[BlueSky: 381] RE:371


[From] GENNGOROU@aol.com [Date] Mon, 9 Aug 1999 23:43:49 EDT


後藤さん!皆さま,こんにちは。。

              GENNGOROUです。

後藤さん,,忙しいのに相手をしていただき,
ありがとうございます。私,自分自身でもひっくり返ったような
ことを考えて苦しんでいるのに,それを突然読まなければならない
後藤さんは,大変だろうなあと思ってます。
災難だと思ってあきらめて(笑),すこし,相手をお願いします。
(感謝のことばでした)


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GENNGOROU:
>> 精神生物が進化すると,個と集団に別れるのではないかと思いま
>> す。視覚的に一固体であると生物を定義することを,疑ってみま
>> すとアリや蜜蜂は一つの生物として扱って良いように思えました。

後藤さん:
>ここは、昆虫学者の出番ですね。確か、超個体と呼んだのでしたか?

そうなんですか,,「超固体」という言葉があるんですね。
教えていただきありがとうございます。
(そうか・・・超は良いとして,「固体」と扱っているんだ。。。
  なんか,うれしい感じ。。)
この,言葉をお借りすると私は,人間も超固体になる要素がすでに
芽生えていると考えています。過渡期なので反発も起きてます。
その反発が,いくつかの問題に関係あるかもしれません。
・・・超固体を求める集団の中で,個性を尊重することを強いると
   どうなるのかなあ・・・・矛盾を強いることにならないかな・・

GENNGOROU:
>> ある信号でつながっている個体群を集団生物として扱ってみました。
>> 人間社会がある規律ないしは,伝達信号で統一されると,人間は
>> 気が付かない内に集団性物化するのではないかと思うのです。
>> そう考えると,誰もが「平和でありたい」と考えるにもかかわらず,
>> 「戦争が起きる」ことや,「集団殺りく」をしたものが,ポカンと
>> していることが頷(うなず)けます。
>> このことを,人間の社会環境を考えるときに当てはめると,人間の
>> 中に責任者を捜す思考をやめなければならないことになります。
>> 完璧な組織は,その責任者や集団の構成員の意志とは,まったく
>> 違った方向に動く危険な可能性があるということです。
>> その時に「責任者探し」はなんの解決策にもならないということ
>> なのです。

>後藤さん【371】
>ここは重要な問題提起ですが、僕の考えはまとまりません。

後藤さんが「こまったなあ」とうなだれている様子が目に浮かびます.
(すみません。。)
でも,私は,聞いてもらいたい。・・・ので,書きます。

私が集団生物(超生物)を持ち出したのは,
「集団生物は人間とは関係ない意志をもつので,構成物である人間を
苦しめるよ」というのが,私の提言です。
「人間が人間を苦しめているように見えるけど,ちょっと違うよ」という
ことです。つまり「人間が戦う敵は人間じゃないよ」と言いたいのです。

私は人間を苦しめる未知のことがあると想定してそれを探していますが,
たくさんあるようです。これは,その一つの例です。
このことを発展思考させると,政党の分裂,民族の団結,学校の集団生活
のなかの諸問題が,別の面が少し見えてきます。
たとえばイジメ合う子どもたちに,「君たちが悪いんじゃない」と言え,
親に,先生に,教育関係者に「まったく別なんだ!!違うんだ!!」と
いいたいんです。

>責任論として捉えると、予測できない事柄については責任は発生
>しない、ともとれますが、どうなんでしょうか?

本当に予測不可能の事柄であったらね責任はとらなくていいと思いますが,
ここでは,人間の予測能力の範囲が問題となるようです。

薬剤エイズ問題のように未熟な予測能力を傘(笠)に着て責任を回避する,
あるいは,「危機に直面している」という大義名分を理由に出来る予測作業
を怠る事は,許されざることだと思ってます。
また,全ての行為なり現象には必ず影響が発生し,連続した間接影響から逃
れることは出来ないと考えると,人間の全ての行為に責任が発生してしまい
かねませんので,困った問題です。(21世紀はこの辺の人間に課せられた
パラドックスの解決の世紀になってもらいたいです。)

ちょっと横道に,(他のメールにもあったことですが,,)
アインシュタインが膨大なエネルギーの存在に気が付き,発表しましたが,
歴史を少し知る者ならば,こん棒の運動エネルギー,火の熱エネルギー,
火薬の膨脹エネルギーが直ぐに武器に使用された歴史を知っています。
アインシュタインがそれを予測できないはずはありません。
なぜ,発表したのでしょうか。。
その時代のよその国の科学者が,あるいは未来のいつかは誰かが,と考え
責任を回避できたのでしょうか。。
でも,もし,アインシュタインがこの「物質の完全エネルギー化」の理論を
思い付いたときに「この理論を発見した者は誰も絶対に発表しないだろう,
私も墓場までもって行こう」と考えたら,全ての科学者がそれを出来たら,
核爆弾は永遠に存在しないことになります。

ここに,私はいくつものことを考えさせられます。たとえば,
人間にはなぜ,発表してしまうという欲求行為があるのだろう。
科学技術(文明)の発展とはなんだろう。などです。
私なりに結論を出したのは,前者は人間が不安定な精神存在だからであり,
後者は,人間の「自己存在の確立」からもたらされる「教えるという本能」
ではなかろうかでした。(本能は脳に仕組まれたプログラムだとすると,
精神生物としての本能が,もうすでに脳にあることになる)
簡単に言うと,他の生物には研究対象を求められない人間独自の性質が,
人間を取り巻く問題に影響を与えているのならば,動物が「ウンコ」を
するのに責任を取らなくて良いように,人間も責任をとらなくて良いと
思います。
しかしながら,どうして,「ウンコ」がでるのだろうかを考えること
によって,ところかまわず「ウンコ」をしないですむ方法が考えられるの
ではないかと考えます。
この意味で,人間の為す行為(ウンコ)の臭いを嗅ぐ,突っつくよりも
人間の行動する仕組み(ウンコがでる仕組み)を考えないことは,予測を
怠ることに匹敵すると思うのです。


つまり,人間の責任は自分たちの癖や錯覚を明らかにしないことだと思い
ます。それと,全人類に課せられたパラドックスの存在を研究しないこと
だと思います。人間がしてしまったウンコ同士の関係を考えていたのでは,
このことは考えられないのではないかというのが,私の意見です。
「ウンコ関係」じゃなくて「なぜウンコ」なんです。

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後藤さんにまた,甘えて,また興奮してしまいました。

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GENNGOROU



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