[BlueSky: 343] Re:Re:327 複合生物


[From] GENNGOROU@aol.com [Date] Sat, 7 Aug 1999 12:26:05 EDT


後藤さん,皆さん,こんにちは。

             GENNGOROUです

今の地球の環境は人間の存在が大きなウエイトを占めている
ことを考えて,私は「人間とは何か?」をから考えています。
奇異なことを書いておりますが一つの見方としてお読み下さい。

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> Subj: [BlueSky: 336] Re:327 複合生物
> Date: 99/08/07 13:17:57 JST

> 須賀さん【327】:
> > >源さん【326】:
> > > 仮に,このように人間を考えることができるならば,
> > > 人間の行動(存在)を促すものには,「初期生物の命令」と
> > > 「動物の命令」「精神存在としての欲求」という三つがある
> > > ことになります。

> > 「複合生物」という発想は、とても面白いと思います。でももう少し
> > 具体的にしりたいな。こういうアイデアの面白さが、自然界で観察で
> > きる現象と直接どんなふうにむすびつくのかにわたしは興味がありま
> > す。
> > たとえばわたしが今しりたいと思うのは、うえにあげられた3つの命
> > 令・欲求のあいだの関係です。この3つは、概念だけでなく存在のレ
> > ベルではっきりと区別できるものなのですか? それとも、もっとあ
> > いまいで連続的なもので、相互にからみあっていて、動物の種類ごと
> > にちがった仕方で実際には存在してるようなものなのですか? 前者
> > なら高度すぎてわたしの理解の範囲をこえています。後者ならわたし
> > でもなんとなくイメージがわいてきます。

後藤さん:327にて
> ここは、人間の脳機能を想定すると分かりやすいのではないで
> しょうか?

解説していただけてうれしいです。
自分なりの考え方で人間に付いて知りたく,生物の進化を物質
から考えてきましたが,結果としては,脳の機能と同じになっ
てしまいました。
でも,なんでだろうと考えました。全ては人間の脳の中に残っ
ていたようです。そして,物質としての宿命(限界)も,肉体
からの束縛も脳の処理には残っているようです。

> 源さん【326】:
> >  たとえば,性欲は初期生物の存在欲求からくる命令で,
> > 食欲は動物としての欲求,「語らい」は精神生物としての欲
> > 求ではないかと。

> げんごろうさん、お久しぶりです。

また,お話ができるのが光栄です。
最近,このMLに偶然来て,後藤さんがいらっしゃるので,
「うわっ」と驚きました。とても嬉しいです。
ご迷惑がかからないように心がけます。
(このメールの発言がすでに心配ですが,,,)

> 初期生物の命令+動物の命令=脳幹・視床下部の機能
> 精神生物としての欲求   =大脳新皮質(新哺乳類脳)の機能
>
> これに、
> 喜怒哀楽         =大脳辺縁系(旧哺乳類脳)の機能
> を付け加えれば、人間的欲求を理解するための一つの枠組みが出
> 来上がるでしょう。

まず,これ↑を理解していただきます。
で,次に私の思いですが,大脳新皮質はきわめて高度のコントロ
ール,ないしは,創造の脳でありますが,それでも哺乳類の脳の
延長でしかないと思います。

私は,脳も予期せぬことが,脳が働くことによって副産物的に
誕生したのが精神(精神生物)だと思います。
普通の言葉で言いますと人間の「意識=自己認識」です。
上手く言えませんが,「脳が脳を知る」ような感じです。
「感じ」などと曖昧な語句を用いなければならないのは,私たち
が感じるこの精神の存在そのものが「感じ」だからだと思います。
物質の存在は現象で認識できるように,「感じ」誕生したものは,
その感じでしか認識出来ないのだと思います。
(すみません,くどくど)

> 須賀さん【327】:
> > 源さん:
> > > そこで,「子どもを産む」ということを考えますと。。。
> > >
> > > 子どもを産まない社会(国)を考えるとき,
> > > その社会(あるいは組織)が精神生物的人間が
> > > 多い社会(環境)になっているかもしれないと,考えられ
> > > るのではないかと思います。
> >
> > これは、肉体的な存在への欲求がみたされたので、精神的な存在への
> > 欲求の部分が拡大している、という意味ですか? もしそういう意味
> > に理解していいなら、現象面ではもしかしたらそういうことがあるの
> > かな、という気がします。しかしそれを生物学で説明できるのか、と
> > なると、わたしにはわかりません。あるいは、ほかの分野の学問なら
> > できるのでしょうか?
>
> 源さんの場合、上に挙げた3つの機能を独立・分裂させている
> ニュアンスがあるので、一般的には理解しづらくなっていると
> 思います。

そうなんですか,,三つが独立した存在というニュアンスに
取れてしまうんですね。
フォローがとてもありがたいです。

> 3つの機能が、それぞれに独自の機能を営みながらも、全く
> 無関係には存在せず、機能的に上手く統合され、調和した
> 「一つの」機能を営んでいるのが、われわれが実感する脳の
> 働きだからです。

ありがとうございます。この通りです。
私は,あえて,自分で知りたくて,その調和を自分なりに分解
(解剖)したがっているのだと思います。

> 源さんの主張が依拠している社会現象の一つは、教育が浸透
> し高学歴化が進んだ社会では少子化が進んでいる(出生率が
> 低下している)ということだと思います。

そうです。
ただ,私は脳の仕組みから考えてこなかったせいか,
「子どもを作らない」→「初期生物からの影響が弱い」→
その原因→「精神の独立」になります。

「精神の独立」は,肉体を強く有意識化することで初めて
可能(たとえば,絵描きダリの空間浮遊の岩を見て物の質
量が認識できるようなもの)となるので,「死を見つめた
り」「脳の機能の衰えがないときに身体の機能が衰えたり」
した者に「精神の独立」が起こると推測しました。
と,考えると,この日本社会の二面性の状況の何か分かる
ような気がするのです。
肉体を有意識化しないと精神生物にはならない(無意識化)
死を見つめるゆとりがあり,精神生物化する(有意識化)
また,宗教などで行われる修行でも,精神生物としての自己
の存在を認識できるのかな?などといろいろ考えます。

> これを、大脳新皮質系の機能が優位になっている人たちの集
> まり、と源さんは捉えていることになっているのだろう、と
> 僕は想像します。

偉そうな話し方をしてますが,後藤さんのこのメールを読んで,
やっと頭がまとまってきました。(とても感謝してます)

意識が記憶の繰り返し,時間が今の自分を次の自分が記憶する
ことで流れていることを考えると,大脳新皮質の機能が大きく
影響してますが,大脳新皮質が精神生物ではありません。
なんども繰り返し申し訳ないのですが,私は大脳新皮質が働
く時の現象から自己が生まれていると考えてしまうのです。
で,肉体→脳→処理(現象)→意識と,肉体からかなり離れた
存在を考えるとすでに,一つの独立した存在と認知してもよい
と考えました。
すると,困ったことが起きました。目(視覚)に見えないの
です。でも人間の「脳感覚」では感じる。で,目には見えず,
触れないけれども「ある」ということで,無体の存在→精神
生物と考えたのです。

> しかし、現実問題として、どのような文化的風土にあろうと、
> 三つの機能の関係の仕方にヴァリエーションは生れない、
> と思います。原始社会であろうと、現代先進諸国の社会であ
> ろうと、新皮質の働きの「強度」には違いはないであろう、
> ということです。違っているのは、新皮質が「興味」を向け
> る対象が、文化的風土や、個人差に応じてさまざまである、
> ということだ、と思うわけです。
> ただ、確かに、新皮質系に入ってくる情報が、現代先進諸国
> ほど多種多様で量的にも圧倒的である、という違いもありま
> す。「子供を産まなくても、他にもさまざまにしたいこと、
> できることがある」という選択肢はものすごく多くなってい
> るのは確かですね。

脳の記憶領域(大脳新皮質)が働くと誕生する「精神生物」は,
逆に言うと,大脳さえ働けば誕生してしまう。のかもしれませ
んので,自己認識は崇高ですが,崇高であっても複雑な仕組み
ではないかもしれません。
つまり,文化風土,教育,習慣とは,直接には関係ないかもし
れません。が,間接的には大きいはずです。
「物事の原因は一つではない」というところでしょうか。。。
自己認識の獲得も思うところがありますが,ここではよします。


> 源さん【326】:
> > 精神生物である人間は,隣の家の子どもが泣くのをただ
> > 「うるさい」と感じているだけでなく,その子どもが心
> > 配で思考を邪魔されるからです。つまり,動物的な「他
> > の子どもを養育せよという命令」と「精神生物的な思考
> > をせよ」という複合生物の命令が矛盾を起こすからです。
>
> ここは一瞬、考え過ぎかなと思いましたが、的を射ている
> ようです。

時間を割いて考えていただいたことに深く感謝します。

> 隣の子供の泣き声は単なる雑音(騒音)ではない、という御指摘
> ですね。

その通りです。このことだけでも,環境問題の公害の「騒音問題」の
解決が根本的に変わってきます。
人間は,「見えないもの」を嫌いますが,それと,人間の動物本能の
「集団養育本能」が満たされないことで,脳が騒ぐ事で,思考が中断する
ことなどが,ごちゃまぜなんです。
解決は,「うるさい!」と感じる人が,泣く子どもを見られるように
すれば良いんです。
家の裏につながれて見えない犬が「きゃんきゃん」吠えるのをうるさい
と感じるのも同じです。

> 生物学的な言葉に翻案すると、隣の子供の泣き声は、哺乳類的
> 本能(ここでは育児本能)を呼び覚ましてしまうから、単なる
> 騒音の場合よりも、思考中断効果が高い、という御指摘でしょ
> うか?

私の,未熟な文で,なぜここまで分かっていただけるかが,
不思議です。。。。ありがとうございます。
また,書いた私が更に整理されます。

> ここは多分に「隣の子供」に対する愛着度、愛情の強さにも
> 依存する部分でしょう。我が子、我がペットであれば、思考
> 中断効果は「隣の子供」の場合よりも明らかに高い。

見えるか,見えないかの違いだと,私は思います。
「見えない物事」を想定し生き延びてきた人間の脳の中の
動物的な生物の性質だと思います。

> 源さん【326】:
> > 集団性物化した人間は,集団の一部分ですから,集団の
> > 存続が第一欲求になり,自分の子どもの「養育」などは
> > 問題外になります。(すでに,そうなっているかも・・)
>
> 人間は群れ動物ですから、何らかの集団に帰属しているのは
> 確かです。その集団にも大小さまざまなものがあり、また抽
> 象的な集団もありえます。
> 「集団の存続が第一欲求」に、本来の意味でなることはあり
> えないと思います。
> 集団生活の中で、最も強い個人欲求は、自己防衛本能=なわ
> ばり防衛本能であろう、と思うからです。
> 神風特攻隊の少年が敵艦に飛び込む時でさえ、おかあちゃん、
> と泣くものです。
> 集団としての欲求というか、社会的圧力を、個人が100%
> 同化したなら(完全に洗脳されたら)、源さんのおっしゃる
> 通りなのかもしれません(オウムを想定しているのですか?)。

集団にも思うところがあります。
集団には隠れる環境である群(自論)と,共同作業を行う集団が
あると思います。ここで,また,私の思いを言ってしまうと。
さわりだけ,
精神生物が進化すると,個と集団に別れるのではないかと思いま
す。視覚的に一固体であると生物を定義することを,疑ってみま
すとアリや蜜蜂は一つの生物として扱って良いように思えました。
ある信号でつながっている個体群を集団生物として扱ってみました。
人間社会がある規律ないしは,伝達信号で統一されると,人間は
気が付かない内に集団性物化するのではないかと思うのです。
そう考えると,誰もが「平和でありたい」と考えるにもかかわらず,
「戦争が起きる」ことや,「集団殺りく」をしたものが,ポカンと
していることが頷(うなず)けます。

このことを,人間の社会環境を考えるときに当てはめると,人間の
中に責任者を捜す思考をやめなければならないことになります。
完璧な組織は,その責任者や集団の構成員の意志とは,まったく
違った方向に動く危険な可能性があるということです。
その時に「責任者探し」はなんの解決策にもならないということ
なのです。

ながくなりました。。。
失礼します。

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GENNGOROU









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