[BlueSky: 3567] Re:3563 排出削減と構造改革


[From] 池田亨嘉 [Date] Mon, 30 Jul 2001 21:51:13 +0900

池田@帯広百年記念館です。

> 環境NGOの方々は、結局環境の事しか見ていない様に感じられます。
>  環境のことだけ考えることが許されるのならば、環境問題など、とうの昔に解
> 決してしまっています。

そんなわけないでしょう!

これはあまりにもひどすぎる言葉ではないでしょうか。
これが環境NGO一般を指していわれている言葉なら,暴言だと思います。

環境のこと「だけ」ってどういう意味でしょうか?
環境ってそんな狭いもんですか?
環境という言葉の意味をどう解釈されているのか全く理解に苦しみます。

環境が人類にとってどのような存在か,それがどんな現状にあるのかということにつ
いてあまりにも現実味に欠ける言葉です。

NGOが環境のことだけしか見てないというのなら,経済とやらを重視しているひと
たちがお金のことしか見てない,といわれても仕方ないでしょう。その程度の認識と
思われても仕方ありませんよ。

それに,環境のことを自分で考え,みんなに考えてもらうためにNGOやってんだから,
なんでそれを悪いことのようにいわれなければならんのでしょうか?

許される,とは誰が許すのでしょうか?

「とうの昔に解決」とは一体どういうことでしょうか?
たとえNGOが環境のことだけ考えるのが許されていても,んなもん解決するわけない
でしょう!

私は博物館に勤めていて,役人ですが,例えばマガモ一つの生態にしてもそれを調べ
て,体系立ててて言えるようになって,一般の方に伝えて,それが地域社会でどうい
う意味を持つのか,環境教育的にどのような効果があるのか,なんてことまで行き着
くのに早くて5〜6年かかると実感していますよ。
博物館なんて研究に没頭できそうなイメージのところでさえ,全く思いどおりに外に
でたりなんてできません,もっともっと時間がかかります。

で,それが行政に生かされて,例えばまちづくりなんてとこまで行くのに超早くて1
0年でしょうよ。

もし戦争が地球上からなくなっても,環境問題は人類が存在するかぎり永遠に問題で
あり続けるんですよ。常識ですよ。
それが「とうの昔に解決」とはどういう認識の元に語られているのでしょうか?

環境問題全般が素人目にもわかるレベルにまで深刻化してしまったら,一体どのよう
な社会になるのかイメージできてるのでしょうか?


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