[BlueSky: 356] Re:352 小学生に環境問題をどう教えるか?


[From] Minato Nakazawa [Date] Mon, 09 Aug 1999 12:53:00 +0900

中澤@東京大学人類生態です。こんにちは。

後藤さんと水野さんの議論を拝見していて,ひとつ気になった
論点がありましたので,コメントします。

後藤さん:
>「できる子」は放っておいても自分で勉強します。でも「できない子」はついて
>いけません。学習レベルを下げたら、それ自体としては「できる子」は退屈しま
>すが、例えば、「できる子」が「できない子」を教える側にまわれば、和気あい
>あいの授業風景になり、かつ、どちらの側にとってもプラスの効果があります。

水野さん:
> すいません。「「できる子」が「できない子」を教える側にまわれ」、という
> ことを、いっていましたが、私の誤解かもしれません。
> 易しくすれば、そういう余裕が増える、というご指摘ですよね?
> 私も、そう期待したいです。そういうの、大好きですし(笑)。

学習レベルを下げるべきか,ということについては,最初に覚えなければ
ならないことはもっと絞れる筈だという意味なら同感です。
実際,いまの小学校でどういうことが教えられているのかは知りませんし,
どう絞ればいいか,という具体的な案があるわけではありませんが。

#以下,後藤さん・水野さんの論旨とは外れますが,引っ掛かった点です。
気になったのは,「できる子」が「できない子」を教える側にまわる,という
点です。和気藹々の風景に見えるのは確かですが,どちらの側にもプラスか
どうかはわかりません。小学校5,6年時の経験ですが,「班の中でわから
ない子にわかっている子が教えてあげてね」という指導を受けて,「できる
子」が「できない子」に教えるという場面がよくありました。「できる子」
としては「教えてあげる」ことで自尊心も満たされますし,教えることに
よって理解もさらに深まるので,いいことずくめなのですが,「できない子」
にとっては友達から教わることに無意識に劣等感を感じることがあるようです。

「無意識に」とは,小学校の時点では本人もそれを明確に認識せず,ただ
くすぶっているだけなのが,後になってその当時のことを「友達に差を付け
られた,暗い体験」として思い出すという意味です。実際,弟の勤めている
会社に就職した,ぼくの同級生が,「小学校の頃授業中にいじめられていた」
と言ったという話を聞いて,愕然としました。当時は授業についていける
ようになって楽しいような風だったのに,と。

きっとそういう,差をつけるような指導,ではダメなのです。そのことで
自我を肥大させないのは,小学生の「できる子」には難しいことですし,
卑屈にならないのも「できない子」には難しいことです。むしろ,視点を
複数にして,正解がないような問題を考えることによって,普段「できな
い子」でも参加できるような形にもっていくことが理想だと思います。
「できる子」も「できない子」も「生活している」点では対等なのですから。
#まあ,それが適切な教材を選び,適切な指導をする,ということだと
#思いますが。

=====
Minato Nakazawa, Ph.D. <minato@sv3.humeco.m.u-tokyo.ac.jp>
Department of Human Ecology, Univ. Tokyo
[過去ログ]http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/bluesky2.html


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