[BlueSky: 3163] Re:3159- ミーム


[From] Ken Goto [Date] Mon, 19 Mar 2001 19:57:27 +0900

後藤@帯畜大です。

須賀さん【3159】:
> なるほど、よくわかりました。自己弁護とうけとられたくは
> ないのですが、僕自身は「利己的」「利他的」という表現が
> 実際には何を意味しているかを説明してきましたが、人間の
> 行動について誤解をまねくようなかたちでそのことばを自分
> の「地」の表現としてつかうことはしないように気をつけて
> いるつもりです。これもひとつの判断ではないでしょうか。
はい、この点は十分に感謝しています。
ただ、ドーキンスの著書がまだまだ波及していくだろうことを考えると
き、社会的混乱を招かないような用語法の検討を行動生態学界には期待
したい、と思っているわけです。

> 須賀:
> > > 『利己的な遺伝子』は一般向けの本ですよね。ウィリアムズの
> > > 批判やハミルトンの理論をわかりやすく面白いたとえをつかって
> > > 説明するというのがドーキンスの意図だったのではないでしょうか。
> > > 僕は大学生のときそのようにしてこの本を紹介されました
>
> 後藤さん:
> > それは違いますね。
> > 淘汰原理にしたがう自己複製子と、その乗り物で「しか」ない生存機械
> > という枠組みを与えたこと、そして、これまでの個体を単位とした淘汰
> > から遺伝子を単位とした淘汰という枠組みを徹底させたこと、さらに、
> > ミーム概念を導入することによって、文化的進化を生物進化のアナロ
> > ジーによって研究することを可能(であるかのように、か?)にしたこ
> > と、が主な「功績」として印象に残りました。
>
> 後藤さんのご指摘の側面は、一面の事実ではありますが、すべて
> ではありません。ですから断定されると事実に反することになり
> ます。僕はもうひとつの側面に注意を喚起したいと考えたのです。
↑の「功績」の捉え方についてですか?
須賀さんがご指摘になった啓蒙的側面を否定する、という点に僕の本意
があったわけではありませんし、その側面での功績を否定しているわけ
でもありません。僕が、「違いますね」と表現したのは、須賀さんがドー
キンスの意図が啓蒙にあった、という点「だけ」を述べたからでした。
彼の著書が、インパクトを持って社会的に受容される過程においては、
↑に僕が指摘した「功績」が印象に残った、ということを言いたかった
のでした。そして、ドーキンスの意図の基本も、その点にあったのだ、
と僕は考えています。

>
> ドーキンス自身、『延長された表現型』や『利己的な遺伝子』の
> 1989年版へのまえがきで、ネッカー・キューブという立方体の
> 絵を出してこのことを説明しています。同じ事柄でも見方によって
> ふたつのちがったみかたでみることができると。個体中心の
> 自然淘汰の見方を、ドーキンスは決して否定していません。
この部分を読んでみましたが、
【ネッカー・キューブのたとえは誤解を招く。なぜならそれは、二つの
見方が同じように妥当だと思わせるからである。】として、見方の「変
容」を宣言していますね。

> 後藤さんが問題にされた「利己的」とはどういう意味か? と
> いう問題にこたえるには、それらのもとのアイデアにさかのぼって
> 考えるのが理にかなっているのではないでしょうか。このこと
> と切り離して、日常的な意味とのつながりだけを問題にしたのでは、
> あきらかに不十分ですし、誤解をとくことにも役立ちません。
日常的な意味をもっているからこそ、利己的な遺伝子と命名したのでしょ
う?日常的な意味合いを彷彿とさせる用語でなければ、社会的混乱は招
きませんよ。社会的インパクトを狙った言葉だ、と僕は理解しています。

> 以上のことを考えると、以下の後藤さんのコメントは、ドーキンス
> の本の内容を評価するときにも重視しなければならない観点である
> ことがよくわかります。
>
> 後藤さん:
> > ものを見るとき、一側面だけを捉えて、それを全面的な結論とし
> > て使う、という行為も恣意的です。
>
> いかがでしょうか?
はい、もちろんそうですよ。
ただし、僕はこの一連のスレッドで、「利己的な遺伝子」に対する全面
的な批評をしてきたつもりはありません。すでに申し述べたとおり、主
な出発点は、乗り物論的観点の一面性と、異次元の事柄の同格化による
逆説めいた論理のからくりと危険性を指摘することにありました。

> (笑)。ちょっとこれは「挑発」しすぎたと反省しております。
> 僕自身は、ドーキンスの本の表現をあげつらうなんてことは
> 生物学者ならだれでも思いつくことだと思うので、それへの
> 反抗心があたまをもたげてしまったのでした(笑)。
ははは。逆説めかした驚きによって社会的混乱を招く、ということをあ
げつらっちゃいけないんでしょうか?

> あります。ただ、こういう個人も現在の日本文化の多様性の
> 一角を形成していることを知っていただければさいわいです。
はい。ドーキンス批判の余り、僕が多様性を否定していると思われてい
るとしたら、誤解です。僕はただ僕の意見を述べている「だけ」です。
須賀さんが、ときどき触れられているように、おしつけるつもりは全く
ありません。個人の自由という暗黙の大前提に立って話をしているつも
りです。
・・・序ながら言いますと、30年程前の京都には、まだルイセンコ流
の学風(?)が残っており、僕もその洗礼を受けました。ダーウィ
ニズムを理解したのは、20年程前です。アイゲン他著「自然と
遊戯」(東京化学同人)や柴谷著「今西進化論批判」(書名は自
信なし)を読んでから、のことです。僕の考え方が、政治的党派
性からの自由を自覚できたからこそであろう、と今は思っていま
す。
「利己的な遺伝子」論に感染し、その普及にささやかな貢献をし
たこともあります。その後、数年前ですが、生物物理学という一
年生用の科目を担当することになり、生命とは何かを考えている
うちに、幾つかの難点に気づくようになり、それを披露している、
というわけです。

> おわかりいただけると思いますが、僕の意図は、ドーキンスの
> 無条件な擁護ではありません。個別の論点についていきすぎた
> 非難に異議申し立てをしたいと思っただけです。ご説明しまし
擁護していない点を一つだけでも例示していただけると、須賀さんのご
意見をもう少し理解できるかもしれません。

> たように、ドーキンスは人間行動について「生物学的決定論」
> とははっきり異なる立場を最初の本から表明していますので、
はい、この点でのドーキンスの論理は明快です。

> その事実に即した批判をおこなうのでなければ、そのような
> 批判は論理的にも倫理的にも支持できない、と思うのです。
僕、ドーキンスが生物学的決定論である、などとは一言も言ってません
よ。


後藤 健
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生命を考える http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612


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