[BlueSky: 3775] Re:3770 技術と科学のありかた


[From] "Sato, Kenji" [Date] Thu, 8 Nov 2001 23:14:19 -0500

度々の佐藤です。

葛貫さんの投稿に触発されて、また、駄文を投稿させて頂きます。

「科学」は価値判断はしません。おそらく、何が大多数にとって心地よいかは統計的
にある幅をもって確定する事は出来るでしょうが、「これが正しい」とか、「あれは
間違いだ」というのは、大前提になる価値がないと、”科学的に”決定出来ないもの
と思います。科学的な説得などというものは、殆どがその大前提を隠して方便として
使われている気がします。よい例がうかびませんが、同じ現象を用いて全く反対の意
見を支持する道具に使えるはずです。

確かに、科学が細分化され蛸壺化してきて、「素人に何がわかる」って言われると、
ちょっとひるんでしまいますよね。でも、科学が「水戸黄門の印籠」になってしまっ
たら非常にまずいです。もし、社会で専門家なる人たちにより、何らかの決定が行わ
れるのなら、彼らに、一般に解るように説明させなければなりません。彼らは説明す
る義務があると思います(国の税金で勉強してきたんだから)。部分的には”科学的
に正論”でも、もっと大きな枠組みの中では正しくない事はいくらでもあり得ます。
彼らの専門領域のことは理解は出来なくても、社会で生きている個としてのロジック
は誰でも持っているはずです。でも、理屈に対して情緒で対抗するのはどうかとも思
います。情緒は共感を得ることは出来ても、理解は得られないからです。(ま、共感
の方が理解より力強いことは間々ありますが)。社会のあり方として、理解より共感
の方を取ろうと言うのなら仕方ありませんが・・・、僕には住み難い世の中になる
なぁ。

> 新しい科学的な発見がなされ、それを利用した技術開発に取り
> 組む前段階で、その技術が何を目指しているのか、ベネフィット
> とリスク、開発者がどのようなユートピア像を持っているのか、
> 等が明らかにされ、社会的な選択を受けるようになればいいのかな、
> と思いました。
研究やってる本人も、それを指揮しているマネージャーも、投資者も、実は誰一人と
して、5年後にどうなるかなんて、解らずにやっているのが実状なんでしょうね。生
命の営みと同じで、盲目的に進み続ける以外、変化する手だてを持たないのかも知れ
ない。

とても、抽象的な投稿になり、わかりにくくて申し訳ない。


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