葛貫@神奈川さん みなさん
須賀です。
葛貫さん:
> あと、梅棹忠夫さんの「文明の生態史観」、読み終えました。
> 一読しただけなので、理解不足な状態だと思いますが、
> 文明論は東洋と西洋の対比で語られることが多いけれど、どちらにも
> 属さない「中洋」といえる中国、インド、ロシア、トルコ等の四大帝
> 国が栄えた地域があり、この地域は資本家が育つ余地がある封建制度
> を経ないで、無理と歪みを内在させながら専制君主制からいきなり
> 近代資本主義へと、移行しようと四苦八苦している、という観点、
> 認識の議論は、“べき”の議論ではない、というところ、
> 高度産業化社会では、産業や実業と政治の絡み合いが重要になり、
> 所謂、政治家に成り損なった(笑)文化人的インテリが知識人が、
> 文明の進歩に対しては、意外に保守的、あるいは場合によれば反動的
> な役割を果たす、という観点等、面白いなと思いました。
僕もよんだとき、まさにそういうところで目からうろこを落とされた
感じがしました。当時僕は高校生で、勉強していた「世界史」が
これをよんで急に面白くなり、社会科の受験科目を「地理B」から
「世界史」にかえたのをおぼえています。「当時」というのはたしか
まだゴルバチョフが出てくる前で、アフガン内戦にソ連が介入した
すこしあとのころです。
このあいだの土曜日、長野駅前の本屋で次の本をみつけて、
2日でよみおえました。
梅棹忠夫編『文明の生態史観はいま』(中公叢書)
中央公論社 2001年2月20日初版印刷
2001年3月10日初版発行
以前、「生態史観」の話をしたときに、これを批判的にのりこえようと
試みた川勝平太さんの『文明の海洋史観』をあわせてご紹介しました
が、うえの本では、その梅棹さんと川勝さんの対談がふたつ収録され
ており、それを軸にして、4人の評者がコメントをよせています。
対談は(川勝さんが梅棹さんをたいへん尊敬していることもあって)
とてもなごやかにおこなわれていますが、ふたつめの対談の後半
では、川勝さんが「海洋史観」を武器に梅棹さんを押しまくっていて
なかなか楽しい本です。今西進化論をめぐる川勝さんの妙な思弁が
でてこないのもいい。
川勝さんの本をよんだときにも思ったことですが、コメンテーター
のひとり佐伯啓思さんがいうとおり、ユーラシアの「陸の原理」を
あつかう梅棹生態史観とそれをとりまく「海の原理」をあつかう
川勝海洋史観は二者択一なものではないと感じました。
島嶼地理学専門の大島襄二さんとアラブ・ムスリム社会にくわしい
社会人類学者大塚和夫さんのコメントは、それぞれの視点から
この両者の史観の先にあるもの(?)を考えようとしていて興味
をそそられました。
葛貫さんもいわれたとおり、
> 認識の議論は、“べき”の議論ではない、
わけですが、たとえば「地球環境問題」というときの「地球環境」
ということばからどのような世界をイメージするかを考えたとき、
このような認識の議論を注意深くふまえることの大切さを感じます。
その意味で認識の議論には、“べき”の議論にもはたらきかけて
いく側面がありますね。
アメリカの普遍主義的挑戦に対抗する史観として、梅棹生態史観・
川勝海洋史観の今日的意義を評価する佐伯さんの視点に興味を
もつ方もいらっしゃるかもしれません。
僕の視点はこれとはすこし少しずれていて、ジャレド・ダイアモンド
『銃・病原菌・鉄』(草思社)の進化生態学的・生物地理学的歴史観
との類縁性に興味があります。しかしこのことは、ダイアモンドの
歴史観が「アメリカの普遍主義的挑戦」とは異質なものをふくんで
いることをもものがたっているのかもしれません。・・・といいつつ
まだよみおえていないダイアモンドの本をはやくよまなければ。
『文明の生態史観はいま』の章立ては以下のとおりです。
まえがき
第1章 「文明の生態史観」の誕生と成長 梅棹忠夫
第2章 対談 日本文明の未来をかたる 梅棹忠夫・川勝平太
第3章 対談 「文明の生態史観」の今日的意義
梅棹忠夫・川勝平太
第4章 梅棹生態史観と川勝海洋史観 −四人の識者からのコメント
「陸の論理」と「海の論理」 大島襄二
ふたつの史観の今日的意義 佐伯啓思
梅棹文明学を再読する 杉田繁治
「文明」についての覚え書き 大塚和夫
第5章 講演 海と日本文明 梅棹忠夫 (聞き手)秋岡栄子
ところで網野善彦『「日本」とは何か』(講談社 「日本の歴史」00巻)
をよまれた方はいらっしゃいますか? 「日本」という国名はいつどの
ようにして決まったのか、ということを正面からといなおし、日本社会の
外にひらかれた多様性に光をあてつつ、これまでの画一的な国家像
・国民像をくつがえすようなたいへん興味ぶかい議論を展開しています。
日本史の苦手な僕にとってはわからない固有名詞が多くて、これまた
なかなかよみおわれずにいるのですが、「教科書」の問題もさること
ながら、歴史にはまだまだ面白いことがたくさんあるなあ、と感じさせら
れます。
それではまた。
須賀 丈
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