[BlueSky: 380] Re:369 教育に関して思うこと


[From] kitapp@elf.coara.or.jp (Katsumi) [Date] Tue, 10 Aug 1999 12:34:46 +0900

こんにちわ,喜多です。
> >>私が通った中学・高校と学校では、教師を採用する時、幸福な(richではない)子
> >>供時代をおくった人という選抜基準があったという話を聞いたこ
> >> とがあります。

> 今は、どうなっているか知りませんが、私が在学していた頃は、6年間日常生活を見て
> きた卒業生の中から適任者を選んで依頼することが多かったようです。
> どのような自己申告をしても、どのようなつくられた(?)良い噂があっても、
> 本人としばらく一緒にいれば、「幸福な子供時代」を過ごしたかどうかは、
> 言動に滲み出してしまうのではないでしょうか。
> どんな、といわれても上手に説明できないのですが、変に攻撃的だったり、必要以上に
> 謙ったていたり、自分自身でいることがとても心地悪そうな感じがしたり・・・・・。

こんにちわ,喜多です。もしかしたら下の2行は私の事かな,と思い,お気を悪くさ
れたのでしたら,ごめんなさいね。ただ,私は子供の様に直「疑問」が生じると聞い
てしまいたくなるもので。

私も私学の教員採用面接や,企業の採用面接に立ち合った(就職担当等をやった)経
験から(今は全く関係ありません),具体的な選択基準として
1,家庭が裕福で,出来れば自宅通勤可能な人
2,明るい人(これが困る,人間は幾らでも演じられる)
3,両親の揃っている人(ちなみに私は高校時に父が亡くなった)
4,容姿端麗(現在ますます助長し,採用試験前に整形手術までする人がいるとか。
全く自信無し(笑
5,縁故(親が勤めていた,学校の卒業生,紹介者)
要するにこれらを持って「幸福な人」と言うのか,その場合やはり(richではない)
と言うのは「不幸な人」として,見ていた様に思われます。だから,「不幸な(rich
ではない)子供時代」を送った人を採用基準に置いていたのなら,これは学校の見識
,素晴しいとも取れるのですが,多分,今でも多くの私公機関(企業,学校を含め)
は厳然として,上の様な選択基準を取っている所が多く,
6,民族差別,差別意識,或いは血液型等まで不幸にして採用基準に置いている所は
多いとおもうのですが。
私は選択基準の善悪を言っているのではなく,むしろ6,等は絶対あってはならない
事だと思っています。(ちなみに就職担当者として,学生が「訳の判らない様な不採
用(筆記試験は出来た)」で落とされて来た時など,最も学生への対処を「如何にす
べきか」苦慮しました。
> すべてが努力によってあがなえるものではない、天賦の才能、筋の良さというものが
> 存在するといういのが、私の実感です。
> 芸術家でも、研究者でも、自分の内側から湧き出してくるものがある人と、
>
>技術を磨くことによって、それなりのものをつくり出す人がいるように、私には感
>じられます。
> 根拠はと問われると困るのですが、年間1000件ほどの研究論文を読む仕事をしていて、
> そのように感じられるという、私の主観です。
> (私が努力、忍耐、根性を嫌う凡夫だから、そう思いたいだけなのかもしれません。)

主観の違いは誰にでも存在し,私は「全ての人間に天賦の才能は存在し,天才とか,
才能がある等と言う事は全くない」として,今まで2万人位の「創造を志す」若者に
接して来ました。事実,私は今まで接した若者の中で「天才」とか「持って生まれた
才能ある」人間等,唯の一人も出会った事がありません。

まあ,私が「持って生まれた天才」を感じたのは,日本なら「美空ひばり」さん位で
しょうか。
外国では確かにモーツアルト,それに「直線は曲線である」等と言わしめたアインシ
ュタイン,ピカソ等は「天才」と言っても過言ではないかも知れませんが,私は「天
才」「才能」はプロセス(過程)の中での「環境」が人によって造り出されるもので
,どんなにIQ(知能指数)の高い人でも,「生まれながらの天才」と言う人は皆無だ
と思っています。

私も「努力」とか「仕事」は「無駄」に通じるとも思いますが,同じ努力も「遊び」
「楽しみ」の「過程」と捕えれば,やはり世に「天才」「才能」を謳われた人々は,
人知れず「努力」し,或いは何がしかの霊的とも言える「運」「人のめぐりあわせ」
「人のであい」「傲慢不遜なども」の様な天命に恵まれた人はいたと思われます。

> 与謝野晶子さんの娘さんに、高校生の時、数学を習ったことがあります。
> もうお孫さんがいらっしゃるようなお歳でしたが、いきいきとした魅力的な方でした。
> 私の周囲には、5児の母や、6児の母になろうとしている人もいます。
> (別に、カトリックの信者というわけではありません。)
> 凄くも、珍しくもありません。

ちょっと言いにくいですが,私は「11人だかの子沢山」だった与謝野晶子さんが,
「凄い」と言う訳ではなく,あの当時の日本で「弟よ」の反戦歌を歌い,しかも妻子
のあった与謝野鉄寛(この字かな)さんと,今で言う不倫か,「駆け落ちか」し,し
かも,学校の校長までなし遂げ,聞く所によると,非常に「楽々」「お気楽」そうに
何でもやってのけ,しかも人柄もすこぶる良い人だったとか,そんな「与謝野晶子さ
ん」が「凄い」と思っています。ちなみに私は宇野千代さん,瀬戸内寂聴さん,岡本
太郎のお母さん「岡本かな子さん」等,「凄い女性」だなあ,と思っています。(尊
敬と言うのとは又,違うのです)

私は偶然,小学校5年生の子供に「創造」を教える機会を得た事があります。彼は4
人兄弟(姉妹)の長男で,後は3人,妹でした。お父さんが彼と一緒に来られたので
す。「妹ばかりなので,家にいても会話が難しく,絵を描くのが好きなので,ここに
来させて欲しい」と頼まれました。わずか数ヵ月でしたが(私が体調不良で断念した
),彼と「創造」について一緒に「絵を描き」「デッサン(白黒で描く)し」「アイ
デアを出し」の日々は,私にとっても凄く新鮮で,素晴しい日々でした。彼はスポー
ツ,塾,それに私の所での「創造訓練」と,1週間殆ど,何かやっていました。

彼は非常に優等生の様な子供でしたが,時には絵を描きながら眠ったり,鉛筆を放り
出す事もありましたが,大体,2,3時間は私と一緒に過ごしました。私は彼が一生
描いても描き切れない位,紙を持っていましたので,学校で描かない様な大きな絵を
ボンボン描いて貰い,必ず完成させる様にしました。

彼の唯一の欠点は「その優等生的発想」で「アイデアは平凡でした」。どんなアイデ
アを描かせたかは言えませんが,彼には,必ずスケッチブックを持って「落書き」す
る様に言いました。

>
>作り上げられた頭でっかちではなく、「好きこそものの上手なれ」の人が、適材適
>所で楽しみながら活躍できるようになればいいなと思いました。

本当に「好きこそものの上手なれ」で彼は「生きた線」(スピードのある)が描ける
様になり「アイデア」にも,「規制の中にも自由奔放」なアイデアを,徐々に現われ
る様になりました。

>
>また、先生・先輩や親が、子供の成長を望みながらも、自分を超えようとすると足
>を引っ張るようなことがなくなればいいな、と思いました。

彼はもう中学校1年生,本当に,上記の事が無ければと,親でもないのに気にかけて
おります。

> まとまらなくて、すみません。

こちらこそ,
>
> ではでは、

喜多かつみ

kita katsumi kitapp@elf.coara.or.jp
「創造学級KITA ORIGINA」「誰も聞いた事のないコスモムジカ」
URL http://www3.coara.or.jp/~kitapp  
「創造空間」&「蔵書」&「奇蹟」&「古葉書」「切手」(7,DEC,1998更新)





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