[BlueSky: 3568] Re:3563 排出削減と構造改革


[From] NOIKE Motoki [Date] Mon, 30 Jul 2001 22:10:29 +0900

一ノ瀬さん、みなさん、

こんにちは
野池@長野市の弱小環境NGO「コペルニクス」です。

>  環境NGOの方々は、結局環境の事しか見ていない様に感じられます。
>  環境のことだけ考えることが許されるのならば、環境問題など、とうの昔に解
> 決してしまっています。

確かに、そう感じられてしまうのもやむをえないかな、という気もします。
日本でも、1980年代になってから、新しい環境問題がどんどん噴出してきて、
たとえば地球温暖化、オゾン層破壊、ダイオキシン問題、最近では環境ホルモンなどですが、
それに従って、環境市民団体も専門化、細分化してきたように思います。
ゴミ問題ひとつとっても、牛乳パックから産廃問題まで、実にいろんなグループがあって、
それぞれが自分達の課題とする問題に一生懸命になって、
それはいいのですが、その問題こそ一番重要とついつい思いがちになって、
視野がだんだん狭くなってしまうケースも多々あるのではないしょうか。
これは自戒も込めてですが、環境市民団体の反省点ではあります。
(でも、環境だけに限ったことではないですよね)
だから、環境問題をトータルに捉え直す必要が出てきていると考えています。

しかし、これはそんな簡単なことではありません。
しかも、自分自身の問題として引き付けて考えていくのは。
特に、こうして議論が交わされている京都議定書をめぐる国際間の問題として考えようとするのは。
それには相当な情報と知識が必要で、
ある意味で議論が特権化していってしまう危険性もあると思います。
ぼくのような地方都市で弱小市民団体に関わっている者にとっては、
周りの人たちと話をするにしても、もう少し身近なところから発想して、
そこから次第にステップアップしていけないものかと、望みたくなるのです。

葛貫さん
> 国単位で考えると、手も足もでないような気がしてきて、ため息が出ちゃい
> ますよね。

ぼくもそう思いますし、ため息がでちゃうくらいはまだいいけれど、
一ノ瀬さんの話は環境NGOの主張よりも難しいような気がして、
ため息以前という感じがしないでもないのです。
ただし、このMLのメンバーは研究者のみなさんなどが多いようですから、
ぼくが暮らしいている場での話と同一に語るのは良くないかもしれませんが。

温暖化問題を国単位で考えると、とてもむずかしい。
だから、もし多くの人たちが温暖化問題を自分に引き要せて考えていくためには、
もっと身近な範囲、せめて基礎自治体、つまりは市町村単位からスタートするのが
ひとつの方法だと考えます。

国単位だと1億2500万人分の1より、36万分の1(長野市の場合)のほうが、
自分の考えや行動も反映されやすいですし。
それに地域の特性がはっきりしてきて、個性的な発想もでてくるでしょう。

環境に限らず、いろいろな問題が山積みで、それはわかっているのに、
手も足もでないような気がしたり、
あるいは手の届かないところにもっていかれてしまったりして、
そういう閉塞感が社会にあって、これが小泉の「改革」ヘの期待にもなったのでしょう。
まったく実体もない「改革」なのに。

地域とか地元というところに立ち帰って、そこから課題に取り組んでいくのが、
けっこう近道なるのではと思います。

地域通貨が脚光を浴びるようになったのも、
いまの経済システムが、人や環境に残酷なものであると、
多くの人たちが感じ始めてきたからではないでしょうか。
経済なんてものは国家政策で、個人の手は届かないとあきらめていた、
あるいは任せ切りだったのが、
自分達のもとへ手繰り寄せようという、新しい意思の胎動なのでは。

もちろん地域の問題といっても、国策に縛られる部分が多いわけですし、
決して避けて通れないのですが、
目的にむかっていく過程として、まずスタートを地域のおくのはよいと思うのです。

要は、環境問題にかかわる個人や団体が社会ビジョンを描いたうえで、
意見を言い、行動していくことが重要だと考えます。
議論のための議論に陥らないためにも。

それでは。


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