[BlueSky: 3357] Re:3348 宗教と科学と法律と哲。。。。


[From] "gengorou" [Date] Sun, 27 May 2001 07:28:05 +0900



あ〜、、「趣味のあり方」についても、いろいろ考えて、
出せずにいたのに、、、
思いついた、まったく関係ないことを、、つい、出してしまった。。

皆さん、お世話になってます。ゲンゴロウです。
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佐川さん、いつもお返事ありがとうございます。
でも、私は、理解力がないので、意見交換には弱い。。。
けど、考えさせてください。今日のは、、長いメールです。。。

【ゲンゴロウ 3347】
>> 素直な人、つまり疑わない人や、信じる人は、数学とか
>> 物理など、とても得意なようです。数学や物理など出来
>> る人は、頭がいい人というよりも、無駄なことに頭を使
>> わないことが出来る人のようです。
>> (私は無駄な思考が多いからダメ。。。)

【佐川さん 3348】
>それは、理数系が得意な人に対する偏見かも(^^:)。

私の上の事は、ある意味、「そうなんだよなぁ〜」という
尊敬の方向の納得なのです。。。
そして、高校生の理数を対象にしていますです。
その先(大学など)は、私にはわかりません。

私、高校の時、物理化学が全くダメでした。
先日、得意だった友人に会い、話したときに、、
「答えが一つ。それが好きだった」と言っていたので、、
あ〜、私とは違うんだなぁ〜と思いました。
私は、やたらと考える。注意散漫タイプだった。(今もですが)
で、国語は、いろいろ考えられるので、好きでした。

>だって、音楽や芸術の才能のある人にはそんな風なことを言
>わないでしょ?

う〜ん、そういえば言わない、ですね〜。。。
でも、それは、もしかすると、そうじゃないからだとも。。。
音楽芸術傾向は、けっこう理屈を考えるし、拡散傾向ではないかと。。。。
そして、あまり自分の世界を持っていて、素直ではないような。
科学を学び、良く理解できる人は、実に素直なんではないかと。。

>それと、疑い方には、世界の森羅万象への疑いと、世界が在る
>ことそのものへの疑いがあって、物理学の疑いは森羅万象への
>疑いで、ゲンゴロウさんの疑いは在ることそのものへの疑い、
>と言うこともできます。

まず、疑いについてですが、
私は、あまり「問い」とか「疑い」を持たないかな〜。
ただ、漠然と考える?のかも。ただ、無意識下で、
私の頭が何をやっているのか、それは、分かりません。
もしかしたら、すんごい疑いを、いつも持っているのかも
しれません。
何を漠然と考えているかというと、私は、方法とか道具です。
でも、教わる段階の数学や物理では、なんか、その方法とか
道具については、あまり考えないような。。。
私は、数学や物理の本を読むと、その道具、たとえば公式だとか方程式
そのものが、「なんだろう?」と気になって、気になって。。。
で、先に進まないのです。

思い出すと、化学なんて、教科書の最初の方で、原子を習うとき、
「誰が、どうやって見たんだ?」とか
「もしも、それが違っていたらどうするんだ?」と考えて、
とうとうそれだけを考えて、一年間の化学が終わってしまいました。
(小学校、中学の理科は得意科目だったのに。。。。
 考える時間がなくなって、自分の脳に詰め込みが始まったら、、
  まったく面白くなくなって、、出来なくなった。。。)

で、話を戻しますが、佐川さんのお話、私の書き方がまずいので、
私のいいたい話とは、ちょっと違っていると思います。
でも、私の話を別にすると、かなりうなずけます。
佐川さんの言う、、
「疑い方には、世界の森羅万象への疑いと、世界が在る
 ことそのものへの疑いがあって、物理学の疑いは森羅
 万象への疑いで、ゲンゴロウさんの疑いは在ることそ
 のものへの疑い」は、、、
ほんとうに、的確だと、私は、、思います。
(私は、うれしい。。。)

>> 意識の世界には、人それぞれの感じ方、考え方があって、
>> それでは、何も共同作業が出来なくなってしまうので、
>> 長さとか、質量とか、熱量とか、周波数とかの単位を決
>> めた。つまり、物理などは、意識の多様性を認めずに、
>> ある一つの前提に絞った規則を元にしたもの。。。
>
>いやいや、意識なんてそんなに多様じゃないですよ。
>多様じゃないからこそ、言語を持ち得るんです。

あの〜、この佐川さんの、意見そのものが、、
なんか、多様な理解を除いた考え方のような気がします。。。

言語は、本来、思考によって多様になるはずなのに、、
その多様性を除かれたことによって、、共通の言語になっているような。。。
私は、共通に誰にでも伝わる言語を利用するために、
実は、人間の多様性が失われたような気がします。
上手く言えませんが、
科学には科学的な言語が作られ、それが、他の「学」を寄せ付けない。
宗教もそうです。宗教も哲学も科学も、実はとても似ている
部分があるような気がします。(まったく違う部分も、当然ある。。)

科学の中の物理を例にさせてもらうと、私にすると、あくまでも、
 「物理学は、物質に関わっていて、その物質に関わる現象を
  この2世紀は考えている。しかし、物質とか現象を考える
  には、物質とか現象以外のことから考えなければならなく
  なっている。」
時代もそんな時代のような気がします。
それには、今、物理学が求める物理的な思考には、このような
「物」中心の思考が、かなり邪魔をしているような。。。
(私、知らないのに話しているので、話、半分、、
           いえ、5%で聞いてください。)

私、自分で考えるとき、人には伝わらなくてもいいからと、
考えること重視で考え、勝手に、ない言葉を作ります。
(言語に捕らわれたくないのです。。。)
で、誰とも話せなくなり、困って、伝えるときには、
長〜い言語(文章)になってしまうぅ。。。
(多分、現行の単語も、その長い言語(文)が、概念として、
 皆に理解されて、単語になったのではと・・・。。。当たり前?)

>> しかーーーし!
>> その物理が意識の世界だとか、重力だとか、量子だとか、
>> 光だとかいう、人間を離れた世界のことに触れ出すと、
>> かえってその人間が決めた一元的な前提が障害になって
>> くる。。。
>
>人間は“世界の産物”ですから、「人間が決める前提」は、
>世界によって決められている、とも言えます。

おっしゃること理解していないかもしれませんが、
私もそんな様な気がします。

で、そう考えるからこそ、
その「世界」を限定する行為こそが問題になると考えます。
世界(観)が違うと、全てが違ってくる。
もともと自然界の世界には、人間など関係ないので、その世界に
人間の「肉体感覚」や「意識感覚」で感じた尺度を用いると、
おのずと限界が生まれて来るように思います。
現代って、まさに、そういう限界の時代に差し掛かっているのでは、
ないでしょうか。そこまで人間は、もう来ているのではないかと。。。

人間世界と、自然世界の衝突が、何処彼処に起きているのが、
今なのでは。。。
その一つに、
科学的な先進国意識(文明人)と、発展途上国(自然人)との
意識との差も生まれて、人間の中にも世界(観)の違いで、
衝突が起きている?
世代間にも起きている。。。

「発展効率意識」と、「発展効率を求めない意識」の衝突。。。
「物質思考」と「意識思考」の衝突。。
「肉体存続」と「意識存続」との衝突。。。などなど。。。
環境問題も、その辺が大きなネックになっているような。。。
(私の思考が変な時は、お許しを・・・)

>> 科学はまだまだなのに、、科学者は科学を崇拝している。
>> 科学宗教?
>
>科学者は科学を崇拝している。というのは、私たちの科学者
>に対する幻想です。

え〜と。。。同じ意見です。
どうして、違うのに同じになるのか?なぁ〜?
私の中には、
「本当の科学者は、人間の無力を知っている」という思いがあるので、
「科学のみを崇拝(宗教)している者は、科学者でない」という命題?が
あると、思います。(自分の思いを言っていて、「思う」は変ですが。。。)
しかし、なんか、宗教的に科学思考の人、多くありません?
知識の総量が多いので専門分野に別れているから、専門を追わざるをえない
のは、分かりますが、それを追いすぎることを見ると、それ自体、
客観的に眺めると、宗教的(それ一つが真実とする考え)ではないでしょうか。。。。
人間はどうしてもそうなるので、善悪を言っているのでないです。

結果、人間には「知識の蓄積」と、「人間の能力」の衝突が起きている?
そして、
私たちが、優れた宗教観を理解できなくなり宗教が人を
救えなくなったように、高度な科学も私たちから離れ、
人間を救えなくなるのではないかと、思ってしまいます。
(と、いうより、、宗教の教えが非人間的になると、
 人に苦しみが生まれてしまうように、科学も苦しみの元になる。。)
そして、バベルの塔ではないですが、、、その重さによって、
       全てが元も子もなく、足下から崩れ去るような。。。

>> まったく何もかもが難しい。。
>> でも、
>> まったく難しいけど、、
>> 分かることなんか大切じゃない!
>> 絶対に分かり切ることなんかできないのだから。。。
>> 大切なのは、なにもかもが、むずかしくて、
>> 誰も何も分からないということを
>> 誰もが理解することなのさ!
>> (と、役に立たぬ勝手なことばかりを言う、私。。)
>
>そのことをしっかり理解するためには、「考える」という
>経験をしなければいけない・・・・

あるMLで、
「問いを持ってはならない」と、私よりも変な人が言ってましたが、
実は、私もそう思います。
問いを持つこと自体に、もう、そこには方向性がある。
それが、すんごく問題だと思います。
思考過程の落とし穴というか、なんというか。。
彼は、物事の考え方を言ったのだと思いますが、、、
私は、考えるよりも、「なぜ人間は考えるのか」を、
一度、疑ってみたほうがいいように思います。

もう、数学とか、物理って、問いそのものの塊(かたまり)のような
気がします。何かに向かって突き進んでいる感じです。
なんか、現代文明に似ているような。。。
別な、方向性があって、それを認めても良いような気がします。

でも、佐川さんの言うように、
「考える」ということは、とても大切なことだと思います。
なにしろ、私も、その権化(ゴンゲ)ですから。。。(大苦笑)
でも、、
無性に考える私を感じ、その考えている私を考えると、
私は、なんか変です。
つまり、私が並の人間と大差ないとすると、人間って、変です。。

−−−−−−−
え〜と、
私、むずかしいこと考えるとき、ボーとしながら
その場とか相手とかを考えずに、無意識に書いているので、、
理解不能なところは、許して下さい。

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読み直さずに出します。ウラガエシ・ウロゴンゲ。。。






 ************************* 本の紹介****************************

「人間物語」
      - 存在・意識・時間 -
      著者:永島 寛(本名:ゲンゴロウ)

         5月30日刊行 予約承り中です。
       本の詳しい紹介は、↓でご覧になれます。
 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/book/ningen.htm

     メールアドレス gengorou@m08.alpha-net.ne.jp
              ※↑直接、注文も承ります。
 ホームページ http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/index.htm

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