[BlueSky: 371] Re:343


[From] Ken Goto [Date] Mon, 09 Aug 1999 01:07:03 +0900

GENNGOROUさん、皆さん、
後藤@帯畜大です

源さん【343】:
> > 初期生物の命令+動物の命令=脳幹・視床下部の機能
> > 精神生物としての欲求   =大脳新皮質(新哺乳類脳)の機能
> >
> > これに、
> > 喜怒哀楽         =大脳辺縁系(旧哺乳類脳)の機能
> > を付け加えれば、人間的欲求を理解するための一つの枠組みが出
> > 来上がるでしょう。
>
> まず,これ↑を理解していただきます。
> で,次に私の思いですが,大脳新皮質はきわめて高度のコントロ
> ール,ないしは,創造の脳でありますが,それでも哺乳類の脳の
> 延長でしかないと思います。
>
> 私は,脳も予期せぬことが,脳が働くことによって副産物的に
> 誕生したのが精神(精神生物)だと思います。
> 普通の言葉で言いますと人間の「意識=自己認識」です。
> 上手く言えませんが,「脳が脳を知る」ような感じです。

鏡を見させる実験が霊長類を用いて行われています。うろ覚えで申し訳ないです
が、類人猿(ゴリラやチンパンジー)だと、自分が分かるようです。

僕は身近に人間以外の霊長類を観たことが殆どないのですが、動物園や本の写真
を見ると、とても賢そうな目付きをしているので驚きます。なまじのひとより、
ずっと知的な眼をしている霊長類がいる。知性だけでなく、喜怒哀楽の感情を表
す目付きも(人間に近いためか)よく分かるような感じです。

・・・つまり、われわれに近い魂をもっている、ということが実感できます。

> > 須賀さん【327】:
> > > 源さん:
> > > > そこで,「子どもを産む」ということを考えますと。。。
> > > >
> > > > 子どもを産まない社会(国)を考えるとき,
> > > > その社会(あるいは組織)が精神生物的人間が
> > > > 多い社会(環境)になっているかもしれないと,考えられ
> > > > るのではないかと思います。
> > >
> > > これは、肉体的な存在への欲求がみたされたので、精神的な存在への
> > > 欲求の部分が拡大している、という意味ですか? もしそういう意味
> > > に理解していいなら、現象面ではもしかしたらそういうことがあるの
> > > かな、という気がします。しかしそれを生物学で説明できるのか、と
> > > なると、わたしにはわかりません。あるいは、ほかの分野の学問なら
> > > できるのでしょうか?
> >
> > 源さんの場合、上に挙げた3つの機能を独立・分裂させている
> > ニュアンスがあるので、一般的には理解しづらくなっていると
> > 思います。
>
> そうなんですか,,三つが独立した存在というニュアンスに
> 取れてしまうんですね。
> フォローがとてもありがたいです。
例えば、「生物」というと普通は独立した「個体」を表すのに使う言葉だからで
す。

> > 源さんの主張が依拠している社会現象の一つは、教育が浸透
> > し高学歴化が進んだ社会では少子化が進んでいる(出生率が
> > 低下している)ということだと思います。
>
> そうです。
> ただ,私は脳の仕組みから考えてこなかったせいか,
> 「子どもを作らない」→「初期生物からの影響が弱い」→
> その原因→「精神の独立」になります。
そうですね。思考の枠組みが全く異なるという点が面白い点だと思います。生物
学者は生物学的知識の枠組みの中で、それに沿って考えますが、源さんの場合に
は生物学とはほぼ無関係に極めてユニークなゲンゴロウ的世界の中で考えますか
らね。

さて、↑の源さんの思考の流れに関係して思い付くのは、新皮質系・辺縁系の受
けるストレスによる脳幹・視床下部系の機能障害です。食欲がなくなるほど悩み
が深いような場合はその典型ですね。これが持続したら大変ですね。あと、近年
世間を騒がしているのは性欲減退とか。

> 「精神の独立」は,肉体を強く有意識化することで初めて
> 可能(たとえば,絵描きダリの空間浮遊の岩を見て物の質
> 量が認識できるようなもの)となるので,「死を見つめた
> り」「脳の機能の衰えがないときに身体の機能が衰えたり」
> した者に「精神の独立」が起こると推測しました。
> と,考えると,この日本社会の二面性の状況の何か分かる
> ような気がするのです。
僕が↑に例としてあげたものは、「障害」をもたらすほどの「抑制」ですが、例
えば、僕が今こうしてメールを書いている時は「寝食を忘れている」わけです。
つまり、新皮質系・辺縁系が働き出すと、脳幹・視床下部系の「欲求」は抑制さ
れるようなメカニズムがある、と思われるわけです。もちろん、集中力の程度に
もよりますし、「欲求」の強弱にもよるのでしょう。

> 意識が記憶の繰り返し,時間が今の自分を次の自分が記憶する
> ことで流れていることを考えると,大脳新皮質の機能が大きく
> 影響してますが,大脳新皮質が精神生物ではありません。
> なんども繰り返し申し訳ないのですが,私は大脳新皮質が働
> く時の現象から自己が生まれていると考えてしまうのです。
生物学的にもまさにその通りだと思います。
ただ、注意して欲しいのは、生命現象はすべて静的実体ではない、ということで
す。活動することによって、活動そのものが維持されているのです。「生物」と
「生命」を別のものと考えるのが一般的ですが、両者は便宜上の言葉以上のなに
ものでもない、というのが僕の見解です。

・・・「生物」は肉眼的解剖を行った時の言葉、「生命」は機能的解剖を行った
時の言葉です。われわれの眼は「分ける」ことを通じて理解しますが、
「分けられる」方は統一的な実体であるわけです。

一つの実体を二つの面に分けて考えるのにわれわれは得意ですが、二つの
面の関係性を捉えることには極めて苦手です。この特化のために、それが
恰も別の実体であるかのような錯覚に陥りやすい。

新皮質系の場合も全く同じです。
新皮質系の神経インパルス発火パターンの時空的変化の全体そのものこそ新皮質
系なのであり、ニューロンどうしの複雑な回路網という空間的構造は、新皮質系
の一側面というべきでしょう。この空間的構造に依拠しつつ神経活動の時間変化
を作り出し、かつ、その過程で空間的構造自身が変容していくという、時空プロ
セスそのものが、新皮質系の実体です。

> で,肉体→脳→処理(現象)→意識と,肉体からかなり離れた
> 存在を考えるとすでに,一つの独立した存在と認知してもよい
> と考えました。
> すると,困ったことが起きました。目(視覚)に見えないの
> です。でも人間の「脳感覚」では感じる。で,目には見えず,
> 触れないけれども「ある」ということで,無体の存在→精神
> 生物と考えたのです。
生物学では(すべての自然科学がそうであるように)すべての事柄に物質的実体
を求めます。

精神が新皮質系の活動の一形式であることはほぼ間違いない、といってよいと思
われます。

> > 源さん【326】:
> > > 精神生物である人間は,隣の家の子どもが泣くのをただ
> > > 「うるさい」と感じているだけでなく,その子どもが心
> > > 配で思考を邪魔されるからです。つまり,動物的な「他
> > > の子どもを養育せよという命令」と「精神生物的な思考
> > > をせよ」という複合生物の命令が矛盾を起こすからです。
> >
> > ここは一瞬、考え過ぎかなと思いましたが、的を射ている
> > ようです。
>
> 時間を割いて考えていただいたことに深く感謝します。
>
> > 隣の子供の泣き声は単なる雑音(騒音)ではない、という御指摘
> > ですね。
>
> その通りです。このことだけでも,環境問題の公害の「騒音問題」の
> 解決が根本的に変わってきます。
> 人間は,「見えないもの」を嫌いますが,それと,人間の動物本能の
> 「集団養育本能」が満たされないことで,脳が騒ぐ事で,思考が中断する
> ことなどが,ごちゃまぜなんです。
> 解決は,「うるさい!」と感じる人が,泣く子どもを見られるように
> すれば良いんです。
> 家の裏につながれて見えない犬が「きゃんきゃん」吠えるのをうるさい
> と感じるのも同じです。
ただ、人間には好き嫌いがあります。だから、隣近所との友好関係が悪ければ、
「見るのもイヤ」の筈です。

10年以上も前のことでしたが、森村誠一が「隣の風鈴がうるさい」というよう
な趣旨の新聞投書をしたことがあります。まぁ、それだけ住宅環境が悪化してい
るということでもあるし、隣近所との友好関係が崩れている、ということでもあ
ります。個室嗜好がぐんぐん強まってきましたしね。

> > 生物学的な言葉に翻案すると、隣の子供の泣き声は、哺乳類的
> > 本能(ここでは育児本能)を呼び覚ましてしまうから、単なる
> > 騒音の場合よりも、思考中断効果が高い、という御指摘でしょ
> > うか?
>
> 私の,未熟な文で,なぜここまで分かっていただけるかが,
> 不思議です。。。。ありがとうございます。
> また,書いた私が更に整理されます。
いや、どうも。源さんのは(時間を置いて)二度は読まないと理解できないです。

> > ここは多分に「隣の子供」に対する愛着度、愛情の強さにも
> > 依存する部分でしょう。我が子、我がペットであれば、思考
> > 中断効果は「隣の子供」の場合よりも明らかに高い。
>
> 見えるか,見えないかの違いだと,私は思います。
↑に僕の見解を書いておきました。
もちろん、「見えない」という状況のもたらす不安、というのもあると思います
が。


> 「見えない物事」を想定し生き延びてきた人間の脳の中の
> 動物的な生物の性質だと思います。
>
> > 源さん【326】:
> > > 集団性物化した人間は,集団の一部分ですから,集団の
> > > 存続が第一欲求になり,自分の子どもの「養育」などは
> > > 問題外になります。(すでに,そうなっているかも・・)
> >
> > 人間は群れ動物ですから、何らかの集団に帰属しているのは
> > 確かです。その集団にも大小さまざまなものがあり、また抽
> > 象的な集団もありえます。
> > 「集団の存続が第一欲求」に、本来の意味でなることはあり
> > えないと思います。
> > 集団生活の中で、最も強い個人欲求は、自己防衛本能=なわ
> > ばり防衛本能であろう、と思うからです。
> > 神風特攻隊の少年が敵艦に飛び込む時でさえ、おかあちゃん、
> > と泣くものです。
> > 集団としての欲求というか、社会的圧力を、個人が100%
> > 同化したなら(完全に洗脳されたら)、源さんのおっしゃる
> > 通りなのかもしれません(オウムを想定しているのですか?)。
>
> 集団にも思うところがあります。
> 集団には隠れる環境である群(自論)と,共同作業を行う集団が
> あると思います。ここで,また,私の思いを言ってしまうと。
> さわりだけ,
> 精神生物が進化すると,個と集団に別れるのではないかと思いま
> す。視覚的に一固体であると生物を定義することを,疑ってみま
> すとアリや蜜蜂は一つの生物として扱って良いように思えました。
ここは、昆虫学者の出番ですね。確か、超個体と呼んだのでしたか?

> ある信号でつながっている個体群を集団生物として扱ってみました。
> 人間社会がある規律ないしは,伝達信号で統一されると,人間は
> 気が付かない内に集団性物化するのではないかと思うのです。
> そう考えると,誰もが「平和でありたい」と考えるにもかかわらず,
> 「戦争が起きる」ことや,「集団殺りく」をしたものが,ポカンと
> していることが頷(うなず)けます。
>
> このことを,人間の社会環境を考えるときに当てはめると,人間の
> 中に責任者を捜す思考をやめなければならないことになります。
> 完璧な組織は,その責任者や集団の構成員の意志とは,まったく
> 違った方向に動く危険な可能性があるということです。
> その時に「責任者探し」はなんの解決策にもならないということ
> なのです。
ここは重要な問題提起ですが、僕の考えはまとまりません。

責任論として捉えると、予測できない事柄については責任は発生しない、ともと
れますが、どうなんでしょうか?

後藤 健
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帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612

☆ 「生命を考える」(玄関)
    http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
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