[BlueSky: 3180] 「脱ダム宣言」問題


[From] NOIKE Motoki [Date] Fri, 23 Mar 2001 02:11:35 +0900

葛貫さん、中沢さん、みなさま。

野池です。

葛貫さんがお書きになったミームについては、
これまでの議論も含めて、ぼくには難題なので、
「脱ダム」問題のところにだけ、考えを述べさせていただきます。
「脱ダム」という言葉につい反応していまうのです。

"Y.Kuzunuki" wrote:
> 長野の「脱ダム」問題は、知事はその風土の中で暮してきた現地の人
> ではなく、所謂、識者をブレインとしてつけ、「デザイン」した民主
> 主義を導入しよう、自分の政治的な「正義」を実現する場として長野を
> 利用しようとしているように感じられました。
> (議会により拒否されましたが)

田中知事自身がどう考えているかわかりませんが、
知事による「長野利用」説というのは、
ひとつの見方として成り立つと思います。
田中知事の利用の仕方が、「デザイン」した民主主義導入とすれば、
前知事やいまの県議会議員もやはり長野を利用してきて、
こちらは「利権」の実現の場かな、と考えます。
「脱ダム」は「利権」にとって脅威だから、
議会が「脱ダム」を骨抜きにしようとするのは当然でしょう。
ぼくらが開催した「脱ダムシンポ」の講演者、パネリストも
この「識者」がほとんどでした。
「脱識者」は、知事だけでなく、ぼくらにとっても課題です。
でも、「脱利権社会」というのはもっと重要な課題だと思います。
「脱識者」(脱中央)と「脱利権社会」を両立させながら、
「脱ダム」を実現していければと考えています。
その流れをつくっていくために、
田中知事の長野利用も、今は受け入れていくつもりです。

> 議論するということは、言語化すること。ゆくゆくは、言語化したもの
> の中から数値化できるものを選び出し「科学的」な評価を行い、「ほら、
> 科学的にこうなんだから」と「正義」の顔をして決定を迫ることになる
> のだと思います。その過程の中で、言語化できないものが、沢山こぼれ
> 落ちてしまう。科学的判断を行い、結果としてできたものを見て、失わ
> れてしまったものに気付くことになるのだと思います。
> ま、それが人にできる最善で、他に方法はないのでしょうけれど。

「正義」というのは危険なものですね。
「正義は人を切る」といった人がいました。
「脱正義」も必要かも。


Minato Nakazawa wrote:
> 中澤@東京大学人類生態です。
> # 昨日の信州大学の研究会には,結局いけませんでした(娘のリク
> # エストでドラえもん映画に付き合ったため)。

これにも参加しました。
200人くらい集まったのでは。
いままでの講座の参加者は30人平均だそうです。
「脱ダム」への関心の広がり、高さがわかります。
司会は火山の研究者でしたが、
火山の場合、「防災」ではなく「減災」と呼ぶとおっしゃっていました。
そこで思ったのは、目指すは「脱」だが、まずは「減」かな、と(ダムに限らず)。
それでも難しいでしょうけれどね。

ミームからは脱線してしまって、すみませんでした。


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