[BlueSky: 392] RE:371-2脳と精神誕生について


[From] GENNGOROU@aol.com [Date] Tue, 10 Aug 1999 10:41:19 EDT



後藤さん,こんにちは。
    
                GENNGOROUです。

お時間をいただいてます。
環境問題から遠い話になりそうですが,人間の最大の
環境は人間ということで,人間ばかりに言及すること
お許しください。

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>Subj:[BlueSky: 371] Re:343
>Date: 99/08/10 1:28:56 東京 (標準時)
>From: kengoto@obihiro.ac.jp (Ken Goto)


>> 私は,脳も予期せぬことが,脳が働くことによって副産物的に
>> 誕生したのが精神(精神生物)だと思います。
>> 普通の言葉で言いますと人間の「意識=自己認識」です。
>> 上手く言えませんが,「脳が脳を知る」ような感じです。

>後藤さん【371】
>鏡を見させる実験が霊長類を用いて行われています。うろ覚えで
>申し訳ないですが、類人猿(ゴリラやチンパンジー)だと、自分
>が分かるようです。

そうなんですか,,霊長類に鏡,,,おもしろい,,,
それにしても,鏡とは,,,鏡ですか,,,
人間と鏡は,もう解明されたのかなあ・・・・・
(脱線します!!)

私,鏡に関してもかなり自論を持っているんです。人間の場合ですが,
鏡に写った像が左右逆に感じる原因も人間の自己を持ったものの特徴
だと思っているんです。方向基準の違いがもたらす錯覚(重力の方向
が上下,目のある方向が前で,それに自己というものの存在による
内向き外向きの方向からもたらされる左右)がそうさせているのだと。
(様々な方向の混同と人間の錯覚はいつか,話したい。。)
・・・光の反射による像の左右反転だと分かっていても,像の中の
自分の右手を見ていると自分の右手がムズムズする。。。
 自己の確立していない者(幼児)や,他者に自分を投影する者には
左右の勘違いが頻繁に起きるのも左右の面白いところです。

 つまり,鏡の中にいる像を自己と勘違いするところから,左右が
逆に感じる。ということから人間は,鏡の中の虚像に対して,頭では
虚像と分かっていても,それ以上に自己を感じていると思います。
(他の霊長類は,虚像という段階で理解しているのだろうか。。)

それと,自己の発見は,記憶に今までの自分が残り,それを次の自己が
見れるということで,鏡が脳の中にあるようなものですから,自己意識
がある動物は鏡に写ったものが自分だと気が付くのは簡単ですね。私,
動物が好きで,犬などに自分を発見させようとするのですが,駄目です。
ただ,ゴールデンレトリバーはとてもいやがります。気が付きつつある
のかもしれないなあと思ったりします。

>僕は身近に人間以外の霊長類を観たことが殆どないのですが、
>動物園や本の写真を見ると、とても賢そうな目付きをしてい
>るので驚きます。なまじのひとより、ずっと知的な眼をして
>いる霊長類がいる。知性だけでなく、喜怒哀楽の感情を表
>す目付きも(人間に近いためか)よく分かるような感じです。

私,動物園大好きなのです。猿が一番すきです。
猿の種類によっては「餌なんていらねえ」などというプライドが
あったり,騒ぐ私をぜんぜん見ようとしないのに,私がそっぽを向くと
私を観察している猿がいたりして面白いです。
オラウータンなどはキョトンとした目をしていてとても愛情が深そう
ですね。人間より好きです。
日本ザルは人間の理性を取ったら,まさにあれだなと感じながら見て
います。機関銃や手榴弾を持たせたら,ガンガン使いそうです。
チンパンジーはまったくひょうきんです。

ところで,霊長類の霊長は,不思議な言葉です。
どういういみなんでしょうか。。。
(「精神類」と同じ感じの言葉なんだろうか。。。)

>・・・つまり、われわれに近い魂をもっている、ということが
>実感できます。

魂というと,崇高という意味に取れ,オラウータンに軍配をあげたい
ところです。知性とか創造性,記憶力,邪悪性というと人間の
足元におよぶものはいないように感じます。
ゴリラやオラウータンを想うと,人間やめたくなります。
他の移住可能な惑星が見つかったら,ゴリラとオラウータンを
移住させてあげたいものです。宇宙に優しい種を残そう!です。

>> > 源さんの場合、上に挙げた3つの機能を独立・分裂させている
>> > ニュアンスがあるので、一般的には理解しづらくなっていると
>> > 思います。

>> そうなんですか,,三つが独立した存在というニュアンスに
>> 取れてしまうんですね。
>> フォローがとてもありがたいです。

>後藤さん【371】
>例えば、「生物」というと普通は独立した「個体」を表すのに
>使う言葉だからです。

そういわれると,そうです。ふむ。。。。

>> > 源さんの主張が依拠している社会現象の一つは、教育が浸透
>> > し高学歴化が進んだ社会では少子化が進んでいる(出生率が
>> > 低下している)ということだと思います。

>> そうです。
>> ただ,私は脳の仕組みから考えてこなかったせいか,
>> 「子どもを作らない」→「初期生物からの影響が弱い」→
>> その原因→「精神の独立」になります。

>後藤さん【371】
>そうですね。思考の枠組みが全く異なるという点が面白い点だと
>思います。生物学者は生物学的知識の枠組みの中で、それに沿っ
>て考えますが、源さんの場合には生物学とはほぼ無関係に極めて
>ユニークなゲンゴロウ的世界の中で考えますからね。

いつもやさしい言葉をありがとうございます。
SFと言われるといやですが,ユニークと言われると
よろこんでしまいます。

>さて、↑の源さんの思考の里譴亡愀犬靴道廚ど佞里蓮⊃携藜膳
>蓮κ娜鏃呂亮けるストレスによる脳幹・視床下部系の機能障害
  ↑       
  ここが文字化けで読めませんでした。

>です。食欲がなくなるほど悩みが深いような場合はその典型で
>すね。これが持続したら大変ですね。あと、近年世間を騒がし
>ているのは性欲減退とか。

>> 「精神の独立」は,肉体を強く有意識化することで初めて
>> 可能(たとえば,絵描きダリの空間浮遊の岩を見て物の質
>> 量が認識できるようなもの)となるので,「死を見つめた
>> り」「脳の機能の衰えがないときに身体の機能が衰えたり」
>> した者に「精神の独立」が起こると推測しました。
>> と,考えると,この日本社会の二面性の状況の何か分かる
>> ような気がするのです。

>後藤さん【371】
>僕が↑に例としてあげたものは、「障害」をもたらすほどの
>「抑制」ですが、例えば、僕が今こうしてメールを書いてい
>る時は「寝食を忘れている」わけです。

まったく同じで,笑ってしまいました。

>つまり、新皮質系・辺縁系が働き出すと、脳幹・視床下部系
>の「欲求」は抑制されるようなメカニズムがある、と思われ

すでに,自分の脳をコントロールできるということになるのでは
ないでしょうか。もう脳の自然メカニズムではないと思います。
脳自体までもコントロールできる可能性も,人間にはあるという
ことになります。
私が,人間を好きなところはここです。
喜怒哀楽を我慢するのではなく,コントロールできるところです。
それには,訓練が必要ですよね。
今の子どもたちにその訓練の場,時がない。訓練していない者が
できないと責めてはいけないと思います。

人間は,肉体から独立した精神存在を持ち,それが自分では
ないか?と認識したことにより,逆にこのわがままな肉体を
乗りこなし,飼い慣らす必要が出てきたと考えてます。
つまり,自分の中の肉体生物を動かす脳のコントロールに
長けてます。なので,馬の背中に乗って走り回るのは,お
茶の子さいさいなんだと思います。
よく,馬や人を使うのが,道具の延長だといいますが,
その通りだと思います。道具の使用は,人間の精神が肉体を離れ始
めた頃,手が脳の道具になり,手にした物も道具になったと
思います。なので,脳までも道具にしてしまったのだと思います。
脳が足りなくなると,演算装置も記憶装置も作ってしまって,
やがて,思考する装置も作って,人間は眠ろうとしているようです。

>るわけです。もちろん、集中力の程度にもよりますし、「欲求」
>の強弱にもよるのでしょう。

私,集中力はありませんが,性欲は人並み以上にあります。
で,社会的な危険を感じた私の脳は,どうも,バカなことを私に考え
続けさせているようです。
こういうことを考えていないと,性犯罪か,造幣局を襲いそうです。
(半分冗談で,1/4はウソです)

>> 意識が記憶の繰り返し,時間が今の自分を次の自分が記憶する
>> ことで流れていることを考えると,大脳新皮質の機能が大きく
>> 影響してますが,大脳新皮質が精神生物ではありません。
>> なんども繰り返し申し訳ないのですが,私は大脳新皮質が働
>> く時の現象から自己が生まれていると考えてしまうのです。

>後藤さん【371】
>生物学的にもまさにその通りだと思います。
>ただ、注意して欲しいのは、生命現象はすべて静的実体ではない、
>ということです。活動することによって、活動そのものが維持さ
>れているのです。「生物」と「生命」を別のものと考えるのが一
>般的ですが、両者は便宜上の言葉以上のなにものでもない、とい
>うのが僕の見解です。

>・・・「生物」は肉眼的解剖を行った時の言葉、「生命」は
>機能的解剖を行った時の言葉です。われわれの眼は「分ける」
>ことを通じて理解しますが、「分けられる」方は統一的な実体
>であるわけです。

> 一つの実体を二つの面に分けて考えるのにわれわれは
> 得意ですが、二つの面の関係性を捉えることには極めて
> 苦手です。この特化のために、それが恰も別の実体であ
> るかのような錯覚に陥りやすい。

>新皮質系の場合も全く同じです。
>新皮質系の神経インパルス発火パターンの時空的変化の全体その
>ものこそ新皮質系なのであり、ニューロンどうしの複雑な回路網
>という空間的構造は、新皮質系の一側面というべきでしょう。
>この空間的構造に依拠しつつ神経活動の時間変化を作り出し、
>かつ、その過程で空間的構造自身が変容していくという、時空プロ
>セスそのものが、新皮質系の実体です。

ありがとうございます。ここまで,お話をしていただけるとは,
思いませんでした。(私もまんざらではなかった,と喜んでしまいます)

私が言いたいのは,このことではないのですが,とても似ています。
結論から先に申し上げますと。自己の獲得には「同時性」が必要
なんです。哲学的な話ではありません。

「構造の中を走る電気信号」と「構造自体の変化」には同時性があり
ませんので,あくまでも動物の肉体の維持の脳の話です。

脳の中で同時性のある現象とは,
「電気が流れる回路による信号」と「その流れた電気信号の強弱」
という二つの現象です。
脳の中で,二つの現象が同時に起きているから,その相互存在で
人間には意識が生まれていると私は考えています。
(どこにも著されてないので,後藤さんにお考えいただくしか
 手はないです。)
この今という時間的な瞬間があるということだと思うのです。
「今」を感じるのは,自己存在の特徴的な感覚です。
(時間など存在しないのにです。)

ちょっとそれますが,同時性の可能性について,,,
二つの物体が接するのは,空間が混ざるときで,いつ混ざったのか
は時間的に収束的に無限で判断ができませんが,二つの物体にとって,
同時性は起きていることは事実です。空間が一つでなければ
絶対に同時性は起きません。三つの物体では絶対に不可能です。
それと,脳の中を流れるエネルギーまでも一つに二つのことが
起きたときにしか信号的な同時性はおきません。

私は,この脳の中の現象(同時性)から精神(意識)が生まれて
いると考えています。
これは,私が考えた「無からの物質の誕生」ともそっくりなんです。
(これ以上かくと,本当に私の脳を疑われてしまうので,
 止めておきます。)

>> で,肉体→脳→処理(現象)→意識と,肉体からかなり離れた
>> 存在を考えるとすでに,一つの独立した存在と認知してもよい
>> と考えました。
>> すると,困ったことが起きました。目(視覚)に見えないの
>> です。でも人間の「脳感覚」では感じる。で,目には見えず,
>> 触れないけれども「ある」ということで,無体の存在→精神
>> 生物と考えたのです。

>後藤さん【371】
>生物学では(すべての自然科学がそうであるように)すべての事柄に
>物質的実体を求めます。

そのようですね。私だって,それを基準にしなければ気が狂います。
でも,そこから,私はそうではない世界にお出かけします。
物質というのは,私にしてみると,きわめて物質的な人間の感覚で
しかないと写ります。

>精神が新皮質系の活動の一形式であることはほぼ間違いない、
>といってよいと思>われます。

精神は,構造体の変化という同時性現象から生まれる
「相互存在という仕組み」によってなされる「無から誕生」の産物
ではないかと思います。

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自分で読み返しても,かなり疲れるので読み返さずにだします。
文法がおかしなところがあると思います。
先に,謝っておきます。すみません。

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GENNGOROU





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