[BlueSky: 3468] 意見2−1 (「最終真理の検証」から。その1)


[From] "gengorou" [Date] Wed, 20 Jun 2001 02:05:06 +0900

青空MLに皆様、こんばんは、ゲンゴロウです。
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現代社会の乱れ(混乱)の原因についての考察、
第二弾(その1)です。


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虫は虫なりに一つの考え(「最終真理の検証」から。その1)
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「原理」とは、「物事の根本にあって、それをつらぬき成り立たせてい
る基本的な理論・道理」だとか、「多くの事がらに共通する根本の法則、
根本の決まり・道理・存在の根本原因」と言われていますが、全ての物
事の根本にある原理を、「統一原理」などと呼び、それを探しているの
は人間です。

私は、それを「最終真理」と呼んで、それについて考えてみたいと思い
ます。
様々なことの元となるような、「最終真理」が、仮に見つかった場合を
想定して、その時に起きることを考えてみたいと思います。。。。

−−−
先に、はたして、その「最終真理」は、検証は出来るのかと、いうこと
について考えてみます。その後に、「最終真理」が検証できたと仮定し
て考えてみます。

【「最終真理」は検証できるか】

まず、その「最終真理」は、最終であることから、それを裏付ける新
たな「真理」は、もう無いので、その「最終真理」が、他の新しい真
理から検証されることは、当然のこと不可能になります。(当たり前?)

次に、それまでに見つかっている命題(真理)を前提にして、科学的
な検証方法を試みた場合、その「最終真理」を検証する方法は、私た
ちの「既知」たるものを足がかりにして、「未知」の事柄を知ろうと
する方法になると思いますが、私たちの「既知」が「知」の全てであ
ると証明できない以上、その検証は、いつか「未知の事柄」によって、
「誤まり」となる可能性があるので、その検証も完全とは言えなくな
ってしまいます。
すなわち、不確実な「既知」によって検証せざるを得ない状況では、
「既知」の全てが矛盾なく縁(円)を描くように成立したことで、可
能性・確率的にしか納得できないことになります。

しかしながら、それ以前に、私たちがなぜ「最終真理」を探している
のかを考えれば、それ以前の「既知」を用いて検証することのおかし
さが分かります。なぜなら、私たちは、それ以前の「既知」を「最終
真理」によって検証したいという思いのために、「最終真理」を探し
ているからです。。。

上記の事から、「最終真理」は、それ以前の「既知」をもってしても、
それ以後の「未知」をもってしても検証することは出来ないことにな
ります。また同時に、「最終真理」に「正誤」を委ねたそれまでの
「既存の真理」も、ことごとく、「真理だと検証できない状況に置か
れ続ける」ことが分かります。
すなわち、「最終真理」は、その真理が最終であることが検証不可能
ということをもって、存在できないことになります。

【「最終真理」が検証できると仮定して】

ここで、ある仮定をしてみたいと思います。
もしも「最終真理」が、それまでの「知」によって完璧に検証される
と仮定します。その場合、すなわち「最終真理」があった場合、それ
はどの様なことを意味することになるのでしょうか。。

「最終真理」があった場合とは、それ以上の真理がないことから、検
証は「既知」の事柄によって検証されることになり、そのことから、
この私たちの世界は、この世界自体によって検証されることになるの
で、この世界はこの世界だけで「自立した世界」ということになり、
「世界は閉じている」ということになると思います。

この「世界が閉じている」ということは、私たちの意識感覚からする
と、一体、どういうことになるのでしょか。
それは、この世界は、仮に、それ以外の世界があっても、他の世界と
はまったく関係のない世界だということになり、まるで闇の中にぽっ
かりと浮いた様な世界ということになり、ある意味、「幻」の様な存
在世界になると思います。

言い方を変えると、もしも「最終真理」が、それまでの「既知」によ
って完璧に検証されたとしたら、私たちが「最終真理」を検証・証明
する方法は、自己検証、あるいは、自己証明として検証するしかない
ことになります。
つまり、もしも、「最終真理」なるものが「ある」とすれば、この世
界(宇宙)は、多くの存在が「相互に検証」されて、自立した存在、
すなわちある種の「閉じた幻のような世界(宇宙)」であることにな
ります。

【自立した世界の中での検証】

すると、現在、行われている科学的な手法である検証というものは、
実は、すでに存在する「幻」を足がかりにして物事を突き詰めている
ことになるので、科学的な行為自体が、幻を増やしている可能性があ
るように思えます。
科学は未知の世界を解き明かしたり、その結果を使って、人間の為に
役立ってきたことは事実ですが、反面、目を「既知」の部分から「未
知」の部分に向けて見ると、科学は人間の眼前に「未知」をも広げて
きている様です。。。私たちが知った事柄は、確かに多量ですが、知
った事柄に目を奪われるだけでなく、未知の世界を眺めてみると、
「既知」と同じ程度の「未知」も増えているような気がしてなりませ
ん。

−−−−−−−−
「最終真理」などというものがあった場合について、考えましたが、
私なりの、その結論は、どうも、この世界(宇宙)は、それだけで
自立した、存在が相互に存在させあった世界であるとなり、幻の様
な世界であることになりました。

ところで、「最終真理」などというものがない場合を考えても、私
たちの住むこの世界を、「これがこの世界の元だ」などと説明でき
ないことになるので、「最終真理」があっても、なくても、どちら
にしても、この世界は「不確実な世界」ということに変わりはない
ようです。

このことから、私たちがどの様に考えても、この世界は「すべてのこ
とがアヤフヤだ」という「結論」になるようです。しかし、その結論
は、「この世界は、アヤフヤなのかなぁ〜?」とか、「確かなものが、
あるのではないか?」という不確実な疑問を跳ね返すことが出来ます。
つまり、「この世界は不確実」ですが、「この世界は不確実である」
ということは確実になるわけです。

この私の「最終真理」に関する考察が、論理的にあっているのならば、
「この世界の全ては、この世界なりの世界(幻)なので、この世界を
突き詰めるほどに不確実になる」という確固たる結論を出現させてい
ると考えて良いように思います。このことは、ある意味、過去、現在、
そして未来も、私たちが置かれ続ける状況を知る上に、とても大切な
ことであると、私は思います。

私たちは、私たちの思考を用いて、私たちの存在を、そしてその周囲
の存在を確実なものとしながら、自らも不確実な存在から確実な存在
になりながら、周囲の物事を観察してきたと(私は)思うのですが、
もしも、この世界が、この世界以外の存在と無関係なら、私たちには
この世界しかないことになり、私たちは「知れば知るほど」に、不安
定で混沌とした海の中に入り込むような気がします。

それは、なにか、私たちの脳が歩んできた方向とは、まったく逆の様
に思えます。
私たちの脳は、無意識という深く混沌とした脳を、互いに語ることで、
また、共同作業してきた結果、まとめ上げながら、互いに表層意識を
作り上げ、存在し始めたように私は感じるので、ここに来て、その脳
の中の混沌とした方向に進むに任せたり、その脳の深い部分を崇(あ
が)めてしまうと、再び、混沌とした世界に入り込んで行くような気
がしてなりません。

もしかすると、人間が不確実だということは、その誕生の元がそうな
のであって、もともと人間は不確実な状態から確実な状態へと進んで
きたので、人間は人間独自に人間として、不確実な存在として存在し
て良いのかもしれません。
不確実に存在して良い人間が、神だとか、真理だとか、原理などを追
い求めると、私たちは必要以上に不確実になり、混沌とした海に投げ
出されてしまうかもしれません。

このことを強く示す例は多くあると、私は思います。
確実性のない混沌とした世界にあって、人々が確実性を求めてしまう
と、これまでの人類の歴史の中でもあった様に、人々には不安が増し、
目先の確実に見えることがらに、たやすく縛(しば)られながら、混
沌化してしまう状況を自ら作り出してしまうことになるようです。
(宗教世界、ナチス、絶対主義※1、そして主義戦争などなど)

【最終真理】

ここまで、私は「最終真理はない」と述べてきましたが、皮肉なこと
に、それは、簡単に否定されてしまうようです。なぜなら、「最終真
理」に関して、「最終真理など存在しない」という結論が出てしまっ
たので、もしかすると、それ自体が「最終真理」になってしまうか
もしれませんし、「この世界は相互存在で浮いている」、あるいは、
「この世界は不確実な存在である」が「最終真理」になってしまうか
もしれませんので。。。



【参考】※1 絶対主義とは、真理や価値の絶対性、すなわち
       永遠・普遍の妥当性を主張する立場。 
       反語は、相対主義。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ゲンゴロウ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
    ■本の紹介【人間物語】−存在・時間・意識−■
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/book/ningen.htm

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