[BlueSky: 4168] Re:4166 感性と理性


[From] samaki@ipc.kit.ac.jp (左巻健男) [Date] Thu, 16 May 2002 16:43:11 +0900

 左巻健男です。
 有り難うございました。

 「理」に走り過ぎると(何事も「過ぎる」のはよくないのですが)切って
捨てている部分があるかもしれませんね。
 そこが,こういう文字だけで顔が見えないところでのコミュニケーション
の難しいところですね。最低限の文字数で何かを言わんとすると「情」の部
分が見えなくなります。その自省をしつつ,ぼくはクリティカルでありたい
と思っています。

 ついでに,今にでる予定の本に書いた一節を。(『理科の基礎・基本 お
もしろ授業入門』明治図書 来月あたり発行)

 ぼくの教師としての取り柄は、「学力劣等生」だったこと 

ぼくが教師になろうとしたとき、もう20年以上も前のことだったが、どう
して教師になりたいのか自問してみた。
 最大の理由は、人間関係下手なので、会社員にはなれぬ、学力がないので
なりたかった科学の研究者にはなれそうもない、まあまあ教師ぐらいならや
れるかもしれない。相手はガキで、密室の教室内での授業だから、人間関係
下手でも何とかなるかもしれないじゃないか。
 この理由では、余りにもネガティブなので、もう少し考えてみた。ぼくに
は、小学校や中学校で「いじめられ体験」がある。内向的で、うまく友だち
づきあいができずトロイときたら絶対にいじめられるのだ。
 ぼくは、子どもが好きだから教師になろうって思ったことは一度もないが、
いじめられてきたような者でも教師ぐらいはできる、ということを示すこと
はできる。これは教師として取り柄ではないか。
 もう一つ、ぼくは、「学力劣等生」からまあまあの学力がないと勤まらな
いと思われている教師になろうとしている。これもぼくの取り柄ではないか。
中3のとき理科だけは得意科目だった(少なくとも5段階の評定で3だった)
のでやっとの思いで工業高校工業化学科に進学した。そこでだって学力的に
は落ちこぼれていたが、あるちょいとしたきっかけから、勉強が好きになっ
たのだ。
 それにまだ取り柄はある。飯場に住み込みながら工事現場ではたらいてい
たという経験である。こんな経験、普通の教師にゃないだろう。
 そんなこんなで、ぼくは「そんじょそこらにはいない教師になれるはずだ。
今に左巻健男らしい理科教育を打ち立ててやる!」と思った。なかなかいき
がっていたのだ。…(引用 以上)

 今は大学教授等というものになっているのですが,以上のことがぼくの
原点です。
 

 

■左巻 健男(SAMAKI TAKEO)
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