田中です。
何だか、皆さんを混乱させてしまっているようで、恐縮です。
環境を考えることと、教育を考えることは、決して切り離せる
ものではないと思っていたので、私としてはごく自然な流れでした。
環境問題を考える時、扱う素材は同じでも、科学、経済、教育、宗教
など、それぞれの分野によって捉え方が変わってくるのではいでしょうか。
だからといって、「それぞれが勝手にやればいい」ということではない。
葛貫さんが示してくださった「日本の科学者は大局的、俯瞰(ふかん)的
に科学をみることが総じて下手だ」という大石さんのお話、
これは、科学者だけの症状ではないのかもしれませんね。
自分の農法が絶対的に正しいのだ、と主張する農家さんがいますもの。
理系だけでなく、みんな変わった方がいいのかもしれない、とも思います。
環境を考えることは、人の生き方を考えることであり、
教育を考えることであり、お店とお客(人と人)の関係を考えることであり、
その他諸々の関りを考えることであると思います。
すべては繋がっているもので、どれか一つを切り離して考えると、
バランスを欠いてしまいそうな気がします。
「環境」というキーワードで、様々な分野の人が集まり、
それぞれの持ち場を生かして発言できるこのMLの場は、
とても貴重で価値のあるのもだと思います。
左巻健男さん;
> きちんと批判することで問題点が解決していける場合も多いんですよ。
> そこをなあなあで本当は土台が腐っているのに腐ってないとしてなんかや
> ってもダメだと思います。正確に問題をとらえてこそ改善できると思いま
> す。
私が言いたかったのは、ごまかすとか見ないふりをする、ということでなく
問題も、腐った土台も、丸ごと一切合切受け入れるということです。
腐っているから使わない、ではなく、腐っているから注意しながら使い、
使いながら同時に修繕していく、ということができれば、
よりやさしさのある成り行きが期待できそうだと思います。
北風と太陽の物語に例えれば、心持ちをお判りいただけるでしょうか。
(私の感じていることを述べただけで、批判するなとかいう主旨の
発言ではありませんので、その点はご理解いただきたいと思います)
> 田中さんは今度の学習指導要領で「よい試み」と思われるところはどん
> なところですか?
私自身は専門家ではないので、良いとか悪いとか言えません。
連休前の読売新聞に、「容認」の意見が載っていました。(記事を
探したのですが、残念ながら見つけることができませんでした。)
小学生の娘達を見ている限りでは、自分でテーマを決めて調べ
発表する、という自発的に学ぶ姿勢を重視していることと、
ネイティブの先生を呼んでの英語の授業があることが、
我が子にとってはプラスになっているようです。
これらは移行期間から継続した授業形態ですが、
本格スタートからまだ1ヶ月ですから、今後もっと良い点も悪い点も
見えてくるのでしょう。
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