[BlueSky: 346] Re:345 RE:238 小学生に環境問題をどう教え るか?


[From] Ken Goto [Date] Sun, 08 Aug 1999 18:05:11 +0900

水野さん、青空MLの皆さん
               後藤@帯畜大です。

水野さん【345】:
> At 23:41 1999.08.06 +0900, Ken Goto wrote:
> >そうですね。ですから、恐らく、意見の違いは、小学校5,6年次におけるこど
> >も、ってどういう状態にあるのか、という点の考えにあると思います。
> >
> >僕は、おぼこい子を代表したつもりになって話しを進めてきましたが、水野さん
> >は「成熟の進んだ子」を代表して発言しているようにも思います。【312】で
> >も述べましたが、「成熟度」の個人差の大きい時期です。
>
> 私の意図は、小学生だからといって、レベルを落としてはいけない、
> というようなことです。というか、(本当は)難しいことを、易しく話して
> わかった気にさせるのが、教師の力であり、役割であると思う、というような
> ことです。

一連の水野さんの御発言から↑のことは理解しています。ただ、了解はしていな
いのです。

「(本当は)難しいことを、易しく話してわかった気にさせる」のは、まさしく
「頭でっかち」をつくることではないでしょうか?

大量の落ち零れが出ている時代に、そして、教師の全体的力量も低下しているか
もしれない時代に、学習レベルを下げない、とはどういう意味でしょうか?

「できる子」は放っておいても自分で勉強します。でも「できない子」はついて
いけません。学習レベルを下げたら、それ自体としては「できる子」は退屈しま
すが、例えば、「できる子」が「できない子」を教える側にまわれば、和気あい
あいの授業風景になり、かつ、どちらの側にとってもプラスの効果があります。

> いま、どんどん、(詰め込み教育批判と称して)教科内容を易しくしようと
> していますが、本当は、教師の教育力の(相対的な)低下が起こっている、
> ということではないですか?それも、しかし、そんなにひどくはないと
> 思います。メディアの作り出す虚像におどらされているだけ、という気
> がします。

本日の朝日新聞の書評にもありましたが、分数計算のできない大学生が増えてい
るそうです。書評氏は、教材レベルの低下を指摘していたような気がしますが、
実態は違うでしょう。

分数計算などの算数に限って言えば、大半の子が小学生段階でドロップアウトし
ているのです。仮に計算できていたとしても、小手先でできている。しっかりと
理解できていれば、一生忘れるものではありません。大学生が算数できないのは、
「頭でっかち」教育の、比較的軽い弊害の一つですね。

・・・なぜ、比較的軽いか、そこには「思想問題」が全く関係しないからです。
でも、社会科関係であれば、何度も言うように、頭でっかち的教育は「洗
脳」以外のなにものでもありません。

学校教育では正解は一つなのである、ということに十分注意して欲しいと
思います。

> 小学生というのは、かなり微妙な年齢ではありますが(ちなみに、私は
> 3人の子供の親でもあり、学年は、中3、小学校6年、4年です)、
> 子供なりに、環境問題に心を痛めていることは事実でしょう。歴史の
> 勉強でも、一通り、全体を把握する、ということを、小学校、中学校、
> 高等学校、と、何度も学習する機会を得ながら、繰り返していますよね?

僕は、小学生のこどもが、環境問題に心を痛めて欲しいとも、原爆や戦争を悲し
んで欲しいとも、思いません。この時期に必要なのは人間愛の養成、集団的正義
の養成なのです。後は本人の社会的自覚(思春期)を待てばよい。

「できる子」は素晴らしい言葉を吐くかもしれません。でも、僕はそれを(それ
自体としては)信用していません。「頭でっかち」である可能性があるからです。

> 繰り返し登場することの意味は、その度ごとに理解が深まること、復習の機会を
> 与えることになること、落ちこぼれからの回復の機会でもあること、など、
> 積極的な意味があって、文部省の全体の方針も、そういう形になっているはず

水野さんの御意見は、落ち零れをつくることを承認したうえでの話のようですね。
また、本当に理解しているなら、復習など要りません。

・・・一度自転車に乗れるようになったら、その後、一度も乗らなくたって、一
生乗れるのと似たようなものです。まぁ、大脳機能と小脳機能(自転車)
の違いはありますが、、、例えば、大学以降、一度も数学を用いなくたっ
て、いざとなれば高校数学を使えるかどうか、これはひとえに本当に理解
していたかどうかの一点にかかっています。

> >確かに主張を持たない教師は、こどもも魅力を感じませんね。でも、僕がそれを
> >感じたのは、やはり、中学生になってからで、、、小学生のときは、主張も何も
> >なかったというか、、、性格的な相性が大切というか。
>
> 確かに。小学生というのは、もっと動物的存在ですね。
> でも、なにか、楽しいだけが小学校でいいのかな?、とも思うですが。

楽しいことだらけの小学生生活を僕は送りましたが、何か苦痛を感じないといけ
ない、ということですか?

・・・僕が、子どもたちに聞いたのは、きょうも学校楽しかった?ということだ
けです。ま、楽しかったことは聞かれずとも話したがるものですが。

> >・・・いずれにしても、小学生時に、深刻な社会問題が教材にあがった試しはな
> > いです。
>
> 例えば、戦争の話を祖父、祖母に聞いてきて、それをまとめる、という宿題
> なんかもありますよね? 今、うちの小学校6年生の娘は、原爆の話の
> 新聞の切り抜き、というのが、学校からの宿題になっています。
>
> あれなんかも、本当はとても難しい話だし、調べ出すと、私も新しいことを
> 学ぶばかりです。でも、小学生にも、わかる話としても、話すことが
> できるでしょう。なんか、そんなイメージで(問題の全体を見られる形で)、
> 環境教育もできないものか、と思うのですが。

祖父・祖母の昔話を聞いておく、というのは貴重な財産になるでしょう。
でも、それをまとめる過程で、「教科における評価」という重い足枷がはめられ
ます。それによって、「感動的な」はなしも出来上がるわけです。

・・・しかし、それは「教科のもつ価値観」に完璧に符合している、というだけ
の話でもあるように思うのですが、どうでしょうか?

> 自然というものをもっと理解してほしい、というのが、結局、私もいいたいこと
> です。(自然)科学というのは、そのための非常に強力な知的理論武装になるし、
> また自然をよく理解していれば、バカことはしなくなるのではないか、などと
> 思うのですが。自然というものを、体験的に、具体的に、自分の体で、そして
> 最終的にはきちんとした論理として、わかっている人が一人でも増えてくれる
> ことを期待したいです。

論理的思考力の訓練の場はたくさんあります。算数学習もその一つですが、集団
遊びの中でも培われていきます。また、小学校の授業にこどもどうしの議論の機
会を増やすこともいいでしょう。

理科に興味を向いてもらうには、やはり、こどもの等身大の理解レベルでの教材
が必要でしょう。面白ければ、こどもは関心を示します。

環境教育においても基本はおなじです。僕が恐れるのは「頭でっかち」や「洗脳」
だけです。そして、この点について、今までの学校教育が配慮してきたとは思わ
れないので、環境教育でも同じようなことが繰り返される可能性が高いと思って
いるわけです。

思春期を境に、子供の世界はがらっと変わります。自己反省に基づく批判精神も、
この時期に生れます。ですから、この時期以降なら、何を教えても「洗脳」とい
うことにはなりません。

しかし、思春期が実りある時期になるためには、思春期以前の生活体験が極めて
エッセンシャルに効いてくるはずなのです。三つ子の魂百まで、ではありますが、
三歳期以降、思春期までも、三歳期までに次ぐ重要性をもっているでしょう。こ
の時期に大切だと思うことは散々述べてきたように思いますが、今の文脈で言う
と、人間愛を養成すること(まぁ、集団訓練を積め、というだけの問題ですが)、
また、狭い世界ながらも自分の等身大の思考力で考える訓練なのだ、と思うので
す。

何度も言うようですが、僕は小学生時における環境教育を否定しているわけでは
ありません。ローカルな題材からグローバルな題材まで興味をもってもらえる題
材はたくさんあるでしょう。

ただ、教師の価値観で評価してはいけません。この場合には、明らかに教師に
「あわせる」からです(あわせない頼もしい子供もいますが)。そして、教師が
こどもを成績評価しないということは、とても難しいことなのです。自己の価値
観に近いものが「好きになる」のは人情だからです。環境問題が全人格的な問題
で、思想性が絡んでくるために、僕は、この「あわせる」過程のもつ危険性をど
うしても恐れてしまうわけです。

・・・これは芸術教育でも似たような側面がありますね。こどもが絵を描く。教
師が、教室や廊下に張り出して、金賞、銀賞、銅賞などの評価をつける。
そうすると、こどもは、どういう作品が「いい」作品なのかが分かります
が、その「いい」というのは、教師の美的センスなり何なりの基準でしか
ない。だけど、こどもは、その評価をみて、あぁ、どうして僕は「いい」
作品がかけないんだろう、と悩む。

つまり、教師の評価にあわないこどもにとっては、、絵を描くことをそも
そも嫌いにさせてしまっているのが図画教育ということになります。

後藤 健
=========================
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612

☆ 「生命を考える」(玄関)
    http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
★ 青空ML過去ログの全文検索(↓)は とても 便利ですよ。
    http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/bluesky2.html


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。