市原市@千葉さん
須賀です。
> <<うまく、気持ちを伝えられなくて、すみません。運動会の、かけっこ
> で競技者が、一斉にゴールをするという光景が、無くなるどころか、
> 広まっていると、人づてに聞いたもので、先生そして何より、子供達の
> 気持ちを知りたかったのです。
ごめんなさい。僕の考えすぎでしたね。混乱させてすみませんでした。
僕も小さいころ運動会ではいつもびりにちかいほうでした。でもかけっこ
だけじゃなくて、鉄棒も球技も苦手でしたから、運動会とか順位の
つくものだけを特別に考えたことはなかった。何度もかけっこをすれば
びりのときも、びりから2番のときも、びりから3番のときもあるから
別にいいんです。
順位をつけるかどうかより、順位がつくようなことをやってもこわれない
ようなおたがいの信頼感とか関係づくりの能力をどうはぐくむかという
ことのほうがもっと大事なのかもしれませんね。
さきのメールで引用した村上龍『希望の国のエクソダス』(文春文庫)
には、巻末に「文庫版に寄せて」として10名のかたが文章をよせて
います。そのなかにあるつぎのような文が印象にのこりました。
・・・大人たちが自信を失っていることが、子どもの教育にさまざまな意味
で影響を与えている。教師も親も、ほとんどの大人が子どもたちに対し
未来への展望を語れない。それは即ち、生き方のモデルを提示でき
ないということでもある。・・・
・・・将来の環境、資源、人口、食糧などの問題、そして何より平和な地球
社会をどう作るかについては、子どもたちの方が切実に考えていると
いうのがわたしの実感である。・・・
寺脇 研(文部科学省 大臣官房審議官生涯学習政策担当)
・・・一九九〇年代を「失われた一〇年」と呼んだのは村上龍だが、「出口
(エクソダス)」のない閉塞状況の中で、人々は「自分たちが何を失ったの
か」確かめようとしているのかもしれない。答えは単純すぎるが、人と人と
が信じあうことだと私は思う。・・・
金子 勝(慶應義塾大学経済学部教授)
環境のことを考えるうえでもさけてとおれないポイントに、これらのことばは
ふれているように思いました。
須賀 丈
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