[BlueSky: 3171] Re:3168- ミーム


[From] "suka" [Date] Thu, 22 Mar 2001 00:03:23 +0900

後藤@帯畜大さん みなさん

   須賀です。

後藤さんのお心づかいには本当におそれいります。
これまでのやりとりをよんでくださったみなさんには、
後藤さんの方が僕よりもずっと、行動生態学にも
ドーキンスにもおくわしいし、そのあるべき姿について
的確なビジョンとそれを表現することばをおもちである
ことがおわかりでしょう。みなさんがご存知のとおり、
僕の仕事は行動生態学ではありません。それに
関する教育という面でも後藤さんとちがってほとんど
経験がありませんし、それにふさわしい社会的責任と
名誉を負うべき立場にもありません。にもかかわらず、
後藤さんは僕を一人前の行動生態学の研究者として
遇してくださったばかりか、この話題に関する社会的な
リーダーシップの面でも、あたかも僕にもその一角を
になう資格があるかのように期待をかけてくださるこ
とによって、むしろご自身にその真の力がおありである
ことを示してくださったのでした。心からお礼もうしあげ
ます。

どのようにお答えすれば後藤さんを満足させることが
できたのでしょうか? その答えに到達できなかった
ことが残念です。しかしこのMLにはその名誉をになう
のにふさわしい方々がまだまだいらっしゃいます。

後藤さん:
> ・・・僕は、「利己的な遺伝子」の書評を述べてきたわけではないので
> す。

もちろん、そのとおりです。後藤さんはそれよりもずっと
大きなことを問題にされていた。けれども僕には、ずっと
小さなことを話題にするのが精一杯でした。

後藤さんの多岐にわたる問題提起のなかで僕がおつきあい
できたのは次の2点だけです。このふたつは後藤さんに
とっては本題からはずれた些事でした。けれどもうえのように
表現されることによって、後藤さんは僕自身が実際に話題に
いているよりも大きなことを語っているように、みなさんに印象
づけようとしてくださったのです。

(1)
後藤さん[3095]:
>・・・本来、利己的という概念は、利他性との対概念としてのみ意味を
> 持ちますが、利他的な遺伝子、ってありますか?また、利己的と
> いう概念は、心理的・行動的メカニズムを指す概念ですが、利己
> 的な遺伝子というときの利己性は進化的メカニズムを指す概念で
> す。

この進化的メカニズムをさす概念としての「利己性」の意味を、
補足的にご説明しました。後藤さんが、ウィリアムズ、ハミルトン
とむすびつけられた概念です。このむすびつきを、わたしもドーキ
ンスの本そのものが明言していることをお話しすることによって、
後藤さんの見解の正しさを立証するお手伝いをすることができたの
でした。

わが国でいち早くこの分野の紹介に力をそそがれた後藤さんと
ちがって、すでに導入のおわった分野の参考書としてこの本を
読んだ僕は、この意味に慣れ親しみすぎていたのだと、後藤
さんなら指摘されることでしょう。そのために、このことばが
日常的な場に新しくあらわれたとき、誤解をうみやすい刺激の
つよいことばとしてうけとられるという、読者なら誰もが経験した
はずのことへの共感の表明が十分でなかったと、後藤さんは
言外に語りかけておられるようです。おくればせながら、この
ことをお話しすることによって、ひとつのことばがいかに異なった
視点がよまれうるものかということへの後藤さんの鋭い洞察に、
賛意をそれたいと思います。

(2)
後藤さん[3124]:
> ドーキンス「利己的な遺伝子」には、【しかしわれわれには、こ
> れらの創造者に刃向かう力がある。この地上で唯一われわれだけ
> が利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのだ。】とあ
> りますが、完璧な誤解ですね。
> ・・・【3095】でも指摘しましたが、ドーキンスは、人間は
> 本来(遺伝的プログラムとしては)、行動特性として、
> 「純粋に」利己的である、と考えており、利己と利他の矛
> 盾としては捉えていません。つまり、愛情もない、と考え
> ているわけです。で、それを「叩き込め」というとんでも
> ない指針を導いているわけです。

須賀[3124]:
> そうかなあ。別のコンテキストでよめばそれとはちがう
> よみかたもできると思いますよ。

このようなぶしつけな異見表明を中途半端にしながら、話すきっかけ
をつかめずにしたわたしに対し、後藤さんは次のようなあたたかい
お心づかいをしめしてくださいました。

後藤さん[3128]:
> 是非、その「別のコンテキスト」と「ちがうよみかた」を教えてくださ
> い。

このことばに背中を押されるようにして、わたしは自分が学生
時代にこの本を行動生態学の面白いサブテキストとして紹介
された個人的ないきさつをお話ししました。そして、その延長線
上にあるドーキンスの「専制支配への反逆」に関するわたしなり
の、毒抜きされた(後藤さんが「通俗的」との評価をくだされた)
解釈を披露させていただくこともできたのでした。わたしにとって
は、これこそがこの一連の対話の中心テーマであり、ドーキンス
という固有名詞にかかわるべき唯一の理由でもあったのですが、
後藤さんは、「本題からは枝葉末節でした」と他の読者のみな
さんにふかいご配慮をお示しになりながら、わたし以上に詳細
かつ多面的に、このことばの解釈の可能性を吟味してくださった
のでした。

わたしは、このドーキンスの「反逆」ということばに、宗教的という
より政治的な風土の反映を感じるのですが、これはさらなる些事
というべきかもしれません。

いずれにしても、この話題に関しまして、わたしが当初お話し
したいと思った内容は、これでほぼつきております。これ以上
お話しいたいを思う内容は特にありません。後藤さんをはじめ、
わたしよりもはるかに適任のみなさんが、後藤さんの提示され
たはばひろい話題をさらに発展させられることを期待しており
ます。

ありがとうございました。

   須賀 丈


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