[BlueSky: 3244] Re:3241 春の雑木林、セーフガード


[From] NOIKE Motoki [Date] Tue, 17 Apr 2001 08:54:09 +0900

野池です。

"Y.Kuzunuki" wrote:
> 異常気象による不作、水不足、石油関係の事情による輸送コストの
> 変化等々について考えると、国内の食糧自給率をある程度維持して
> 置く必要があるように、思われるのですが・・・。

できるかできないかはわかりませんが、間違いなく。

> > でも、いざという時にはイモつくって食えといわれたって、
> > さつまいも栽培だって簡単じゃないし、
> > こんな寒冷地では保存もむずかしい。
>
> 育つまでに時間がかかりますものね。

この「育つまでに時間がかかります」で思い出すのが、
石垣島白保の古老の言葉です。
白保は大津波で壊滅的な被害を受けて、波照間島から強制移民させらるんです。
そのときのことが語り継がれて、その古老はこう話します。
「(移民して来た人たちは)さっそく土地を開けて作物をつくるけど、
きょうつくってきょう食べられるものはない。イモを植えても、
3ヶ月、4ヶ月後でなければ食べれんでしょ。で、何を食べるか?
それはこの海からですね、海のものを採って食べて、命継ぎをしたわけ」
話は続きます。
終戦後の食糧難も白保の海の魚や貝を採って命をつないだと語り、さらに
「今の時代は進歩、進歩と言っているけど、100年後、200年後はどうなる?
どんな世の中が続くかわからん。そのとき、海のおかげで、
子供達にどういうまた”ありがたみ”がくるか。
だから恩ある海だから、海を簡単に埋めるもんではないと、言うんですよ」

こうして語る古老(もう亡くなりました)の言葉からは、
サンゴ礁に打ち砕ける波の音が聞こえ、
潮の臭いが伝わり、
人々の涙や汗も見え、
まさに風土に根ざした歴史の重みを感じるのでした。
それは同じく自然を語っても何も感じさせない環境担当役人言葉と
対極にあるのもです。

この白保の古老の言葉を思い返すたびに、
いま自分が住んでいる長野で、
100年後、200年後に頼るべきものは何なのか、
そういう自問を繰り返します。

> 出社して、ある時間拘束されることでお給料をもらうというので
> はなく、出来高制のようなかたちの仕事につく人が多くなったら、
> 土地を持っていれば、自給自足とまではいかなくても、ある程度、
> 何か食糧をつくるようにならないのかな等とも思いました。

ぼくもそう思います。
特に長野市のような地方都市においては。
農業をどう維持するかも大切ですが、
耕地をどう維持するかはさらなる優先課題ではないでしょうか。
「定年帰農」(「現代農業」の別冊)なんていう雑誌が売れました。
これもひとつの道ではないかな。

「いざ」というときに頼れるものをもっていることは、
大切ですよね。
でもそれが何のか、そこをはっきりさせておかないと。
つまり経済なのか、軍隊なのか、自然なのか、信頼なのか、なぞと。
「いざ」はそう遠くなく訪れるような気がしていますが、
さてどうなりますか。


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