[BlueSky: 3563] Re:3550 排出削減と構造改革


[From] ICHINOSE-Takeshi [Date] Sun, 29 Jul 2001 23:41:25 +0900

尼崎市の一ノ瀬です。

葛貫さん(#3550)<
「環境問題の解決に力を入れると経済は滞る」かというと、必ずしもそうでもな
いのでは、と思うのですが。

 温暖化ガス排出削減の話に絞っても、停滞する場合、発展する場合、の両方が
あり得ます。

 発展する場合については、政府は、排出削減を促す施策をどんどん実行して、
あとは民間の行動を監視していればいいのです。
 停滞、或いは後退を招く要因となる場合は、何らかの法的規制がなければ進み
ません。そして、規制を制定する場合には、その負荷が経済全体が背負える範囲
内に留めるよう、削減のペースを調整する必要があります。

 どの様な場合発展するのかと言えば、現在のドイツやイギリスや70年代の日
本がこれに当たります。
 産業、運輸面でのエネルギー原単位が高く、コスト高の原因となって産業競争
力を圧迫しているのがこれらの国です。

 やるとどうなるか分からないのが、現在の日本のような国です。

 これ以上に削減しようとしても、既存技術では設備投資等のコスト負担が、原
単位低減によるメリットを上回るため、経済成長にマイナスに寄与してしまいま
す。
 新技術を導入することで、この状況は打破できる可能性があるのですが、新技
術にはリスクが伴います。
 思ったほどの効果が上がらないかも知れないし、或いは、パイロットプラント
レベルでは上手く行ったが、実際に国全体の規模で実行してみると、思わぬ副作
用が出て断念せざるを得なくなる、等の心配があります。
 そういう”目減り”を考慮して、”新技術は何でもかんでもどんどん試す”と
いうやり方もありますが、それは、日本を、未知の新技術の実験場にしてしまう
ことを意味します。国民にかかるコスト負担も増します。

 つまり、削減のための努力をするのは問題ないのだけれど、削減目標を国際公
約してしまうことには、非常に大きなリスクが伴うのが日本です。

 以上は、現在の”大量生産大量消費社会”を維持するとした場合の話です。
 社会のあり方を見直し、環境負荷の小さい社会に変えて行くことも、考えなけ
ればなりません。

 しかしこれは、いわゆる”構造改革”に、新たに取り組むことを意味します。
 既存の産業を縮小/消滅させる一方で、スムーズに新規産業が立ち上がらなけ
れば、大量の雇用ギャップが生じます。
 しかも、失業者が新たな仕事に適合できるか、となると、これは簡単には行き
ません。大きな雇用のミスマッチが生じます。

 小泉首相が掲げる”構造改革”は、所詮”大量生産大量消費社会”の枠内での
構造改革です。
 消費者が要らないというものの生産を止めて、消費者が欲しがるものの生産
に、ヒトとカネを移動させるだけです。

 環境適合型構造改革の難しいところは、環境負荷の大きなものの生産を止め
て、環境負荷の小さなものの生産にヒトとカネをシフトさせ、なおかつ、その環
境負荷の小さなものを、消費者に喜んで買って貰わなくてはならない点にありま
す。買って貰えなかったら大不況が起きる。

 普通の政治家ならば、このような危険度の高い改革には二の足を踏んでも当然
だと思います。
 そういう姿勢を、一部のNGOの方々は批判するわけですが、彼らは、上述し
たような深刻なリスク−−痛み−−が伴うことを、正しく国民に説明していると
は言えません。
 それどころか、「やれば簡単に出来るのに、やらないのは、政治家が企業寄り
の姿勢であるためだ」などという誹謗を浴びせかける始末です。自分で手を汚し
てやるつもりはないくせに。

 特に今は時期が悪い。
 小宮さんのコメント、

小宮さん(#3556)<
 もし京都議定書に批准することで、なにも痛みがないのならば、参院選の前で
すし、すぐにやっていたでしょう。
 それをなぜあそこまでひっぱったかというと、今の日本経済の立てなおしに京
都議定書が悪影響を及ぼすからではないでしょうか。

に、私も全く同感です。経済にマイナスに働く二つの改革を、同時に行うのは、
危険を通り越して無謀です。不況のために、毎年一体何万人の人々が自殺してい
ることか。

 環境NGOの方々は、結局環境の事しか見ていない様に感じられます。
 環境のことだけ考えることが許されるのならば、環境問題など、とうの昔に解
決してしまっています。


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