[BlueSky: 342] Re:339 無意識と意識


[From] kitapp@elf.coara.or.jp (Katsumi) [Date] Sat, 7 Aug 1999 22:02:56 +0900

後藤さん,MLの皆さん,こんにちわ,喜多です。
> 喜多さん【337】、
> > 私は今,日本では「無意識」と「意識」がどうもおかしくなっている様な気がしてな
> > りません。

> > まあ,そんな身近な所からしか,ちょっと,思いつきませんが,「この人,本当に意
> > 識があるのやろか」と思う「無意識」的な出来事が非常に増えて来ている様に思うの
> > です。(言葉を知らないもので,意味が伝わらないかも知れないのですが)。
> >
> > 「無意識」だと,自分が悪い事をしていると言う自覚もないので,反省も,後悔もな
> > く,多分,これは現代が「仮想現実」の中で,「現実」と「仮想」の区別がつかない
> > 時代になって来ているからでは,とも思えるのです。
>
> 「無意識」にはいろいろな意味があると思います。
> 僕が、喜多さんのメールタイトルをみてまず連想したのは「潜在意識」としての
> 無意識です。本文を読み進んでいくと、どうやら、「習慣的」行動を振る舞う際
> の「無意識」のようであることが分かりました。

そうですね。「無意識」と言うより「習慣的行動」と言える出来事かも知れません。
私などはつい何か行動する時に,いつも「人の迷惑にだけはならないよう」と思って
いるのですが,最近の社会では,もうそんな規範は「私には関係ない」と言う世代感
覚が多い様な気がしてなりません。或いはこれも以前は「人には甘く,自分には厳し
く」と言っていたのが,某有名タレントが常々逆の「人には厳しく,自分には甘く」
の風潮の反映である様にも思えます。
>
> ・・・僕が思いついたのは、泥酔した酔っ払いでも、我が家には辿り着ける、と
> いうような習慣性。

まあ,最近は私は余り泥酔する程,お酒は飲んでいないのですが,以前は朝起きたら
,そこは友人の家で,友人が横に眠っていた,なんて言う「無意識」状態にもしばし
ばなりました。

ただ,最近,目にする「無意識悪」「習慣的行動悪」は,どうも,そんな楽しい様な
次元でなく,何か
日本全体が「空しい」と言うか,「気味が悪い世の中」になっている,と言える様な
気がするのです。
>
> > かく言う私も,もしかしたら「無意識」状態で,「悪」をしているかもしれません。
> > だから他人を責めると言う事でなく,これは多分に「幼児,児童教育」から,形成さ
> > れてきた「野放し」「自由奔放」
> > 「無秩序」等から来ている様で,国を動かしている人が考える事なのか,それとも,
> > 私たち一人一人が考える事なのか,皆さんに教えて欲しいのですが。
>
> この一節から僕のメールに誤解させる部分があったかな、と気づきました。そこ
> で、ここでは、僕がこれまで敢えて語らなかった部分についてお話することにし
> ます。
>
> 僕は、一貫して「野放し」で「自由奔放」な遊びについて語ってきました。

あ,これは全く「後藤さんのメール」とは関係ありません。(と言うより後藤さんが
,語られているのをまだ把握しておらず,知りませんでした)。
>
> ・・・人間に対する愛情や、思考力、創意工夫能力などもここで培われる、とい
> う主張です。
>
> 現代日本は、この遊びにおける「自由奔放」を抑圧しています。その代わりに、
> 学校教育や塾通いなどで「管理」しているのが全般的な実態だ、と思うのです。
>
> 同時に、家庭内では、「勉強」していさえすれば、野放しにしていると言えます。
> モノを親の好き放題に買い与えてもいるし。つまり、家庭内の躾については野放
> し状態なのです(もちろん、全般的な話としてです)。今の子は大人に本当に叱
> られたことがないのではないか、と思わせるような言動が目に付きます。

その辺りは私は余り定かでありませんが,私の目からは,最近の学校教育や塾通いが
,それほど「管理」している様には思えません。又,私には「管理」=「勉強」=「
悪」,「自由奔放の遊び」=「昔の子供は野原で良く遊んだ」=「善」見たいな見解
は,やや常識的と言うか,形式的見方の様な気がします。(後藤さんの言われている
事と関係なく,私の見解です)
>
> 喜多さんのおっしゃるような「無意識的悪」は、家庭内での善悪判断、こども集
> 団における善悪判断の訓練過程の現代的欠落が大きく関係している、と思うので
> す。
> ・・・これに加え、どうにもとまらないふしだらな社会的世相という時代的雰囲
> 気も大きな要因になっている、と思いますが。

多分,この辺りでしょうね。又,少子化なども関係があるのかも(これもテレビで見
たのですが,一人っ子と,兄弟のいる子供を同じ部屋に入れ,おもちゃ等を与えて行
動を調査した番組を見たのですが,両者には全く異なった行動パターンが顕著に現わ
れていました)。

昔,ジェームス・ディーンの映画で「理由なき反抗」と言うのがありましたが,以前
はそうは言っても結構,理由があった様に思われるのですが,どうも現代(最近と言
った方が良いか)は「無理由」「無動機」「無造作」「無感動」「無意識」で,世の
中が進んでいる様な気がしてなりません。

私は「無」はどちらかと言えば「好き」な方で,自分の「生きがい」探しでも「無」
だからこそ「精一杯」「一生懸命」やろうと思っているのですが。やっぱり,私の様
な「大人」が,もしかしたら「無意識悪」をはびこらせてしまったのかも知れません。

私は勝手な意見ですが,こういう社会を見直すアイデアとして,もっともっと「創造
教育」を進める事,それに「哲学」(もっと違った言葉でも)「音楽」(と言うより
「音造り」)。今の小学校教育等に代表される「国語」「社会」「算数」「理科」そ
んな単純な言葉の変革辺りから変えて行けば等とも思っているのですが。

kita katsumi kitapp@elf.coara.or.jp
「創造学級KITA ORIGINA」「誰も聞いた事のないコスモムジカ」
URL http://www3.coara.or.jp/~kitapp  
「創造空間」&「蔵書」&「奇蹟」&「古葉書」「切手」(7,DEC,1998更新)





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