[BlueSky: 4073] Re:4072 進化をまなぶ意味


[From] "suka" [Date] Mon, 22 Apr 2002 21:03:04 +0900

後藤@帯畜大さん みなさん

   須賀です。

生物という科目についてのみかたもいろいろですね。

後藤さんに納得していただけるかどうかはわかりませんが、
あまりふかく考えずに、思ったことを書いてみます。

> 件の長谷川氏のコラム読んでみました。生物学としてのあるべき姿みた
> いなことが論じられているようですが、それが「生物教育」とどう結び
> つくのか、という視点はないようですね。

その点について話をひろげる議論をしようと思ったのです。

> ・・・生物学の基本概念であるからといって、また、それが社会的に有
> 用であるからといって、それを中等教育(中学・高校)で教える
> べきである、という結論は導かれないでしょう。
>
> 物理学の基本概念であるエントロピーを理解することによって、
> 初めて生命の神秘の一端とその脆さを垣間見ることができると、
> 思われるのですが、これも、中等教育で教えるべきでしょうか?

僕のイメージでは、自然淘汰や種分化について何も書いてない生物の
教科書というのは、重力に法則について書いてない物理の教科書、
分子というものについて書いてない化学の教科書みたいなものじゃない
かという感じがするのです。

後藤さんがおっしゃっているのは、物理学を生命現象の理解にどう応用
できるかという話のように思います(まちがっているかもしれませんが)。
僕の理解ではそれは中等教育のレベルとしては高すぎると思います。
進化について基本的な考え方をなにも教えない、というのはレベルが
だいぶんちがう話のように思います。

> 須賀さん【4070】:
> > 僕は長谷川氏の意見に賛成です。バクテリアにも樹にも人間にも
> > DNAがある理由は進化を考えないとよくわかりません。そのことを
> > ぬきにしてどうやってたとえば細胞や遺伝子のことを教えられる
> > んだろう?
> メカニズムの世界として十分に教えられる、と考えられます。

そうかもしれませんね。ただ僕は高校生のとき、そうした教えかたで
ならって、生物学という分野のイメージがほとんどつかめません
でした。大学にはいって進化についてならって、はじめていろんな
ことがつながって理解できたように思いました。

> 須賀さん【4070】:
> > があるように思います。「グローバル」な問題であって身近な話じゃ
> > ないと思われてしまうことがある。ところが進化について知るとむしろ、
> > それがローカルなできごとのつらなりとして大きな意味をもっている
> > ことがわかります。
> この部分、もう少し噛み砕いて説明していただけますか?

グローバルということばをどうとらえるかがひとつの問題だと
思います。日本で消費する木材や食品の生産が東南アジア
の自然環境や社会にマイナスの影響をもたらしてきた、という
ようなこと。つまり経済や政治の力が国境をこえてはたらくこと
によって、環境問題の原因と結果の連鎖が伝統的な国家や
地域社会の範囲を大きくこえて影響をもたらすこと。こういう
ことを「グローバル」というのであれば、確かに生物多様性の
保全と利用をめぐる問題にも「グローバル」な側面が大きく
かかわっていると思います。

一方、個々の現場でおきていること、たとえば日本の中山間地
の社会や産業がどうなっているか、またボルネオの森林で
伝統的なくらしをしてきたひとびとの生活や文化がどういう
影響をこうむったか、さらにそのようなかたちでひとと自然の
関係がどのような影響をうけたか、ということにきめこまかく
注目していくと、そこには問題のローカルな側面が大きく
うかびあがってくるのではないでしょうか。

そして生物に注目してみると、そのことはもっとはっきりして
くるように思います。多くの生物はヒトほど広い環境に適応
していません。多くの生物は自分たちでは現代人のように
遠くまで動き回りません。生物の適応や種分化は人間から
みるととても微妙でちいさな環境のちがいに対応している
ように思います。そのようにしてつくられてきた生物たちが
それぞれの地域の生物群集として、人間が生きる環境を
かたちづくってきました。そしてそこからいろいろな恩恵を
も受けてきたのだと思います。つまり、自然環境には地域
特性がある。そこには生物の進化がふかくかかわってきた
ということです。地域環境のかけがえのなさというのは、
人間の社会や文化と同時に、生物の進化をかんがえること
で、よりよくわかるように思います。ボルネオにフタバガキ
の樹やラフレシアの花、オオミツバチがいて、熱帯の生物
群集をかたちづくっている。日本にはブナの樹やサクラソウ
の花やギフチョウがいる。そのような環境のちがいというの
は、そのかなりの部分が進化によってつくられたものでは
ないでしょうか。

> 須賀さん【4070】:
> > 学・進化学・生態学といったナチュラルヒストリーの分野についての
> > イメージがないと、自然科学の輪郭に対するイメージそのものが
> > その実際の姿よりもかなりちいさなものになってしまうのではない
> > でしょうか。
> この点はよく理解できますが、それと中等教育のあるべき姿と、どのよ
> うに結びつくのでしょうか?
>
> ・・・例えば、中学生に「自然科学の輪郭に対する豊かなイメージ」を
> もつことを期待しているのでしょうか?

中学だけではなく、高校でも必修ではなくなるそうなのです。
「進化」ということばをどこかできいたことはあるけど、何も
ならったことはない、という大人が大多数になると、社会が
もつ「自然科学」に対する考え方や政策も大きな影響を
うけるのではないでしょうか。

実際にはそれが現状であって、今回のこともその結果に
すぎないという見方もできそうですが。

> 現行(またはつい最近まで)の高校「生物教育」では、「進化」
> は、ほとんどの(または、より多くの)生徒が履修するであろう
> 「生物IB」には載っておらず、余り履修するもののいない(ま
> たはより少ない生徒しか履修しない)「生物II」の題材です。

そのとおりでしょうね。僕がそうでしたから。

僕は自分の経験から、この現状を改善する方向に考えたい
と思うのです。

> 「進化」を扱えば「生物」が暗記科目にならない、という保証は全くあ
> りません。また、「進化」を扱わなくたって暗記科目に陥らない方策は
> ありうるでしょう。また、現状では、多くの生徒の場合、「生物」は
> 「暗記科目」になっていると思いますが、それは、「進化」を勉強する
> かしないかとは全く無関係でしょう。

「保証」はないかもしれませんね。保証がなくても改善できそう
な方向には動いたほうがよい、と思います。また「暗記科目」
であることが自動的にわるいとも思いません。

いかがでしょうか。

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須賀 丈(すかたけし)



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