[BlueSky: 3625] 『代議制』について


[From] "tetsuya ota" [Date] Sun, 9 Sep 2001 20:40:12 +0900

こんにちわ。太田@阪大です。ちょっとファールボールな投稿かもしれません。

環境保護について考える時、市場価値に反映されない社会的価値を
誰がどうやって守っていくか、その制度について考えようとしてみたのですが、
最近、じぶんが根本的なことを理解しないままに物事を考えていることに気がつきま
した。
代議制民主主義ってどのような論理で制度付けられているのでしょうか。

例えば
もし代議制民主主義(間接民主主義)が
1「自分の変わりに国会にいき、自分の利害を代弁する人を選ぶこと」
だとすれば

2「選挙では主権者が自分の利益を極大化してくれるひとに投票するのは、あたりま
えであって
その利害を共有している組織があってら、ある程度の意見の集約がありえるわけで
組織票というものがでてくるのは当然」
なのに

3「どうして族議員が、その存在自体が悪(←わざと端的にいってみました)のよう
にいわれているのか?)」
ということについて悩んでいます。
【族議員を否定する論理的正当性はどこに求められるべきなのでしょうか?】
「議員は国益と個人の利益と、どちらにつくべきなのか」が
間接民主主義を確立する過程において明文化されているのでしょうか。

「議員はこうあるべきだ」とか「日本には構造改革が必要であって云々...」の
テレビの評論家がするような論議ではなくて
たとえば憲法ではどのように位置付けられているのかとか、
法律家や代議士本人がどう理解しているかとか
そんな基本的なところが知りたいとおもってます。


投稿する場所を間違えているのかもしれませんが、
ご教授くださればと願い、投稿しました。
失礼します。
OTA Tetsuya
tetuya@hcn.zaq.ne.jp


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