[BlueSky: 3939] 虫は虫なり (家族と束縛と自由と責任)


[From] "gengorou" [Date] Sat, 16 Feb 2002 14:40:41 +0900



これも青空環境MLにふさわしいかどうか、、
考えものです。また、思い込みもかなり
あるようですが。。。発信!

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虫は虫なりに一つの考え(家族と束縛と自由と責任)
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「家族とその家族の一人一人」には、または、「会社全
体と社員一人一人」の間には、あるいは、「国家と国民」
の間には意外な事柄が生まれているような気がする。
「人間という個人」と「人間集団」の間には、その相互
関係によって、その双方に意外な落とし穴が出現してい
るのではないだろうか。

−−−
例えば、家族を考えた場合、物わかりの良いお父さんが、
その妻や子に対して、思いやりのある言葉で、「お前の
人生だ。好きなように生きなさい。」と言った場合、、
それは本当に思いやりのある言葉なのだろうか。。。
言われた者は、本当にそんな好き勝手な生き方が出来る
ものだろうか、と考えてみたい。もしも現実的に、後々、
家族が自由に生きられない状況が出現するならば、その
お父さんの言ったことは、間違っていることになる・・・。

【理想的な家族】

家族という共同体は、他の共同体(組織)と同様に、その
完全な組織を考えた場合、やはり人体のような組織が理想
的となるのではないだろうか。。
人体という完全な組織とは・・・。
人は自分の手足が腐ってしまったなら自分が苦しむので、
もしも手が傷ついて痛んだなら、出来るだけその手を使わ
ないようにする。
つまり、理想的な組織とは、組織(集団)において個人が、
人体という組織の各部と同じである様に、私たち個人個人
が苦しまない組織でなければならない。

このことから、人体のように完全な組織の中にあっては、
ある個人が苦しむことは、その組織全体に悪影響を及ぼす
ために、当然のこと、組織の構成員(個々人)が他の個々
人のことを考慮しなければならなくなる。それは、ある意
味、「他者への配慮」というよりも、「他者への無配慮が
自らに影響を及ぼす」という結果を踏まえた優れた思考の
結果、あるいは、悪い表現で言えば「打算的な本能」と言
えるかもしれない。。。。。

そのような理想的な組織においての、「個々人の個々人に
よる個々人の為の思考」は、よく言えば「配慮」であるが、
組織社会的に言えば、あるいは、生物学的な表現方法を用
いれば、その「配慮」とは、合理的な結果を予測した複雑
な計算結果、すなわち打算だとも言える。

話を家族に戻して、このことを考えてみると、もしかする
と、理想的な家族というのは、共に助け合う共同体である
のだから、当然、互いが互いに依存しており、その依存し
あう家族の仕組みにおいて、誰かが自由に生きることなど
出来ないのかもしれない。。

【家族崩壊(依存と束縛)】

この様に、家族には依存関係と表裏一体に束縛があるにも
関わらず、もしも、「自由にしていい」という別な「決め
事」を家族の間に採用してしまったならどのようなことに
なるだろうか。。それは、束縛しないということよりも、
依存を許さないという意味になってしまうのではないだろ
うか。。。

つまり、「個々人に未来を見越した打算がなければ完全な
組織に成り得ない」という法則が組織(家族など)に存在
するのなら、「打算のない組織」は「愚かな組織」であり、
「自由に生きて良い」という、そのお父さんの打算のない
考えは、依存をさせないという無責任な考え方でもあり、
愚かな組織を作り上げることになってしまう。
そして、自らの「自由の提唱」によって崩壊させたことに
気が付かないことで、愚かな組織を作り上げる過程、ある
いは、崩壊させる過程で、必ず他者に苦しみを与えるよう
に思える。
(話し合いもせずに、むやみに物わかりの良いお父さんは、
家族を離散させる?かも?)

家族とは、このような意味で、その家族の一人一人が家族
に依存し、個人の可能性を広げようとするなら、当然のこ
と「束縛しあう関係」が生まれてしまうことになる。そし
て、その中で、その束縛だけを嫌うことは、家族の成り立
ちから考えて、根本的な矛盾(落とし穴)を家族に発生さ
せてしまうように思えてくる。

【個人の自由】

ところで、会社組織においても、ある人間が「私は何々を
したいのですが・・・」と、組織内の他の人間に許可を求
めた場合、許可を求められた人間が、「自由にしてよい」
と言ったなら、その結果に対しての責任は、もちろん、、
自由行動の許可を求めた人間だけでなく、許可を下した人
間にもある。

このことを考えても、家族や会社、国家において、その組
織が完全な組織であればあるほど、個々人は互いに依存し
ているので、束縛が起こり、「個人の完全な自由」は、な
かなか成立しないのではないだろうか。
そして、組織に属しながら、他者に対して「多くの自由」
を唱える者は、自分自身が組織に依存はするが、束縛は嫌
うという無責任性があるということになってしまうのでは
ないだろうか?などと疑ってもよいかもしれない。

−−−−−

なんて、、考えてくると、、どおりで、私は、、カミサンに
「あなた、自由にしていいのよ」と言われれば言われるほど、
私の自由がなくなるわけだ。。。
私は恐妻家だったのか。。浮気の一つも出来ない。。。
結婚して家族をもったら、個人の自由など、、ないのだ!!!!

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ゲンゴロウ。。。

次回は「排他的社会環境について」かもしれない。。。




















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