[BlueSky: 4131] [4066] 長文注意( 185 行)


[From] Abe Yasushi(阿部靖志) [Date] Sun, 12 May 2002 05:44:34 -0400

阿部@イジャペルです。

 既に化石レスですが、気が向いた方はお付き合い下さいませ。

at [BlueSky: 4066] Re:4062 選択肢。他。 葛貫 さん
> 「NetScience Interview Mail 」で配信して下さったインタビューなの
> ですが、「平藤雅之氏(計算生物学、アグリインフォマティクス)」
> http://www.moriyama.com/netscience/Hirafuji_Masayuki/index.html
> 「遊んで暮らす」話と関係があるかも(^^)。

 楽しそうな研究ですね。快楽を追求しつつ、利益も兼ねていると
言う辺り、見習いたいものです。

 環境問題について考え始めた頃、人間は地球にとっての癌細胞み
たいなもんじゃないか、と思い詰めて鬱々としていたことがありま
す。その少し前にNHKで放映されていた『核の冬』などの影響が
強かったのかもしれません。

 で、それについて考え続けた結果、『人間は怖いモノを想像する
のが大好きだ』という事実に思い至りました。神・悪魔・幽霊・妖
怪・天変地異・ホラー映画・東西冷戦…。環境問題もその延長線上
にあります(環境問題が問題では無いと言っている訳ではありませ
ん。恐怖を楽しむ為に『環境問題』を利用している心理的側面が有
る、と言っているのです。為念)。

 そういった死や混沌を求める人の心の闇に、神は魑魅魍魎と同居
しています。この事実に気付いてから、神を信じるという宗教的態
度は、私の中から完全に消滅しました。その結果、宗教を相対的に
眺めることはできても、主体的に自分の中に取り込むことは出来な
くなりました。だから、宗教の智慧を尊重する気持は有りますが、
宗教者としての態度を取ることは私にはできないのです。

 話が脱線しました。人間は地球にとっての癌細胞なのか、という
考えを深めて行く際に、私にとって大いに助けになったのが『ガイ
ア理論』であり『木を植えた男』なのです。

 以前述べたように、地球の生物圏は『火を使う生物』を必要とし
ています。そして、繁雑になるので論証は省略しますが、人間の能
力と嗜好から言って、『生物圏の管理』こそ人間が生物圏に於いて
果たすべき役割でしょう(これは多くの宗教で人間が神から与えら
れたとされている役割とも一致するのですが…)。『管理』と言う
と聞こえが悪いですが、『愛』に置き換えても構いません。

 多分、こんなことを言うと多くの人が『生物圏の管理という役割
を人間に割り振る事は、人間の生物圏に対する片想いなんじゃない
か?』と考え込むことでしょう。この問いに対する私の答は『両想
いだ』です。これは『愛』の定義と生物圏の人間に対する働きかけ
を総合的に捉えると『人類は生物圏に愛されている』という結論が
苦もなく導かれることによります(生物圏が総体としての感情を有
するのか、という疑問を提起する方には、『片想いでは無いか?』
と悩んだ時点で生物圏を感情を持った存在として捉えている事を指
摘させて頂きます)。

 で、平藤先生の研究は『生物圏を管理しやすくアレンジする』と
いうものだと思います。要するに、生物圏を『紫の上』とか『プリ
ティ・ウーマン』のように取り扱う研究な訳です。ホント、楽しそ
う(^^)…。

> > 社会が必要とする労働<労働を希望する人の数
> > 既存労働力−社会が必要とする労働→生存に必須ではない労働
>
> 1月8日の朝日新聞に養老孟司さんが書かれた「人類はゴミで滅ぶ
> (明日はあるか「異分野」発:7)」というコラムを思い出しま
> した。
> http://www.asahi.com/edu/nie/syasin/kiji71.html
>
> 「生存に必須ではない労働」も、それなりに意義があるものをつくり
> 出していると本人が感じられればよいのですが、浪費されるものを
> つくっているのさ、という自覚が何処かにあると、何だか、その人自身
> まで浪費されているようで、心が病んでしまいそうな気がします。

 すみません、言葉足らずでした。『生存に必須では無い労働=社
会にとって不要な労働』と言うつもりは全くなかったのです。従来、
社会が必要としなかった労働に従事する人の出現・増加によって、
社会の構造が複雑化し、社会の安定性や物質利用効率などが向上す
るのだろうと考えています。

 ごみ問題に関しては、それらを新たなニッチ(*)として利用す
る存在の増加で解決されることになるのでしょうが、暫くは人も生
物圏も苦しむことになるのでしょう。

*ニッチ(生態学的地位)
 生物が利用できるエネルギーと空間のセット。新たなニッチの発
生に伴い、それを利用する為に既存の生物が分化・定着することで
生物が進化する、という考え方もある(いわゆる今西進化論)。尚、
今西進化論は、他の進化論が上手く説明できない大絶滅後の爆発的
な進化を上手く説明できる。



> >  それでも豊かになることで、我々の地球は少しずつでも地球Bに
> > 近づきつつあるのだと思いたいですね(とんでもない回り道をして
> > いるのかもしれませんが)。
>
> イジャペルは、そう思えるところですか?
> 日本は、不帰点を越えなんとしているように感じられます。

 社会が豊かになれば物質利用効率が向上するし、小さな問題にも
配慮が行き届くようになるので、豊かになる事で地球Bに近づける
のだと考えています。

 日本社会が抱えている最大の問題は、物質の偏在や過不足に起因
する環境問題ではなく、人々の心や社会制度と言ったソフトウェア
の問題だと思います(だから、この場でも最近は教育について活発
な議論が交わされているのだと理解しています)。ここをキチンと
分けないと、ちょっとズレた話になってしまうかもしれません。

 チリは発展途上国ではありますが、社会や人の心のソフトウェア
に関しては、日本が見習うべき点が沢山有ると思います。そんな訳
で、日本に居た頃は、環境問題に関しては不帰点を越えるまでの時
間が余り残っていない、と強く思って居ました(私も問題を分けて
考えていなかった、ということです)が、チリに来てから、まだ余
裕がある、と思うように成りました。

 ただし、今の私も日本のソフトウェアの問題は焦眉の急だと考え
ています。


> > きっと米国民は自己
> > 家畜化が進み過ぎたので、ああなっちゃった(複雑な世界を受け入
> > れるのではなく、複雑さを生み出す他の存在を排除したがるように
> > なる)のかもしれません。
>
> 古来からの文化を密かにでも守ろうとしている原住民と、多種多様の
> 文化を抱える移民が混在する複雑この上ない国のはずなのに。
> 質というより、量に物言わせる国としてまとまっていくためには、
> 単純化する必要があるのかもしれませんが・・・。

 すみません。細部に目が行き届かない発言でした。私がそこで言
いたかった米国民は、米国社会を運営している主流層、です。

 多数の異文化に触れる機会が有っても、それを理解せず威圧して
従わせるだけであれば、触れていないのと同じです。そんな彼らは
異文化を理解できないので、接触する異文化の側が彼らに合わせる
しかないのでしょう。そういった異文化側の態度は彼らの中華思想
を肯定するフィードバックになります。

 彼らより弱い異文化を抱え込んだ社会だからこそ、異文化を理解
せず、力で捩じ伏せようとする態度が強化され続けているのかもし
れませんね(^^)。


> 新約聖書の「ピリピ人への手紙」の中に、「あなたがたが違った考え
> を持っているなら、神はそのことも示して下さるであろう。ただ、
> わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである。」という
> パウロの言葉があるんです。
>
> この「神」を特定の宗教の神ととってしまうと鼻持ちならないものに
> なってしまうのですが、「自然の摂理」のようなものと考えると、
> “We must hold on to what we have attained.”という最後の一節は
> その摂理を突き詰められない人の不完全さに対する赦しのようにも
> 感じられます。
> って、誰に許してもらわなきゃならないんだい?、なのですが(^^;;。

 私には、『ピリピ人はパウロより低い処までしか達していないん
だからパウロに従え!』という言葉のような気がします。これは私
が『宗教は神を利用して階層を決める方便』だと思って居るからで
す。だから偉い人は偉くない人に対しての『小さな神』になるので
しょう。

 勿論、階層を決めたがるのは宗教だけではありません。人間には
そういう傾向があるのだ、と言う話です。例えば、企業なら『金』
で、学問の世界なら『知識量』で(『だけで』では無いと思います
が)階層が決められます。

 私は『小さな神』(=不完全な神)には赦しを乞いたくありませ
んし、自分が誰かに対する『小さな神』に成るのもイヤです。もっ
とも、協力して『真実の神』(=自然の摂理のようなもの)を探求
する、という話なら別ですが。


> ネットの世界では、丁寧にコミュニケーションするより、接続を切って、
> もっとピッタリの言語感覚を持つ相手を探そう、という方向に傾くこと
> もあるわけで、「青い鳥」を追うことをやめない限りコミュニケーション
> 能力の洗練にはつながらないかもしれませんね。
> 使い方次第ですね(自戒をこめて)。

 そうですねぇ。でも、誰でも「青い鳥」なんて何処にも居ないと
いう事実に、いつかは必ず気付くと思います。その気付きによって
「青い鳥」を手に入れた(逆説的ではありますが)後、コミュニケ
ーション能力を洗練してゆく場として、ネット(だけでは無いと思
いますが)は機能すると思います。


それではまた。 阿部 靖志


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