尼崎市の一ノ瀬です。
葛貫さん(#3550)<
「環境問題の解決に力を入れると経済は滞る」かというと、必ずしもそうでもな
いのでは、と思うのですが。
>
温暖化ガス排出削減の話に絞っても、停滞する場合、発展する場合、の両方が
あり得ます。
発展する場合については、政府は、排出削減を促す施策をどんどん実行して、
あとは民間の行動を監視していればいいのです。
停滞、或いは後退を招く要因となる場合は、何らかの法的規制がなければ進み
ません。そして、規制を制定する場合には、その負荷が経済全体が背負える範囲
内に留めるよう、削減のペースを調整する必要があります。
どの様な場合発展するのかと言えば、現在のドイツやイギリスや70年代の日
本がこれに当たります。
産業、運輸面でのエネルギー原単位が高く、コスト高の原因となって産業競争
力を圧迫しているのがこれらの国です。
やるとどうなるか分からないのが、現在の日本のような国です。
これ以上に削減しようとしても、既存技術では設備投資等のコスト負担が、原
単位低減によるメリットを上回るため、経済成長にマイナスに寄与してしまいま
す。
新技術を導入することで、この状況は打破できる可能性があるのですが、新技
術にはリスクが伴います。
思ったほどの効果が上がらないかも知れないし、或いは、パイロットプラント
レベルでは上手く行ったが、実際に国全体の規模で実行してみると、思わぬ副作
用が出て断念せざるを得なくなる、等の心配があります。
そういう”目減り”を考慮して、”新技術は何でもかんでもどんどん試す”と
いうやり方もありますが、それは、日本を、未知の新技術の実験場にしてしまう
ことを意味します。国民にかかるコスト負担も増します。
つまり、削減のための努力をするのは問題ないのだけれど、削減目標を国際公
約してしまうことには、非常に大きなリスクが伴うのが日本です。
以上は、現在の”大量生産大量消費社会”を維持するとした場合の話です。
社会のあり方を見直し、環境負荷の小さい社会に変えて行くことも、考えなけ
ればなりません。
しかしこれは、いわゆる”構造改革”に、新たに取り組むことを意味します。
既存の産業を縮小/消滅させる一方で、スムーズに新規産業が立ち上がらなけ
れば、大量の雇用ギャップが生じます。
しかも、失業者が新たな仕事に適合できるか、となると、これは簡単には行き
ません。大きな雇用のミスマッチが生じます。
小泉首相が掲げる”構造改革”は、所詮”大量生産大量消費社会”の枠内での
構造改革です。
消費者が要らないというものの生産を止めて、消費者が欲しがるものの生産
に、ヒトとカネを移動させるだけです。
環境適合型構造改革の難しいところは、環境負荷の大きなものの生産を止め
て、環境負荷の小さなものの生産にヒトとカネをシフトさせ、なおかつ、その環
境負荷の小さなものを、消費者に喜んで買って貰わなくてはならない点にありま
す。買って貰えなかったら大不況が起きる。
普通の政治家ならば、このような危険度の高い改革には二の足を踏んでも当然
だと思います。
そういう姿勢を、一部のNGOの方々は批判するわけですが、彼らは、上述し
たような深刻なリスク−−痛み−−が伴うことを、正しく国民に説明していると
は言えません。
それどころか、「やれば簡単に出来るのに、やらないのは、政治家が企業寄り
の姿勢であるためだ」などという誹謗を浴びせかける始末です。自分で手を汚し
てやるつもりはないくせに。
特に今は時期が悪い。
小宮さんのコメント、
小宮さん(#3556)<
もし京都議定書に批准することで、なにも痛みがないのならば、参院選の前で
すし、すぐにやっていたでしょう。
それをなぜあそこまでひっぱったかというと、今の日本経済の立てなおしに京
都議定書が悪影響を及ぼすからではないでしょうか。
>
に、私も全く同感です。経済にマイナスに働く二つの改革を、同時に行うのは、
危険を通り越して無謀です。不況のために、毎年一体何万人の人々が自殺してい
ることか。
環境NGOの方々は、結局環境の事しか見ていない様に感じられます。
環境のことだけ考えることが許されるのならば、環境問題など、とうの昔に解
決してしまっています。
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