[BlueSky: 3164] Re:3155- ミーム


[From] Ken Goto [Date] Mon, 19 Mar 2001 20:06:22 +0900

後藤@帯畜大です。

須賀さん【3155】:
> 僕の解釈では、この判断にかかわる理性をはたかせるということを
> ドーキンスは「利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できる」
> と表現したのだと考えています。
>
> この解釈を後藤さんやみなさんにおしつけるつもりはありませんが、
> このように読むことが可能であることはご理解いただけると思います。
この補足、見落としていたのでコメントします。
確かに可能です。が、何度も言うように、この理解だと、ドーキンスが
余りにも通俗的理解に「翻弄」「感染」されていることを示すようで、
ドーキンスにかわいそうです。

なにしろ、通俗性を打破することがあの著作の一つのねらいだったわけ
ですからね。

****

念のために、もう一度件の部分(訳書321ページ)とその補注(訳書
521ページ)を読み返してみました。

どうやら、須賀さんの理解どおりみたいですね。補注には↓のようにか
いてあります。
【・・・性欲の抑制に何の困難もないはずなのだ。中略。私たち、つま
り私たちの脳は、遺伝子に対して反逆できるほどには十分に、遺伝子か
ら分離独立した存在なのである。すでに記したように、避妊手段をこう
ずる際、私たちはいつもささかなしかたでその反逆を実行している(5
23ページ)】

なので、ここは、通俗的な文学的レトリックを表現したものとして理解
するのが良さそうですね。生物学的には反逆でもなんでもないし、反逆
できるのは(つまり、理性的判断を下せるのは)人間に限らないだろう
し。

ただ、人間=崇高観的風土の中にあるのだろうな、という感じだけは残
りますが、本題からは枝葉末節でした。失礼いたしました。

後藤 健
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生命を考える http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
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