[BlueSky: 3928] ゲイリー・スナイダー Re:3914


[From] "suka" [Date] Sat, 2 Feb 2002 18:37:54 +0900

葛貫さん 野池さん みなさん

   須賀です。

葛貫さん:
> > 昨年末に読んだ「野生の実践」(ゲーリー・スナイダー、山と渓谷社)
> > という本の中に、『野生が我々に求めているのは、土地について学び、
> > すべての鳥や動植物に黙ってあいさつし、流を渡り、尾根を超え、
> > 家に帰って楽しい話をすることだ。』という一節がありました。

野池さん:
> 先のメールでエネルギーの話をしましたので、
> 同じくゲーリー・スナイダーの「亀の島」(ナナオ サカキ訳、山口書店)から。
> 1979年著、ピューリツア賞受賞作品です。
>
> 「田舎あるいは都市で”より少しの物で成長”しようとする人々だけが、
> カウンター・カルチャアの名に値する。ロス・アンジェルスへの電力は
> エネルギーではない。
> ブレイクが言ったように、”エネルギーは 永遠の喜び”なのだから。」

僕はゲーリー・スナイダーのこの詩がすきです。

   八月半ば サワードゥー山の眺望

谷間はもやで煙っている
五日の雨のあと、炎暑が三日続いて
モミの実がやにで煌めく
岩場と草原を渡ってくる
生まれたての蝿の大群。

ぼくはもう思い出せない 昔何を読んでいたのか
わずかな友達は、すでに都会に住んでいる。
錫のカップで冷たい雪解け水を飲み
何マイルもつづく下界を眺める
静かな山の大気を透かして。

   『スナイダー詩集 ノー・ネイチャー』(思索社)より

僕はこの詩、どことなく漢詩に似ている、と思います。
陶淵明、李白、白居易とか(よくはしりませんけれど)。
田園の居に帰るかわりにウィルダネスの山頂に座し、
酒のかわりに雪解け水を飲んでるけど、書物をすて、
自然にかこまれて思索しながら、友を思い出している。
そして広大な風景をみている。

そう思ってこの詩集に詩人自身がよせている「序」を
あらためてみると、ちゃんとこう書いてありました。
これらの詩の「なかのいくらかは、ぼくが読んだ中国
や日本の短い詩の影響を受けている。」

漢詩をいくつか、ならべて引用したいけど、長くなるので
ひとつだけ。
  
   黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る
                 李白

故人 西のかた黄鶴楼を辞し、
煙花三月 揚州に下る。
弧帆の遠影 碧空に尽き、
唯だ見る 長江の天際に流るるを。

         『中国名詩選(中)』(岩波文庫)より

こんなふうに、美しい詩のなかにその名がよみこまれる
土地って、すばらしいな、と思います。

日本列島のどこにいっても、そこにしかない土地の名を
よみこんだ美しい詩がある、そんな夢をみてはいけない
でしょうか。

   ミラノ

石と霧のあいだで、ぼくは
休暇を愉しむ。大聖堂の
広場に来てほっとする。星の
かわりに
夜ごと、ことばに灯がともる。

生きることほど、
人生の疲れを癒してくれるものは、ない。

           『ウンベルト・サバ詩集』(みすず書房)より






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