[BlueSky: 3741] 狂牛病と科学の限界


[From] "aquamarine" [Date] Sat, 3 Nov 2001 08:56:45 +0900

青空のみなさま、初めまして。
数日前に参加させていただいた、aquaと申します。
よろしくお願いいたします。

私は神奈川県に住んでいる、フリーランスの翻訳家です。
主婦もしており、子供が2人います。
まったくの文系で、生物や化学については素人です。
仕事上、最新技術に関する文献はよく目にしますし、
環境問題、ライフサイエンス、科学や技術のありようなどについて
深く関心を持っておりますので、こちらに参加させていただきました。

***


数日間のやりとりを見て、専門的に見ると難しい問題なんだなと
思っていました。今日の田中さんのご意見に共感したので
ちょっと書いてみたいと思います。

ここでの議論は、

 風評被害によって、牛肉の消費量が落ち込んでいるのは
 「よくない」ことである。まちがった認識を改めて、
 いままでどおり牛肉を消費してもらい、生産者や流通業者の
 ビジネスを守らなければならない。

というような大前提の上で行われているように感じていました。
わたしはこのことに、違和感を感じないわけではないのです。

***

たとえばこれは、原発についての議論、

原子力は、「なんとなく」うとんじられている。
これは素人の間違った考えであり、「よくない」ことである。
正しい知識を広め、原発を地域に受け入れてもらい、
「電力消費のさらなる拡大」をはからなければならない。

あるいは、ライフサイエンス、バイオエシックスについての議論、

 臓器移植や遺伝子組み替え、
 ES細胞の研究について「なんとなく」拒否されている。
 これは素人の間違った考えであり、、(以下同様)

とほとんど同じようなニュアンスであるように思います。

***

わたしはこういう、いわば、科学を全面的に信頼し、
どんどん拡大していこう、
多ければ多いほどよい、大きければ大きいほどよい、
というような価値観に、かなり違和感を感じています。
個別の技術の安全性を云々する前に。

このまま拡大路線を続けていけば、地球のリソースが
たちまち枯渇してしまうのは目に見えていると思うからです。

牛肉にしても、環境的に見れば、はるかにエネルギー効率が
悪いはず。1頭の牛を育てるには大量の草が必要ということです。
としたら、5回食べる牛肉を3回に減らし、その2回分のエネルギーを
牛肉はおろか、明日のミルクにも事欠く人たちの方に回すほうが、
全人類の幸せ、地球全体の環境保護という点から見れば、
有意義なことではないかと思ってしまうのです。

バイオテクノロジーについても、ほぼ同じように感じてしまいます。
基本的な薬さえ手に入らない人たちが何億もいるのに、
ほんのひとにぎりの人たちだけが「もっと多く、もっと長く、、」を
追求することに。


また、Aという遺伝子を改変することによって、系全体、
人間という種、あるいは生態系全体に長期間にわたって
及ぼされる影響をすべて予測することでは不可能なのではないか。
現時点で問題なかった、あるいはたまたまAだけ変えても
別になんともなかったということで、ゴーサインを出していいものか。

***

つまり、科学の方法自体の限界、ということかも知れません。
近代科学は物事を個別に分解し、それを論理で組み立て、
実験で裏づけることによって成り立っていると思いますが、
分解できないもの、実証できないものには手が出せない。
「いのち」そのもの、有機的な系そのもの自体を完全に
解明することはできないのではないか、ということです。

たとえば、一時期流行した(!) 環境ホルモンという問題がありました。
「ホルモンとそれに影響を与える因子の個別の仕組みが分かってないのに、
それこそ、素人の俗説だ」という専門家の方もいたみたいでした。

でも、科学は生態系全体、いのち全体、を解明することはできない。
それぞれのホルモンや影響を与える因子を個々に研究したからと言って
全体が分かるわけでもないし、まして将来に渡る影響を
科学の手で全部予測することは不可能なのではないか。

こうした、複合的で長期的に渡る複雑な系のダイナミズムは
科学の手ではどうしようもできないことが環境問題の本質のように思います。

つまり、これまでピースミールワークと論理で自然を解明してきた(?)
科学の方法自体の限界が、個別の問題といった形で
露呈しているのではないかと思うのです。

だから、論理的な(=科学的な)理由はなくても、
牛肉は買わないし、遺伝子組み替え作物も買わない。
いくら政治家や科学者が「だいじょうぶ」と言っても、
環境やバイオテクノロジーに不安を抱くのだと思います。

***

最近呼んだ、池内了先生の「科学は今どうなっているの?」
というエッセイに非常に共感するところがありましたので、
このような疑問を提示させていただきました。

池内先生は「いけいけドンドン(?)」の価値観ではなく
「ほどほど」、「足るを知る」ことこそがこれからの
人類の英知なのではないか、と論じておられました。

池内先生は宇宙物理がご専門ですので、
生物や環境についてはそれこそ
「素人」であるとおかきになっておられました。
こういう「素人」の全体的なバランス感覚、のようなものこそ
環境問題を前向きに解決していこうとする鍵ではないかと
思うのですけれども。

まとまりがなく、しかもいきなり長文で申しわけありません。
長いこと疑問に思っていたことであり、こちらは
ご専門の方も多いようですので、あえて書いてみました。


どうぞよろしくお願いします。

。.・。☆・。 Aqua 。.・。゜☆


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