[BlueSky: 345] Re:329 RE:238 小学生に環境問題をどう教えるか?


[From] ymizuno@yo.rim.or.jp (水野義之 (Y.Mizuno)) [Date] Sun, 8 Aug 1999 12:57:34 +0900

後藤さん、青空MLの皆さん、水野@京都女子大です。

At 23:41 1999.08.06 +0900, Ken Goto wrote:
>そうですね。ですから、恐らく、意見の違いは、小学校5,6年次におけるこど
>も、ってどういう状態にあるのか、という点の考えにあると思います。
>
>僕は、おぼこい子を代表したつもりになって話しを進めてきましたが、水野さん
>は「成熟の進んだ子」を代表して発言しているようにも思います。【312】で
>も述べましたが、「成熟度」の個人差の大きい時期です。

私の意図は、小学生だからといって、レベルを落としてはいけない、
というようなことです。というか、(本当は)難しいことを、易しく話して
わかった気にさせるのが、教師の力であり、役割であると思う、というような
ことです。

いま、どんどん、(詰め込み教育批判と称して)教科内容を易しくしようと
していますが、本当は、教師の教育力の(相対的な)低下が起こっている、
ということではないですか?それも、しかし、そんなにひどくはないと
思います。メディアの作り出す虚像におどらされているだけ、という気
がします。

国立の全国共同利用研究所である国際日本文化研究センターの先生たちが、
地域の小学校で、連続講義をやったことがあって、その記録が、
「小学生に授業」という形で、出版もされています。

また私自身も、今年度、京都女子高校で、特別講座と称して高校生に対する
授業を持っています(これは、来年度、京都女子大の新学部教授に就任予定の
4人による共同提案として、実現しましたが)。ちなみに、私は「科学と情報」
というテーマで女子高生に教えます。

小学生というのは、かなり微妙な年齢ではありますが(ちなみに、私は
3人の子供の親でもあり、学年は、中3、小学校6年、4年です)、
子供なりに、環境問題に心を痛めていることは事実でしょう。歴史の
勉強でも、一通り、全体を把握する、ということを、小学校、中学校、
高等学校、と、何度も学習する機会を得ながら、繰り返していますよね?

そういう(レベルを落とさない)形で、環境教育も、小学校から出来ない
ものでしょうか?


>> 問題の解決には、まず問題をよく理解すること、そのためには、まず問題を
>> 知ること、というわけですが、何が難しいのか、ということを、大人は
>> はっきりと言葉にして、子供たちに、語るべきだと思うのです。不安を、では
>> なく、論理を、です。彼らは、何を言われているのか、必ず理解出来る、
>> のではないか、と感じるのですが。

>こういう形での問題提起(論理)は、いずれ、こどもは理解します。それが、小
>学5,6年生が妥当な時期なのかどうか、という一点に僕は素朴な疑問をおぼえ
>ているわけです。大半の子が思春期を終わりかけている中学3年生時でも遅くは
>ない、ということです。

繰り返し登場することの意味は、その度ごとに理解が深まること、復習の機会を
与えることになること、落ちこぼれからの回復の機会でもあること、など、
積極的な意味があって、文部省の全体の方針も、そういう形になっているはず
です。数学とか英語などは、積み上げの科目(前がわからないと、先に進めない)
ですが、環境教育の場合には、どうなんでしょうね?

歴史のように、扱う問題対象は、わりとはっきりしていて、その全体を
把握する、という教育課程を、各発達段階で組み、それを繰り返しながら、
(小学校、中学校、高等学校、大学へと)次第に詳細な(深い)関係性への
理解へ、というのが、いいように思いますが。でも、よく研究をしてみないと
わからないですね^^;;;


>これは、別の「子育て」スレッドにも関係しますが、家庭をとりまく地域環境も
>とりわけて重要だ、と思います。一人っ子でも、家の中では寂しいけれど(うん、
>昔は、一人っ子の子はみんな寂しいといっていた)、外にいけば、年長、同年、
>年少、さまざまな友達がいれば、楽しく遊べる。そういう地域環境がなかなか得
>難い(不可能な?)世の中になっている。

これ、大問題ですね。で、文部省も、地域や家庭の教育力の回復を、
と言っていますが、地域でも家庭でも、そういうことが問題にされる
ことは、あまりないです。笛ふけど踊らず、というのも、問題だし...


>確かに主張を持たない教師は、こどもも魅力を感じませんね。でも、僕がそれを
>感じたのは、やはり、中学生になってからで、、、小学生のときは、主張も何も
>なかったというか、、、性格的な相性が大切というか。

確かに。小学生というのは、もっと動物的存在ですね。
でも、なにか、楽しいだけが小学校でいいのかな?、とも思うですが。

>
>・・・いずれにしても、小学生時に、深刻な社会問題が教材にあがった試しはな
> いです。

例えば、戦争の話を祖父、祖母に聞いてきて、それをまとめる、という宿題
なんかもありますよね? 今、うちの小学校6年生の娘は、原爆の話の
新聞の切り抜き、というのが、学校からの宿題になっています。

あれなんかも、本当はとても難しい話だし、調べ出すと、私も新しいことを
学ぶばかりです。でも、小学生にも、わかる話としても、話すことが
できるでしょう。なんか、そんなイメージで(問題の全体を見られる形で)、
環境教育もできないものか、と思うのですが。


>> 自由、といっても、ほっておくと、だらけるのも、また人間(子供)
>> という面も、認める必要があると思います。
>
>はい、僕もだらけてますから、よく分かります。
>ただ、人間には目的もまたあるわけです。少年よ大志を抱け、じゃないですが、、、
>目的がある限り、放っておいてもだらけません。
>
>・・・つまり、管理するのではなく(昔はこんなことしなかった)、それぞれの
> こどもがそれぞれのこどもなりの「大志」をもてるような形での学校教育
> になっていれば、自由でありうるわけです。もちろん、この形は、最も難
> しい方法で、理想論に過ぎない、といわれるのは目に見えているのですが、、、
> こどもの側から見れば、正論以外の何物でもない筈です。
>
> 国家なり、教師なり、親なりは、教育に「目に見える」成果を求めすぎて
> いるわけです。その基準からすると、「自由」ほど成果のないものもない
> し、「危険」でもあるし、、、教える側の「力量」が強く求められざるを
> 得ない。そこに、「理想論」といわせてしまう一つの要因があるかな、と
> 思います。

これ、とても大事な指摘ですね。小学生に、目的、といっても、かなり
難しいことではありますが、こういう人になりたい、という素朴なイメージ
でいいので、持って欲しいですね。
#そういう大人がいない、というチャチャはおいておいて。^^;;;


>・・・で、農業実践を通じて、ある子はせっせと栽培し、ある子はせっせとそれ
> を荒らし、、、で、何か学べれば、楽しいかな、と。もちろん、そこでは、
> 陸さんをはじめ何人かの方々が御提案された「展開」もあって面白いだろ
> う、と思います。

こういうのも、面白いと思います。

自然というものをもっと理解してほしい、というのが、結局、私もいいたいこと
です。(自然)科学というのは、そのための非常に強力な知的理論武装になるし、
また自然をよく理解していれば、バカことはしなくなるのではないか、などと
思うのですが。自然というものを、体験的に、具体的に、自分の体で、そして
最終的にはきちんとした論理として、わかっている人が一人でも増えてくれる
ことを期待したいです。

***

なお、こういう議論と多少とも関係すると思うので、ご紹介しますと、
8月9〜10日に、神戸国際会議場で、日本科学教育学会、というのがあります
(私もそこに参加します。)
http://human.h.kobe-u.ac.jp/jsse23/



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Y.MIZUNO 水野 義之 (大阪府 茨木市)
http://www.rcnp.osaka-u.ac.jp/~ymizuno/
==> Kyoto Women's Univ. http://www.kyoto-wu.ac.jp/
Tel/fax: 075-531-7104 mizuno@kyoto-wu.ac.jp


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