陸さん、こんにちは、葛貫です。
>私は、長峰[322]さんは、少子化問題は主として社会の問題である、とおっしゃって
>いると受け取っています。
私が、読みちがえていたようです。
> 長峰[322]さんがおっしゃるように、社会的な制約には個人の意志だけではどうに
>もならない部分もあって、それがヒトの生物としての正常な発達を妨げるほどになっ
>ている、という点では全く同感です。
> ただ、それを解決しようとするなら、社会の今のあり方をどうするか、ということ
>が主要なテーマであって・・・・・、
>‥‥「(アフリカでは;引用者注)子供はなお野良の手伝い、老後の頼り、性的能力
>のシンボル、そして一定の住民の間では、死んだ親の霊と現世とを結ぶ、などの意味
>を持っている。そして避妊方法は普及していない。」(『飢餓 それは人災か?』国
>際人道問題独立委員会1985)
陸さんは、世界を視野に入れて話していらっしゃるのですね。
見識の狭い私は、この時代の、日本、それも都市近郊の中産階級のことにしか
考えが及びませんでした。
今の日本で子供を持つことに関して、それほど強烈な社会的な制約があるでしょうか。
それに、社会というものは、その社会の構成員の意志、あるいは、意志のなさ、いい加減さ
等々が集積されてできているもので、「個人 対 社会」という明確な対立があるのでしょうか。
個人のあり方が社会に反映している部分もあるとは、考えられないでしょうか。
>サルの隔離は傍証にはなるかもしれないけれど(私はサル
>の隔離は人間の社会的な疎外とは意味が全く異なると思っていますが)、それ以上の
>ものではないと思います。わざわざサルの例を引き合いに出すまでもなく、人間を医
>学や心理学等々から直接調べてみれば良いわけです。
仰しゃる通りだと思います。
#珍しいお名前なので憶えているのですが、陸さんが環保の1Fにいらした時、
3Fにいたことがありました。
Y.Kuzunuki <kuzuny@geocities.co.jp>
(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。