喜多さん、青空MLの皆さん
後藤@帯畜大です。
喜多さん【337】、
> 私は今,日本では「無意識」と「意識」がどうもおかしくなっている様な気がしてな
> りません。
>
> (中略)
>
> まあ,そんな身近な所からしか,ちょっと,思いつきませんが,「この人,本当に意
> 識があるのやろか」と思う「無意識」的な出来事が非常に増えて来ている様に思うの
> です。(言葉を知らないもので,意味が伝わらないかも知れないのですが)。
>
> 「無意識」だと,自分が悪い事をしていると言う自覚もないので,反省も,後悔もな
> く,多分,これは現代が「仮想現実」の中で,「現実」と「仮想」の区別がつかない
> 時代になって来ているからでは,とも思えるのです。
「無意識」にはいろいろな意味があると思います。
僕が、喜多さんのメールタイトルをみてまず連想したのは「潜在意識」としての
無意識です。本文を読み進んでいくと、どうやら、「習慣的」行動を振る舞う際
の「無意識」のようであることが分かりました。
・・・僕が思いついたのは、泥酔した酔っ払いでも、我が家には辿り着ける、と
いうような習慣性。
> かく言う私も,もしかしたら「無意識」状態で,「悪」をしているかもしれません。
> だから他人を責めると言う事でなく,これは多分に「幼児,児童教育」から,形成さ
> れてきた「野放し」「自由奔放」
> 「無秩序」等から来ている様で,国を動かしている人が考える事なのか,それとも,
> 私たち一人一人が考える事なのか,皆さんに教えて欲しいのですが。
この一節から僕のメールに誤解させる部分があったかな、と気づきました。そこ
で、ここでは、僕がこれまで敢えて語らなかった部分についてお話することにし
ます。
僕は、一貫して「野放し」で「自由奔放」な遊びについて語ってきました。
・・・人間に対する愛情や、思考力、創意工夫能力などもここで培われる、とい
う主張です。
現代日本は、この遊びにおける「自由奔放」を抑圧しています。その代わりに、
学校教育や塾通いなどで「管理」しているのが全般的な実態だ、と思うのです。
同時に、家庭内では、「勉強」していさえすれば、野放しにしていると言えます。
モノを親の好き放題に買い与えてもいるし。つまり、家庭内の躾については野放
し状態なのです(もちろん、全般的な話としてです)。今の子は大人に本当に叱
られたことがないのではないか、と思わせるような言動が目に付きます。
喜多さんのおっしゃるような「無意識的悪」は、家庭内での善悪判断、こども集
団における善悪判断の訓練過程の現代的欠落が大きく関係している、と思うので
す。
・・・これに加え、どうにもとまらないふしだらな社会的世相という時代的雰囲
気も大きな要因になっている、と思いますが。
後藤 健
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