのだけれども無意識の世界にいて、まったく
他者の事を考える能力がなくて、言葉遣いも未熟で、更に
説明も上手く出来なかったとしたら・・・。
私は、その人を無視するだろうか、それともご機嫌を取っ
てでも、その能力の恩恵にあやかろうとするだろうか。。。
などと、考えると、中澤さんのおっしゃった「話し手の姿勢」
に加えて、「聞き手の姿勢」も考えてしまいます。MLでは、
聞き手側の資質もかなり討論の状況に影響を与えるようです。

 #でも、討論に問題が起きるときは、たいてい、一人の
 #人が、読み手の資質と、発言の資質のどちらかを持ち
 #合わせていれば、問題は起きないわけだから・・・
 #でも、それでも、その両方の資質がない人にも、人格
 #や尊厳はあるわけだし、十分に発言の機会も与えられ
 #ていい訳だし・・・ブツブツブツ・・・・(難しい)

−−−−−−−
>  議論の目的が共通理解を得ることだとすると,これはなかなか難しい
> ことです。そもそも,ある問題についての共通理解が可能になるために
> 必要な前提条件として,そこで使われる概念を共有することが,どうし
> ても必要です。
>
>  ところが,ヒトの世界認識の方法としては,複雑すぎるナマの自然を
> そのまま受容することは通常していません(たぶん,脳の機能として,
> 常にそれをすることは不可能でしょう)。一般には,まったく馴染みの
> ないものについては,現実からその特性をもっとも良く表すと考えられ
> る情報を抽象しようとし,何らかの意味で馴染みのあるものについては,
> もともと持っている認識の準拠枠に当てはめて不要な情報を切り捨てて
> みるのだと思います。ここで,馴染みのあるものというのは,名前がつ
> いているもの,コトバで表現できるもの,と言い換えることもできると
> 思います。
>
>  たとえば,水分子といったときに,水素原子2つと酸素原子1つが水
> 素結合した化合物という準拠枠があって,それを想像するわけですが,
> 世の中に実存するモノとしては混じりけのない水などというものは存在
> しません。水道の蛇口をひねって出てく水が,蛇口ごとに,いえ,同じ
> 蛇口でも朝一番のときとたくさん使った後では成分が違う(つまり水分
> 子に混じりこんでいる成分が違う)のは明らかです。もっといえば,
> (青空MLを立ち上げる前に参加していた環境論MLの主催者の社会
> 学者の方が,川を流れている水とそれをコップに汲んだ水では「水質」
> が違うと論じられていたのを思い出しますが),観察者の感じ方は,
> 周りの状況や観察者自身の状態によって違うのもまた明らかです。
>
>  さらに,川を流れている水の時間軸にそっての変化とコップに汲んだ
> 水の時間軸にそっての変化を考えれば,確かに物理化学的な水質にも
> 違いが出てきます(溶存酸素濃度など顕著に),汲んだ瞬間には川を
> 流れている水のある性質を代表していると仮定して,コップ(というか
> 実際にはサンプル容器ですが)に汲んだ水を分析するということを
> 水道局はやっていますし,マスメディアが水質悪化とか論じる場合も,
> その分析結果を使うのが普通ですね。なぜなら,この仮想的な水質は,
> たしかにある意味で真の水質の一断面にはなっているし,数量化されて
> いて,他との比較や経時的な比較がやりやすいからだと思います。
>
>  いいかえると,川を流れている水の実体についての概念を共有する
> よりも,コップに汲んだ水を分析して得た数値という意味での水質
> 概念を共有する方がずっと容易だから(というか,現実問題として
> 前者は不可能で,たとえ映像が見えても,匂いとか周囲の雰囲気とか
> 音とか手触りとかまで再現することは難しいし,受け手の脳が違う
> ので脳内に形成される像はほぼ確実に異なるでしょう),断面を
> 切り取って「水質」の物理化学的性状の話をすることに意味がある
> のだと思います。水についての議論をするときに,本当に実物とし
> ての水の話をすると,共通理解に達することは相当に難しいことに
> なるでしょう。

(なるほど。。)

>  しかしもちろん,環境問題を解決するには,主体としての各個人に
> とっての環境問題を解決しなくてはいけないわけです。先に概念を
> 共有しにくいと書いた,実体の方が真の問題なのです。しかし,それが
> 難しいからといって投げてしまうわけにはいかないので,少なくとも
> 数値として抽象された断面のレベルでは共通理解に達したい,という
> のが当面の目標となるのだと思います。これはあくまで当面の目標
> であって,受け手それぞれ異なる実体としての環境を(本当に理解
> することは難しいのだけれど),できるだけ想像してみた上で議論
> をすることは大事だと思いますし,そこがなければみんなが幸せに
> なるような解決には至れないでしょう。

まったくの、反射的反応になってしまいますが・・・
物質的な環境(肉体に影響を与える環境)と
心的な環境(精神面に影響を与える環境)を考えてしまいました。
が、
心は肉体にとって不利な環境を素早く、鋭く察知する機能が
あり、肉体が危険な場合には、それを予知して心が病む場合
もあることを考えると、環境を考えることは、実に守備範囲
が広い、、、いや、あたらしい体系概念を構築しなければ、
対処できない、新しい「総合的な科学」と言えそうです。。

例えば、今までの学問が、その対象を人間が見る外の物(客
体)によって分化されているなら、新しい学問体系は、人間
側(主体)に基づいて分化されようとしているのでしょうか。。

そんなことを考えると、環境の問題を考えるときの問題は、
その主体(人間)の問題がクローズアップされてしまうの
も、、当然かな?と思うと同時に、、それこそが、重要な
課題であると、環境問題を考えるときには、カブトの緒を
締めなければならないと思います。
「また、心的な問題かよ〜」「また、感性の問題化よ〜」
と思わずに、「それこそが、避けて通れない道だ」と考え
なければならないのかもしれません。

>  いろいろな実体があることを想像できるようになるためにも,個別
> 事情を見たり聞いたりすることは役に立つと思うので,その水準での
> 議論も大いにするべきだと思います。しかし,この水準での議論は
> いわゆる「情」の部分にかかわるので,脳の中の情動をつかさどる
> 部分を刺激しやすいのだと思います。だからこそ,ここでは,より
> いっそう丁寧な言葉遣いが必要になるのではないのかと思います。

「様々な実体がある」という事は、私にすると、大きな視点
だなぁ〜と感動を感じます。大変な意味があるように感じます。

「実体が複数ある」「実体が人の数だけある」ということで、
人は、そんな環境に生きているのですね。その中で、「自分
が信じた実体こそが実体だ!それ以外に実体はない!」なん
て考えると、事実に反することになる。私たちの住む世界環
境が、もしも、一つに定まる実体などない曖昧な世界なら、
その世界を正確に描いたなら、実にわけの分からない曖昧な
絵になる。(ピカソの絵?)

曖昧な世界を、たくさんの人々が、曖昧でない絵に仕上げよ
うとして、相談し始めたら、やっぱりミサイル発射になるか
もしれません。。でも、その相談の時に、中澤さんの様に
「・・・と私は思う」という言葉を使うと、相手が利口なら
ば、「貴方はそう思うのですね?」と、互いの違った感性
(情)に気が付くことができるかもしれません。

それから、中澤さんのおっしゃっている、「情」の部分にか
かわる事柄は、脳の中の情動をつかさどる部分を刺激しやす
いのだと思います。は、そうだな〜と思います。

>  とくに,めったにないことや特別な能力がないとわからないことは
> 余計に想像しにくいので,その概念を共有しようとか,共通理解に達
> しようとかいうのは至難のわざだと思います。読み手の想像力も
> もちろん必要だけれども,書き手にも相当な努力が要求されるでしょう。
> それでも共通理解に到達できないかもしれないのですが,そういう方向で
> 努力することで,読み手も書き手も使える準拠枠が増えるのではないか
> と思いますし,新しいことに出会ったときに理解しやすくなる(もちろん
> 謙虚でいないと誤解しやすくなる危険も孕んでいるが)と思います。
> 青空MLのような場での議論が大事なのは,だからこそ,なのでは
> ないでしょうか。
>  ぼくはそんなふうに思います。

私が言うと、かえって中澤さんの意見を汚してしまう
かもしれませんが、「同感です」と言わせてください。


ゲンゴロウ
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   人間物語・・・存在・時間・意識
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−−−欄外メモ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

意識的とは、自分が、誰に、何を、なんの目的でしている、か?
を「見つめる」こと、つまり自分自身を見つめることですね。
ということは、これがないということは、無意識であると同じ事
になり、虫と同じになってしまう。。(虫さん、ごめんなさい)

「丁寧」を辞書で引くと、
「人に対する言動が親切で礼儀正しいこと。注意が深く行き
 届いているようす。念入り。入念。丹念。」とありました。

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