[BlueSky: 3518] 虫は虫なり (フェミニズムと男と女と子ども)


[From] "gengorou" [Date] Wed, 4 Jul 2001 22:35:37 +0900



フェミニズムとは、女性の権利の拡張、女性差別からの
解放を求める主義・運動のこと。。。。

****************************************************
虫は虫なりに一つの考え(フェミニズムと男と女と子ども)
****************************************************

堕胎、中絶、避妊が出来なかった時代に、女性がお腹に子どもを
宿らせた場合、女性は、妊娠という「生きるの大変な時期」を、
なんとか乗り切らねばならなかった。。。。

婚姻の仕組みがなく、女性が、男性によって保護される仕組みが
できていない状況は、妊娠、出産時の女性にとって、男性による
世話や保護を受けられない状況になってしまう。
その為に、女性は、男性の子を宿すかわりにその保護をもとめた
のではないだろうか。。
そのことが、女性に女性的な振る舞い、従属的な振る舞いをさせ
るようになったとも考えられる。

つまり、婚姻という仕組みのない時代は、男女を有利不利と考え
るならば、女性が生き抜くことにとって不利な状況だったと言え
る。
不利な状況を克服するために、女性は他の男性を寄せ付けないこ
とで、お腹に宿った子が、特定の男性の子であることを証明し、
男性の保護を求めたのではないだろうか。。
このような時の女性の振る舞いを、心的な事柄と捉えるのではな
く、ただ単に無機的にとらえ、女性のこの傾向を考えると、それ
は、「一人の男性に収束する因子」と見ることが出来るような気
がする。一方男性も、いろいろ考えると、拡散的な行為者として、
拡散因子になる。
それは、男女の生物的な差の影響が、働いているとも考えられる。
すなわち、男性は拡散的であればあるほど、種を残せる可能性が
増し、女性は収束的であるほど、種を残せる。

ところで、因子的な考え方を用いると、男性の拡散因子は生得的
(本能的)で、女性の収束因子は生後的(社会的)であるという
ことも分かる。そして女性の収束的な因子は、生後的なので社会
情勢によって、とても変化しやすい因子だということも分かって
くる。

さらに、女性の収束的因子のこの収束的な傾向は、女性が「子を
宿す」「子を産む」「子を養育する」という、前提が大きく働い
ているので、「妊娠・出産・育児」を女性、あるいは人間がコン
トロールできる社会環境にあっては、変化する因子であるという
ことになる。(例:社会が女性を保護すると、女性は男性に収束
的にはならない可能性がある)

また、更に、男女の婚姻とか女性の被保護は、「妊娠・出産・育
児」という前提がある中においては、女性が望んできた社会の仕
組みだということも考えられる。
すなわち、婚姻という仕組み、あるいは女性の被保護傾向は、過
去におけるフェニミニズムの産物であった可能性もある。

しかしながら、何故に、現在、一部の女性から、あらたなフェミ
ニズムが求められ、過去に女性が獲得した地位をも変革しようと
しているのか。。そんなことも、考えられたらと思う。
(私は、ある意味では、この社会の仕組みは、女性が作って来た
のではないかという思いもある。。。)

−−−−−
女性を収束因子、男性を拡散因子としてみながら漠然と考えると、、、

収束因子(女性)と拡散因子(男性)の共存は、本当に、うまく
なりたってきたのか。あるいは、共存が成立しなくても、双方の因
子は絶滅しないのか。相手に対して、収束因子の収束傾向と、拡散
因子の拡散傾向はなにをもたらすか、などと、、いろいろなことが、
考えられる。

拡散的な振る舞いをする因子(男性)は、特定の収束因子(女性)
との縁を絶ちきろうとしたのではないだろうか。一方、収束的な
振る舞いをする因子(女性)はそのような拡散因子とのつながり
を強く持とうとしてきたのでは、ないだろうか。。。

しかしながら、ここで、新たなことに気が付く。。拡散因子(男
性)は何処へ向かって拡散しているかということである。
男性という拡散因子の拡散は、実は、多くの収束因子(多くの女性)
に向かって拡散しているので、その拡散は、多数の収束因子にと
っては、収束的でもあるということになる。。

つまり、
男性を拡散因子、女性を収束因子としたのは、間違いで、正確に
は、男性という因子は、「多数に収束する因子」で、女性という
因子は「個に収束する因子」であったということになる。

よって、両因子の定義を言い換えなければならない。前者、すな
わち男性を「多収束因子」、女性を「個収束因子」と。。。

−−−−−
女性の「個収束因子」の因子たる要因は、己の擁護であり、それ
は、男性(多収束因子)の子を宿したことをもって、一人に収束
しているので、もしも、男性に「我が子への執着がない」ならば、
男性には、まったく「個収束因子(女性)」の収束を促す戦略が
機能しなくなるので、「個収束因子(女性)」が子を宿すことは
個収束因子(女性)にとっては、大きな負荷となるだけになる。

ここで、個収束因子たる女性は、男性への収束をあきらめ、自己
の生活・生命に大きな負荷になる子をもうけてでも子という、最
大の擁護者をもうけようとする。
この女性の、「子」の出産と養育ということにおいて、子に拡散
性を持たせないようにするために、「心的な絆」をもって、個収
束因子を育てようとするが、その個収束因子(新たな男女)の個
収束傾向が、その母親に向かうとは限らないところに、また問題
が生まれてしまう。(私は、人間が心的な存在になったのも、女
性のこの「個収束因子傾向」であると考えている。)
しかし、男性に擁護を求めない女性によって育てられた子(新た
な男女)は、以前の男女よりも、多少、強い個収束因子になって
いる可能性がある。

また、この因子的な捉え方をもって考えると、どんな因子も、異
性の獲得時期に置いては、多数の因子に向かうために、多拡散因
子的な振る舞いをする。。。

このことから、気が付くことは、
因子が「多収束因子」であるか「個収束因子」であるかは、固定
的ではなく、その時の因子の状況によって変化するということが
分かってくる。
すなわち、異性獲得時期においては、男女の因子は、多収束的な
因子となり、異性獲得傾向にない場合には、男女とも、個収束的
な因子になることも臭わせている。

−−−−−
もはや人間は、それまでの生物とは違って、「意識体的な存在」
だと考えると、子を産むことは生物本能には組み込まれていても、
意識としてはそれを拒絶できる状態にある。。

子を産むことは、思考によっていかようにでも処理できる事柄に
なっている。それは良し悪いは別にして、そうなっている。。

収束因子の収束的な引力によって、拡散している拡散因子を、
子によってつなぎ止められない個収束傾向の因子は、なにをもっ
て、収束傾向の因子になるか。あるいは、収束因子であることす
ら止めようとするか。。そんなことも考えられる。。

拡散的な振る舞いをする多収束因子(男性)は、自らが拡散的で
あることで、女性が子どもを産まないことを理解すると、男性は
拡散的振る舞いをやめて、個収束因子的に変貌するかもしれない
し、あるいは、男女とも、その因子を変化させ、多への拡散を続
けはじめ、多収束因子的な振る舞いにより、子が生み出されない
環境、あるいは子どもが生まれても、その子が育たない環境が生
まれてしまうかもしれない。

−−−−−−
既存の人類が、人工授精、クローン、堕胎、中絶ができる今、
「子とはなんであるのか」という問題も、男女の在り方には、
重要な問題となっているようである。

相互に浮き上がらせている存在である人間の、空間的、時間的な
存在において、フェミニズムが、ある一つの因子だけを考えてい
るならば、そのフェミニズムが女性、さらには、女性を通して男
性を、さらには子を苦しめることになるかもしれない。

私は、フェミニズムがヒューマニズムになってほしい。。。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ゲンゴロウ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
    ■本の紹介【人間物語】−存在・時間・意識−■
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/book/ningen.htm

ホームページ http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/
メールアドレス gengorou@m08.alpha-net.ne.jp
ワールド・リーダーhttp://world-reader.ne.jp/tea-time/gengorou-010701.html
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞




▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。